それはあまりにも熱くて。
海月 蛍
始まりから、それは狙っていたのだと言う
――――カラン。ガラスのコップに入った氷が小さく音を奏でる。そのコップを手に取って、熱い喉にグッと流し込んだ。その後、勢いよく置いたからだろうか、机までもが揺れた。冷房の効いていないこの部屋では、何人かの小さい子どもと一緒に床に倒れている。
「あっづいなぁ……。」
あまりにも溶けそうなその声に、襖から顔を出した母親は小さく笑った。また、濁ったようにも聞こえる声を出して、もう一度水を飲もうとコップを取る。見ると氷の溶けたものが少しだけある。逆に言えばそれしかなく、コップの中身は空にも等しい。俺はため息を吐いて、起き上がりじんわりを広がる汗を拭う。寝転んでいる子どもたちに「コンビニ行くつもりだけど、来るか?」と問いかける。バッと飛び起きた子どもにびっくりし、目を合わせてそいつらと笑った。
「あっつーい!なんで夏ってこんなにも暑いの!」
家の近くまで来ると、子どもの一人が伸びをしながら言った。この暑さは毎年のこと……いや、年々暑くなっていっているので慣れるしかないのだ。家のドアを開けて「ただいま。」とそれぞれ言いながら入っていく。
暑そうな子どもたちの声に、母がキッチンから顔を出して「おかえりなさい。」と言う。母親のもとへ行くと、コップが棚に仕舞われているのが見えた。
出かけている間に洗われていたコップを取って、氷を三つずつ入れる。口の中にも小さいのをひとつ入れて、口の中でころころと転がす。買ってきた牛乳のパックを開けて、適当な量を注ぎ入れる。同じようにカルピスの原液を注いで混ぜて子どもたちひとりひとりに渡した。
牛乳とカルピスを冷蔵庫にしまって、子どもたちが向かっていった居間について行く。適当なところに腰を下ろして、コップの半分くらいの量になるまで飲んだ。
「懐かしいなぁ……。」
「そうかぁ?」
「そーだよ!昔、おばあちゃんに入れてもらったの思い出すね。」
子どもたちが言うに母の味のようなものを感じるそれを覗き見る。俺は毎年、夏になるとよく自分で作っていたからよくわからないがそれと似ているのだろう。カルピスや牛乳の量によって味が多少違うだろうから、そんなに似ているのかと思った。
突然、庭の方から声が聞こえたような気がした。子どもたちと不思議そうに首を傾げる。低く冷たく響く声。若干気持ちよく感じる。庭を見ると一人の女性が立っていた。
「あの……。」
「どうかしましたか?」
女性は目を泳がせて、申し訳なさそうに顔を俯かせた。その後こちらをじっと見て、ときどき暑さを凌ぐようにあおぐ仕草をする。子どもが「お姉さんも、飲む?」と声をかけると、女性は静かに頷いた。
俺はコップに入っていたものを飲み干して、彼女のモノを用意するついでに自分のも入れてこようとキッチンに潜り込んだ。
「これでいいか?」
「あ、ありがとうございます。喉が渇いていたの。」
縁側に座って庭を見ている女性に、コップを手渡した。チリンと部屋に顔を出している風鈴が綺麗な音を奏でる。暑い中気分を和らげてくれるそれにどこか風流を感じた。
カルピスと牛乳を持ってきて机の上に置いた。暑いからともう一度飲むと、ドロッとしたものが喉に流れた。もしかして分量を間違えたのかと思い、牛乳を足した。
「……家に居たくなくて外を歩いていたら声が聞こえて。あまりにも楽しそうだったから羨ましいなと思いながら歩いていたら、迷い込んじゃったの。」
「そうだったんですか……。」
「嗚呼、ごめんなさい。勝手にタメで話してしまって。歳が近そうだったから親近感感じちゃって。」
「気にしてないですよ。俺もそうしましょうか?」
彼女は微笑み、礼を言った。最初は冷たく感じたけれど、よく見ると可愛らしい女の人で見た目通りの声だったり、話し方だったりする。子どもたちと仲良く話していて、そいつらも楽しそうにしているのでこちらとしてもありがたかった。
