第3話新暦786年 夏

 その日の天気は朝から大荒れだった。

 前日から降る雨はいよいよ勢いを増し、風も外に立っていたら飛ばされるかと思うぐらい強く吹いている。ガラスが割れないようにと窓に嵌めた板はガタガタと揺れ、今にも外れそうなほどだった。


「今日は本当に大荒れねぇ」

 アイナがお腹をさすりながらそう呟いた。

「まったくな、仕事が進まんよ」

 そう相槌を打ったのはアイナの夫のクロムスだ。手元には自らの領地に関する書きかけの報告書があった。


 アイナは最近になって目に見えるほどお腹が大きくなってきて、今は安静にしておいた方がいいと医者にも言われている。なので今は自ずと妻のアイナが家事を中心に無理のない程度に行い、領主としての、イグナス連邦ボルサ氏族領トバル氏族分割領の主としての仕事は夫のクロムスがこなしていた。

 領主としての仕事はいつも一緒に、何かあったら現地にも一緒に行くのが2人の信条だったが、こればかりは致し方ない。


 こんな大雨大風の日の翌日は、大体領民から屋根瓦が飛んだとか柵が壊れたとかそんな声が寄せられるのが常だ。

 領主になってまだ間もないクロムスだが、前領主の父親に色々と聞きながらもなかなか上手く領地経営をしていた。民のことなど知らぬという非道な領主もいる中で、クロムスは領民からの評判も良い。


 昼餉の後、翌日に色々と要望があるのを予想して何をどのくらい街に発注するか悩んでいた時、不意に玄関の呼び鈴が鳴った。

「こんな時に誰かしら?」

「やれやれ、今日は誰も来ないと思ったんだけどな」

 そう言うと、クロムスは執務机を立った。

 評判も良く、領地に住んでいる人に対して横柄な態度を一切取らないクロムスとアイナの家には、むしろ近所の年輩の方や子供は遊びに来ることさえあった。年配の方にはお茶と軽いお菓子を、子供には甘い飲み物を。昼間の家には笑い声が絶えない。とは言えもちろん、何か助けてほしい人が来ることもある。

 しかしこんな天気の日に限って訪ねてくる人なんてそうそう滅多にいるものではない。クロムスは訝しげな顔をしつつも玄関の戸を開けた。

 だが戸の前には誰もおらず、ただ雨が玄関を濡らすばかりだ。


 ーこんな天気なのにイタズラか…?


 時々どこかの悪ガキが呼び鈴だけならして逃げたりすることはあるが、まさかこんな天気でそんなことをする暇な子供がいるはずもない。

 そう考えていると突然足元から男の呻き声が聞こえた。

 誰もいないわけでは無い、倒れていたのだ。

「お、おい!どうした!大丈夫か!?」

「盗賊が家に……俺も妻もめった刺しにされて………」

「と、盗賊だって!?しっかりしろ!」

 そうとだけ言うと男はがっくりとうなだれてしまった。

「アイナー!手伝ってくれ!盗賊にやられたって人が駆け込んできたんだ!」


 なんとか男を家の中に運び止血を試みるも、血は一向に止まらない。よく見るとその男の言う通り刺されたような深い傷がいくつもあり、その瞬間も鼓動に合わせるように血が流れていた。

 領主の家とはいえ、過去の功績を称えられての分割区の領主。家も広いが使用人がいるわけではなくクロムスとアイナ、それとクロムスの父親の3人暮らしだったのでとにかく人手が足りなかった。

 天気が悪いので医者を呼ぶこともできない。クロムスの父親ももう寝たきりに近い御老体なので、クロムスとアイナの2人でなんとかするしか無かったのだ。


 だが奮闘むなしく、その男が回復する事は無かった。

 傷口を縛り膿を出し、破傷風にならないように汚れた傷口を拭って清潔にして、とにかく慣れないながら最善を尽くした。しかし血と共に生命力まで流れ出してしまったかのように静かに衰弱していった。

 そして最後に「私はもういい、助からないことぐらいわかる。だから妻と息子を…アロウ平原に残してきた妻と息子を頼む…」と言うとその瞳を閉じ、二度と開くことは無かった。

 人死になど子供が生まれる前に縁起が良くないと最期はクロムスだけで看取ったのだが、その顔を見てある事に気付いた。

 瞳が青かったのだ。


 ー他のことに手一杯で全然気付かなかったがこの男、ユラフタス《霧間の民族》か…?ユラフタスなら"何故アロウ平原にいたのだ?"


