第2話

 お茶会の場へと戻ると、仲の良い侯爵令嬢、カミーユ・ステロモンドが焦った様子で近づいて来た。


「ファシー、どこに行っていたの? あのね、言いにくいのだけど……ルーファス様がアデル王女の傍にいて……その」


 カミーユの言いたいことはわかる。

 二人が惹かれ合っていることは、今はもう周知の事実。

 ルーファス様は私と言う婚約者がいるが、十七歳のアデル王女にはまだいなかった。


 そのせいか、私とルーファス様が婚約破棄するかどうか密かに賭けの対象となっているらしい。


 王家に古くから仕える忠実な騎士の一家に生まれたルーファス様。


幼い頃から立派な騎士となるべく訓練に明け暮れていたが、ルーファス様は文官の道へと進まれた。

 その選択に周囲は驚いた。

 本人は多くは語らなかったが、実は私もさりげなく文官を勧めていた。


 憶測では、知能派の王太子様や、周囲のご学友達も文官を目指す人が多かった。それも影響しているのかも知れない。



 そして文官としての才能もあったらしく、瞬く間に頭角を現し、未来の宰相候補と噂されるほど。


 白銀の髪から冷たい雰囲気を受けるが、整った顔立ちも人気らしく、何処へ行っても注目の的だ。


 そのせいか周囲の令嬢達は、私を遠巻きに見ながらコソコソと何かを言い合っている。どうせ、婚約者に捨てられる可哀想な女だと噂しているのだろう。


 だけど、それくらいの噂に私はへこたれない。


「わかっているわ。教えてくれてありがとう。私は大丈夫だから気にしないで」


「ファシー。一度、ルーファス様と話し合った方が良いわ。だって、このお茶会に来ることも聞いていなかったのでしょう? 婚約者としては……問題よ」


 確かにカミーユの言う通り、私は今日、ルーファス様が来るとは聞いていなかった。仕事が忙しく来ることは出来ないと言われていたからだ。

 でも、ル―ファス様が来ることはわかっていた。


 だって、夢見で見たのだから。


 私には兄二人しか知らない秘密がある。


 ――それは未来を夢見ること。

 毎日ではないが、夢でみたことが現実となるのだ。

 初めて夢を見たのは七歳の時、ルーファス様と婚約する夢だった。


 興奮する私を、兄様二人は「所詮は夢」「願望」だと笑ったが、その夜、父様が婚約者になったと教えてくれた。

 偶然だと笑う兄様達が信じるようになったのは、三回連続で当てた時。


 ――母様の病気。

 ――領地の災害。

 ――父様の愛人と母様の死。


 全てが現実になった。

 そして兄様達は、私の身を案じて力のことを他の人に言ってはいけないと、私を諭すようになった。

 兄様達自身にも伝えないようにと。


 兄様達からしたら、無邪気な子供である私が、何も考えないで伝えてくる言葉が恐ろしかったのだろう。

 いつ自分のことを言われるのかと。

 それから、兄様達とは家族として普通に接しているはずが距離を感じた。それは、二つ下の妹と比べた時。

 妹とは穏やかに接する兄様達も、私に対してはぎこちなくよそよそしい。


 どうも私は嫌われたと気づいたのは、十歳の時。

 その頃になると、私は夢の内容を誰にも話さず、家族に災難が降りかかりそうな時は、先回りしてそれを回避するようになった。


 勿論こっそりと。



 衝撃的な夢を見たのは私が十二歳の時。


 騎士服の正装に身を包んだルーファス様と白いドレスを身につけた私が笑っている場面。幸せに満ちているその場で、ルーファス様が殺される夢を見た。


 私が騎士より文官が良いと言い続けたのはこのためだ。騎士にならなければ、未来が変わるかも知れないと思ったから。

 ルーファス様が文官の道に進むと、しばらく夢は見なかった。


 だが、悪夢は突如訪れる。


 次に見たのは一カ月前。

 場所は、このお茶会。

 内容は、アデル王女が川に落ちて死んでしまう夢。

 それを阻止するために私は来た。


 ルーファス様の愛した女性を助けるために。婚約者からは相手にされずに、家族からも距離を置かれている私が死んでも誰も悲しまない。


「――ファシーユ」


 心配してくれるカミーユと話していると、名前を呼ばれた。

 それは聞き間違えることのない一生、大好きな人。


「ルーファス様。どうかなされましたか?」


 何でもないように振り返る。首を少し傾げたあと、にこやかに挨拶をした。

 ルーファス様を見上げると、やっぱり、いつも通りの固い表情をしている。

 それが白銀の髪と相まって冷たい印象を周囲に与えた。確かにかっこいいが、どちらかと言えば中性的で綺麗な顔立ちをしている。

 私に分けて欲しいほどの美形だ。


 私が微笑むとルーファス様の眉間の皺が増えた。酷い……。


 あーあ。やっぱり、アデル王女の時と全然違う。そんなに嫌われているとは思わなかったから泣きそうだ。婚約破棄ならお茶会が終わってからにして欲しい。だって、周りが興味津々で見ているから。


