第36話 同じ鍵 でも 分からない だからこそ 分かり合いたい②(完結)

「男親はこういうとき、つらいわね」


 そう言いながらも聡子はちょっと楽しそうだった。


「お母さん、あんまり類くんをからかわないでください。仕事に響くかもしれません。類くん、かわいそう」

「でも、完璧美青年の類が……三歳のあおいちゃんには完全大敗北……ぷっ」


「なんでそんなに懐いたの、玲? あおい、愛想はいいけれど、ぱぱだいすきっ子だよ?」

「知らん。水族館へ行ってアイスを食べただけだ。あとは、一緒に風呂に入って一緒に寝て」

「ないしょのちゅっちゅした! ぱぱままといっしょ! ちゅーって」


 あおいはすっかり新妻気取りである。


「さくら、お前たち夫婦は子どもの前で、毎日どんなことしているんだ? このままじゃ、あおいは類そっくりのエロ魔人になるぞ?  積極的過ぎる」

「な、仲がいいだけ、仲が」


 うわあ、まずい。居場所がなくなったさくらも、サンルームへ逃げた。


***


 類と涼一、ふたりはサンルームに張ってある、人工芝の上に体育座りしていた。背中には、『哀』『悲』と書いてあるようにも見えた。


「父さま、と……類くん」


 いや、違う。今、類にかけるべきことばは『類くん』ではない。

 さくらはどきどきしながら胸に手を乗せ、息を吸った。


「私の類、元気出して」


 とうとう言った。大きい声で、とうとう言った!

 そのことばに、類が背筋を伸ばしてあわてて振り向いた。持っていた飲みかけの缶ビールを、近くのテーブルの上に、ぽこんと置く。


「さくら、今……ぼくのことを」

「何度でも言う。『わたしのるい』! げんき……出して?」


「うわあ、どうしよう! ものすごく元気になっちゃった! 主に、下半身方面が! 『私の類』だって、私の。ぐふふっ。あっ、獲物(さくら)を前にしてヨダレが」

「……おい、親の前で……」


 雰囲気を察した父は、さくらの肩をぽんとたたいて部屋の中に戻って行った。

 気を利かせてくれたのか、カーテンも閉めてくれた。室内から見えないように、ぴっちりと!


 サンルームで、ふたりきり。


「さくら」


 類の喉が、ごくりと鳴った。ヨダレを飲み込んだ音だ。心なしか、息遣いも荒い。こ、これは……類お得意の、エロエロモードにスイッチオンしている。


「る、るいく……じゃない、類」


 さくらは後退したけれど、すぐにテーブルの脚にぶつかってしまった。


「よく言えたね。えらいよ。うれしい。今すぐ、ごほうびをあげたいな。あつくて、おおきくて、さくらも大好きなモノだよ?」

「いやだ、そんな言い方は」

「ありがとう、なぐさめてくれて」

「玲は、あおいのおじさんだよ。そんなに心配することじゃないよ」


「でも、あおいの母親は、弟と結婚するような倫理のない女!」

「義理だったじゃん、義理。おじさんのほうがまずいよ」

「いやいや、平安時代は、おじ姪婚もオッケーだった!」


 今、二十一世紀だから。それ、千年前だから。


「お……落ち着いて、類くん。じゃなかった、類? 軽井沢で、あんなに仲よくしたのに」

「これが、落ち着けるかって」


 類は、さくらの身体を人工芝の上に押し倒し、おさえつけた。もう、動けない。両脚も、左右に大きく広げられてしまった。


「ええ、嘘? 窓ガラスの一枚向こうの部屋には、あおいも親も、玲もいるのに!」

「だいじょうぶ。ぼくの高揚をオトーサンは察していたし、誰も見ていないよ。さくらのみだらな鍵穴には、ぼくの鍵を入れ込んでおかないと。奥までぎゅーっとね」


 そう言いながら、類は自分のベルトを緩めはじめる。かちゃかちゃと音を立てて。


 うわあ、帰宅早々、なんてこと!