 *


 翌朝、クロムスは街に駐在する公務官(警察と消防が一緒になったような役職)と一緒にアロウ平原に向かった。

 本当は男が亡くなった後にすぐ行きたかったのだが、天気があまりに荒れていたので行きたくても行けなかったのと、無理に行って自分の身に何かあったら生まれてくるを子を父無し子にしてしまう恐れがあったからだ。


「しかし昨日のあんな大雨の中で盗賊ですって?それも人家も無いはずのアロウ平原で。トバルさんのところに駆け込んできた男がユラフタスってのもまた奇妙な…」

 公務官はそう言ってクロムスと並んで馬に乗っていた。

「私にもなんだかよくわかりません、でもあの男の弔いの為にもその息子さんを見つけてあげなきゃ」

 クロムスも乗っている馬を歩かせてアロウ平原への道を歩いていた。


「しかしアロウ平原に人が住んでるとは思いませんでした。クロムスさんは知ってたんですか?」

「いえ、私も驚きました。てっきり池があるだけの無人の平原だと思ってたので」


 嘘だ、実は知っていた。

 2年ほど前、クロムスは家督を受け継いですぐにアイナとアロウ平原を歩いたことがある。

 ボルサ氏族領自体はシナークという海沿いの街を擁しており、海産物や交易で栄えている。しかしトバル氏族分割領は海に面しているわけでもなくこれといった名産も無い。だからと言って領民が日々の生活に困窮しているわけでは無いが、多少なりとも売れる物があればと薬草か木の実目当てで歩いたのだ。

 そしてその際に粗末な小屋があるのを発見したのだ。

 だがその時はあえて無視した。別に住んではいけないという決まりがある土地というわけではない上に、領主が租税を徴収する時代でも無い。それにこんな人里離れた、誰も来ないような場所に住むと言うのは何か訳があってのことだろうと深く詮索しなかったのだ。その時に公務官に報告しなかったのもその為だ。


 そもそもアロウ平原とは昔大きな戦争があったらしく、その怨霊が出るとかで誰も近寄る人のいない土地だった。

 山に住み時々野草などを売りに来る瞳の青い背の小さな人たち"霧間の民族"、俗に"ユラフタス"と呼ばれる人たちも同じらしく、アロウ平原には絶対近づく事は無いと聞いたことがある。それも民族の中に厳しい戒律があって、それによって近寄るなと決められていると聞いたことがある。

 それがこの騒ぎで駆け込んできた男は瞳が青かった、つまりあの男はユラフタスであり、アロウ平原に住んでいたのだ。


 *


 さてアロウ平原に着いて道が途切れた後は公務官の仕事だ。公務官は足跡を追ったりする技術を多少とはいえ皆が持っているので、意図して消そうと思っていない足跡なら辿ることができる。とは言え大雨の後ではそれも厳しいのだが、そこは事情を説明して一番得意な人と行くことになった。

 もちろんクロムスはそんな技術は持ち合わせていないので公務官の後をついて行く。

 アロウ平原は湖が一つある他は本当にただの平原だ。こうして歩いてみてもかつて大きい戦争があったなんて信じられない。

 そうして慎重に20分ほど歩くと、かすかに赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。

 クロムスと公務官は顔を見合わせると、2人してその泣き声の元へ駆け寄った。


 泣き声の聞こえるほうへ近づいてみると、そこには入口の戸が破壊された粗末な木組みの小屋があった。赤ちゃんの声はその中から聞こえる。

 素人目にも何があったかは見ればわかる。だが意を決して中に入ると案の定、血塗られた床、散乱した家財道具、そして…

「やはり死んでるか…」

「盗賊とは言ってましたが、大方野盗にでも入られたのですかね…」

 母親と思しき女性が、棚を背にして目を見開いたまま死んでいた。

 そして赤ちゃんの声は後ろの棚から聞こえている。

「この中だ、赤ちゃんはまだ生きてるらしい。助けなくては」

 そう言って公務官が棚を開けると、そこにはまだ生後1年も経っていないような小さな赤ちゃんが泣いていた。恐らくは母親が赤ちゃんだけでもと棚の中に隠し、庇って野盗に殺されたのだろうと公務官は言っている。

 まさか生きてるとは思わずここまで来たので2人とも驚いたが、公務官の方は子がいるらしく泣いている赤ちゃんを取り上げて慣れた手つきであやしている。

 クロムスはあまりの惨状に吐き気を堪えながらも、母親をせめて弔ってやろうと開いたままの目を閉じようとして奇妙なことに気付いた。

 ーこの母親、目が鳶色だ。黒なら我々と同じ、青ならユラフタスだが鳶色とは…?

 結局クロムスのその疑問は、その後の事務的な処理に追われて忘れてしまった。亡くなった親には気の毒だが、瞳の色より領地の中で身元不明の死体がある方が問題なのだ。亡骸も埋葬してやらねばならない。

 それに保護した赤ちゃんをどうするかと言うこともある。クロムスの頭はそんな様々な事でいっぱいだった。


 *


 その騒ぎからしばらく後、野盗はシナークの街中で盗みを働いたとして捕まった。野盗曰く「他の場所で盗みをやった後にいつの間にかあんな場所に迷い込んでしまった。腹が減って死にそうだったので偶然見つけた家に入って食い物を奪った。あの2人は騒いだので殺した」とのことで、同行した公務官によると後日皇都にて情状酌量の余地無しの殺人罪として首を刎ねられたという。


 保護された赤ちゃんはというと、初産のトバル家ではなく近くに住むエルストスという老夫婦に預けられた。

 エルストス夫婦はその赤ちゃんを「イルカラ」と名付けた。そしてそれから13年間、学校でも成績優秀と言われるまでに立派に育て上げて静かに息を引き取った。

 事件から何ヶ月か後にトバル家に生まれた娘、メルーナの良き遊び相手だったことは間違いない。


 新暦786年のことだった。

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