未来が見える令嬢は、恋を諦めました。

在原小与

第1話

 ――その日、初めて恋を知った。


 五歳だった私がその感情の名前を知ったのは、もっと大人になってから。そして、その人が私の婚約者になったのは七歳の時。


 伯爵令嬢である私と、次期侯爵となる彼との婚約は自然な流れだった。 それから、貴族のお手本のような交流を続け関係は順調そのもの。

 流れが変わり始めたのは、私が十五、彼が十九歳の時。


 文官として働き始めた彼は、ある女性と親しくなった。事あるごとに一緒にいる姿を見られると、周りは噂しそれが広がった。


 そして、十六になった一年後の今日、事件は起こる。

 貴族の若い令嬢や子息を集めた王家主催のお茶会で。

 お茶会と言っても、今回は趣向を変えて王家所有の離宮で行われていた。


 広大な森の傍にある大きな川。


 その近くに建てられた離宮は、夏になると、この国にしか生息していない金色に光る生物が現れる。

 それは雨が降った次の日、晴れると夜に現れ、幻想的な雰囲気を楽しめると貴族の間で人気だった。



 離宮に来て二日目。


 初日に雨が降ったおかげで、今日の夜には見られるのではないかと盛り上がり、昼間からお茶会を開かれている。

 そんな中、お茶会から少し離れた場所に私はいた。


 ふと視線を向けると、前日の雨のせいで増水した川の流れは早く濁っている。その近くにある大きな木の上に、ドレス姿で腰かけ見下ろしていた。

 人目を避けている二人の男女を。


「ルーファス様。わたくし、あの……」


 頬を赤らめ恥ずかしそうに俯くのは、我が国、アリーシェ国の三番目の王女であるアデル様。


 ふわふわの蜂蜜色の髪に、爽やかな空を思わせる青い瞳は緊張しているのか潤んでいる。

 庇護欲をそそる愛らしい顔立ちは、誰もが思わず息を飲むほど。

 淡い桃色のドレスが、その可憐さを更に引き立てていた。


「アデル様……」


 その向かいに立っている男は、侯爵家の嫡男であるルーファス・ブラックリ―。私、ファシーユ・ドニコールの婚約者でもある。

 白銀の長い髪は後ろで一つに束ね、困ったような顔をしながらも拒否する様子はない。


 彼の緑色の瞳は真っ直ぐにアデル王女を映していた。

 他に人がいない所を見ると、どう見ても密会だ。

 木の上にいるおかげで会話は丸わかり。しかも、仕草までばっちり見える特等席。


「わたくし、ルーファス様をお慕いしております。婚約者がいることは存じております。でも、でも……」


 涙を一筋流した王女は、ルーファス様の胸へと飛び込んだ。


 ……あ、ずるい。婚約して九年。ルーファス様は私を抱き締めてくれたことなんて一度もないのに。それどころか、手さえまともに繋いでくれない。


 唯一、手を重ねてくれたのもたったの五回。

 それも婚約者として必要だった時だけだ。それ以外は距離を保ち、私に一切触れようとはしなかった。


 凄く真面目で礼儀正しい。別の観点から見れば、私に興味がないか嫌っている。

 そんなルーファス様が王女様の肩を抱いている。しかも、髪を撫でていた。


 これには、さすがの私も胸が痛い。


 一目惚れをして十一年。一度もルーファス様は、私に「好き」とも「愛してる」とも言ってくれなかった。


 彼にとっては、貴族では当たり前の政略結婚。ただ、それだけだったのだ。そして、私は今、捨てられそうな気がする。

 なにせ相手は、私が太刀打ち出来ない身分と容姿を持っている自国の王女様。


 王女と言っても三番目のアデル様は他国へ嫁ぐ必要もない。国も周辺諸国も平和そのもの。


 なにより、二人はどう見ても相思相愛だ。

 泣きたかった。……でも、これで諦めもつく。

 やっぱりルーファス様は、私との婚約には納得していなかったのだと確認出来たのだから。


 それでも心の奥がジクジクと苦しくなるのは、なぜだろう。これが初めての失恋だからだろうか。

 堪えていても、頬に伝う涙は止まらなかった。


 本に書いてあった通り、初めての恋は実らないものらしい。

 だって、あんなにも優しい顔をしたルーファス様を見るのは初めてだ。私の前では滅多に笑わないのに。


 二人でいても、いつも小難しい顔で本を読んでいたり、何かを考えていて、私と目が合うとすぐに逸らされてしまう。


 本当は噂が広がる前から気づいていた。

 ルーファス様に好きな人がいることを。

 それが、アデル王女であることも。しかも、二人で並んでいると、一対の絵画のようにお似合いなことも。


 木の上で息を殺していると、二人が動き出した。

 どうやらお茶会に戻るようで、その二人の後ろ姿を目に焼きつけた。言葉にならない感情が渦巻く。

 悔しくて、でも、恋をした相手を――覚えていたくて。


「……やっぱり未来通りなんだ。なら、あの未来を変えないと。じゃないと、ルーファス様が悲しむから」


 涙を手で乱暴に拭くと木から下りた。

 伯爵家の長女として育ったが、兄が二人いるせいか、どちらかと言えば外で遊ぶ方が好きだったりする。


 妹のように刺繍やお茶会よりも、兄達に付いて身体を動かしている方が楽しい。


 そのおかげで木登りもお手のもの。勿論、このことはルーファス様には内緒だ。彼の前では本が大好きな物静かな令嬢で通っている。

 なぜなら長兄の情報で、ルーファス様は物静かで女の子らしい令嬢が好きだと聞いたからだ。


 彼の前で大きな猫を被って十一年。


 会うのはこれが最後。そう思うと考え深い。


 ――だって、私は今日……死ぬのだから。


「よし! 頑張ろう。ルーファス様のためにも!」


 握り拳を作り、片方の手を空に向かって突き上げる。

 気合を入れて、お茶会と言う名の運命の場へと向かった。

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