「話がある。……こっちへ。カミーユ嬢、失礼する」


 珍しく私の手を取って強引に連れだした。

 カミーユを見ると、心配そうに私を見ている。

 やって来たのは、さっきまでアデル王女と逢引きしていた大きな木の下。


 ……まさか、ここで婚約破棄の話を? その前に、父様や兄様達に言わなきゃいけないのに。それに、侯爵様達にも。どうしよう。婚約破棄を突き付けられるとわかっていても泣いてしまいそうだ。


 繋いでいた手を離される。


「あ、あの、ルーファス様。お話とは?」


 緊張する手を握り締め、木の下で向かい合い覚悟を決めた。


「……何かあったのか? いつもと様子が違ったから気になって」


「へ?」


 驚きすぎて、今の私の顔はおそらく凄く間抜けだろう。

 それくらい意外だった。

 ルーファス様に心配されたのは、風邪を引いて寝込んだ時だけ。その時も、会いに来てくれることはなく手紙とお花だけだったのに、どうしたと言うのか。


「いつもは、すぐに俺の傍に来るのに来なかったから……」


 なんだ、その答えは。

 いつもの自分の行動を思い浮かべた。

 確かにル―ファス様を見つけると、夜会はもちろん、王宮で姿を見かけると、お仕事中であっても無邪気に私は近づいて行った。

 まるで忠実な犬のように。


「あ、あの……アデル王女と楽しそうにお話ししているようでしたので、ご遠慮致しましたの」


 初めてだ。こんな言い方をするのは。どうせなら当たり障りがないように、カミーユと話し込んでいてご挨拶が遅れたと、言えば良かったのに。

 気づいてももう遅い。

 無理やり笑えば、ルーファス様は渋い顔で私を見つめていた。


「アデル様は茶会の主催者として重要なお立ち場だから、何か不備はないか話していただけだ。他に理由はない」


「そ、そうでございますか」


 それしか言えなかった。


 日頃からルーファス様の前では大きな猫を被っているせいか、本人を目の前にすると、失敗してはいけないと思ってしまい何も言えなくなる。

 ただ俯いて、ドレスが皺になるほど強く握ることしか出来なかった。

 こんなにも、私は何も言えない弱い人間だったのだろうかと泣きたくなる。


 頭の中で悶々と考えている。

 なのに、声には出せなかった。


 どうして、アデル王女と抱き合っていたのか。

 どうして、お茶会に来ることを教えてくれなかったのか。

 どうして、婚約破棄を言い渡すのに、こんなに引き延ばすのか。

 どうせなら、清々しくさっさと言って欲しかった。あとで誰もない場所で、大声を上げて泣くために。


「ファシーユ。これを……。実は前もって渡すはずだったが仕上がりが遅れてしまって。今、着ているドレスに似合うと思う」


「えっ……?」


 またしても婚約破棄ではなかった。

 しかも、差し出されたのは髪飾り。

 白銀で出来た髪飾りは、アレキサンドライトとアメジストの宝石が付いている。それはルーファス様の髪と瞳の色で、その事実に気が付くと胸がときめく。


「綺麗」


 思わず受け取ると、その繊細に彫ってある文様に目がいく。オリーブの図柄は、ブラックリー侯爵家の家紋の一部。

 それに気が付くと自然に笑みが零れた。


「貸して」


 ルーファス様は私の髪に髪飾りを付けた。

 今日は、小さな生花を髪に散らしてあるだけだから大きな飾りは付けていない。それが功をそうしたようだ。


「――ああ、良かった。とても良く似合うよ」


 珍しく嬉しそうなルーファス様を見ると、私も嬉しくなる。

 黒い髪に、瞳だけは珍しいアメジストの色彩は暗い印象を周囲に与えた。


 正直、アデル王女みたいな蜂蜜色の髪や、栗色だったならと羨んだこともあったが、伯爵家は皆がこの色彩。

 どうにもならないと、今はもう気にしないようにしている。

 そんな色彩に、少しでも華やかな印象をもたらしてくれる白銀の髪飾りは、凄く心が躍った。


「ありがとうございます。あ、ここに鏡がないのが残念だわ」


 本当に私の心はルーファス様の一言で色鮮やかになる。そして、もう少しこのままでいられるかもと、いらぬ期待を持ってしまう。


「鏡がないのが残念だ。澄んでいる穏やかな湖なら少しは映ったのに……」


 ルーファス様が私の手を引き川へと近寄る。そこは昨日の雨で綺麗とは言い難い。


「昨日の雨で水嵩が増している。危ないからすぐに戻ろう」


 少し照れたような顔で私を促す。すると第三者の声が聞こえた。



「――ルーファス様?」


 可愛らしい声で姿を現したのはアデル王女で、その姿を見た瞬間、私の気持ちは萎んだ。


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