***


(しばらくお待ちください)


***


***


(そろそろ……え、もう一回? ここ、人ん家だよ!)


***


***


 類は、とても晴れやかな顔でリビングに戻った。ご機嫌である。さくらは、ばつが悪くて、顔を上げられないというのに。


 涼一が、さくらを見ていた。恨めしそうに。


 ごめん、父さま……夫婦ふたりきり、サンルームでなにをしていたか、分かっているよね……類くんの魅力に逆らえなかったよ……ごめん! たった窓一枚、向こう側で……!


「さくら、そろそろ俺、動いてもいい? 腕がしびれた」

「あ……ごめんね!」


 さくらがあおいを受け取ると、恋する乙女・あおいは身体をくねらせてぐずった。


「やー! れいおじちゃー!」

「あおい。あとでまた、たっぷりとだっこするから、ちょっとだけ休ませてな」

「ん……」


 恋する乙女は、従順である。


 類はそんなあおいを、冷ややかにじっと見つめていた。嫉妬の塊であることには間違いないけれど、さくらを堪能した直後なので、ぐっとこらえている。


「いやー、みだらな鍵穴があってさ! ぼくの持っている鍵で、ぎゅうっと閉めてきたの!」


 ちょ、なにをそんな大声? さくらは類の口をあわてておさえた。


「やめてよ、類くん」

「えっ? もう『類くん』に戻った?」

「さっきのは、特別。さ、そろそろ夕食のしたくにかからなきゃ。玲も、食べるよね?」

「『みだらな鍵穴』って、なに? それにさくら、顔がやけに赤いけど?」


 そ、それ、まだ言う? 終わりかけていたのに。

 まずい、父の顔色が……聡子は大笑いしているし、助けてくれそうにない。玲、空気を読んでほしい。


「今夜は餃子パーティーだよ! 玲、手伝ってくれる?」

「類の、持っている、鍵……あ」


 はぐらかそうとしたけれど、玲は考え込んだ末、正答にたどりついてしまった。


「もしかして今、あっちで、まさかお前ら! ものの十分ぐらいだったのに、信じられない。どんだけ、さかってんだよ! どこでもできるのか? 軽井沢でさんっざん、いたしてきたんだろ? この……万年発情期め! あおいのことも考えろ」

「きゃあああ、なし! 気がつかなかったことにして、お願い玲っ!」

「その調子じゃ、すぐに第二子ができそうね。若いってうらやましい。人事の配置、考え直さなきゃなあ」


 聡子は、にやついている。


「私、会社は続けますよ? 問題、山積みなんですから」

「さくら、ぼくも手伝うよ。ビールに合いそう。玲、今夜は酔い潰す」

「お前は明日、仕事だろ……」

「あおいもー! ぎょざ、つくるー」


「類くんの分は、トウガラシを大量に入れてくれ! カラシもね! うつくしい顔がゆがんで、面食いのさくらに嫌われてしまうぐらいの量を! あっははははあははあ、はあ」

「涼一さん、おとなげない」


「オトーサン、どうしてさくらから子離れできないの? 母さんや皆もいるのに。そっちがその気なら、ぼくにも考えがあるよ。ぼくたち、ここのマンションを出て行くことに決めた。ちょっと、距離を置こう。お互いのために」

「な、なんだと? こんなにきれいなマンションに住めて、新婚旅行をおごってもらって、私のかわいい娘といつでもどこでも二十四時間ヤリまくりなくせに、わがままな……!」

「父さま、私からもお願い。遠くには行かないから」

「当たり前だ! ようやく東京に戻ってきたさくらを、手離せるものか」


 さくらと類、それに涼一はぎゃあぎゃあ叫び合っている。そのうち、類と涼一は取っ組み合いに発展するだろう。


 それを見た、玲がひとこと。


「俺。柴崎家を早めに抜けて、助かった……!」



 柴崎家は、今日もにぎやかです。


                               (了)

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