彼女は今親戚の家に来ているらしく、二、三日しないうちに帰ると言っていた。雰囲気があまり好きじゃないそうで、こうやって外に出ては街まで行ったりしているらしい。俺も親戚の家に集まって泊っているが、普段は都会に住んでいるのでこうやって田舎に来るのも悪くはないと思っている。たまに街に降りて、親戚である子どもたちに何か買ってあげたりしている。
「もしよければまた明日来ませんか。」
「いいの?」
「俺が誘ってんだから、来ていいんだよ。」
「ありがとう!」
嬉しそうに笑った彼女に目が奪われたような気がした。きっと気のせいだと思いたい。
彼女が来たのは三時頃だった。彼女はアイスを持ってやってきた。昨日のお礼なのか、俺の母親にも渡しているのが見えた。よく見るようなアイスばっかり袋に入っていて、これを今日全部食べるのかと考えた。量からしてそんな食べるわけじゃないだろうけど。袋から好きなのを各々取り出して、そのアイスの袋を開けた。パリッといい音が部屋に鳴り響いた。
世間話とか他愛のない話をしているとあっという間に時間が過ぎていく。彼女の首裏に垂れる汗をみて、息をのんだ。手で汗を拭う姿がとても色気のあるものに感じてくる。彼女はため息を吐いて、ボーッと庭のほうを見つめる。庭では子どもたちが鬼ごっこをしてはしゃいでいる。彼女のコップと俺のコップに麦茶を注いで、ボトルを机の端に置いた。彼女の横に座って、同じように庭のほうを見る。
「楽しそうで羨ましいわね。」
彼女の言葉に頷く。昔、この庭で遊んでいたことを思い出して「俺も昔はあいつらみたいに遊んでいたな。」と言った。どんなことをしていたのかも覚えていたりするもんだな。
「私もよ。それはもう、沢山動いて汗をかいていたわ。」
「意外だな。」
「そうかしら?……でも、もう遊ぶことはないのよね。子どもみたいに。」
彼女は俯いて、そっと目を閉じた。確かに、この歳になって子どもみたいにはしゃぐことはないかもしれないが、遊園地とか友達と行けばそれなりにはしゃいだりすることはある。あまり多くはないけれど、年に一回か二回程度いくからな。
「……私ね。明日の朝には帰っちゃうの。」
「嗚呼。」
「もしよかったらなんだけど、またどこかで会えるなら会ってくれないかしら?性格柄あまり人と話すような感じではなくて、こうやって沢山話したのも久しぶりなのよ……。」
「お、俺でよければ……?」
「ありがとう、とっても嬉しい!」
隣の家から、彼女を呼ぶ声が聞こえる。「もう戻らないと!」と、焦った彼女はノートから一枚紙を破って、アドレスを書いて折りたたんで渡してくれた。これに連絡しろということなのだろうか。
俺も自宅に戻って数週間経ってから、会う約束をした。案外、近いところに住んでいることを知ってお互い驚いた。もう俺は親の元を離れて一人暮らしをしているし、時間は気にせず遊べるので、予定が合い次第いつでもいいことを伝える。会う日が決まって、通話越しで楽しそうに聞こえるその声に少しドキドキした。
彼女と待ち合わせをして、映画館に行って泣けるような映画を見る。感動して彼女が思いっきり泣いた後に、雰囲気のいいカフェに入ってお昼ご飯を食べた。ランチが美味しいのでたまに通うようになったその店に彼女を連れてきたのだ。初めて行くところより、美味しいとわかっているところのほうが失敗はしなくて済む。
「美味しいね。」
「ここの店のランチがとても美味しいから、連れてきたかったんだ。口に合ってよかったよ。」
デザートも頼んで、季節限定の美味しいものを食べた。さっぱりとした味が口いっぱいに広がって、暑い夏にはぴったりだと感じる。美味しいものを食べた後は、ショッピングモールに行って買い物をした。彼女が気になっていたものや、俺も見たいものがあったのでお互いの行きたいところに付き合いながら時間はまた過ぎていく。
本屋に立ち寄って、文庫本を見ていた。彼女が横から顔を出して、この本の話題を出してくれる。「この本の作家さんが好きなんだ」というと、少し棚を見た後そこから一冊文庫本を出してくれた。
「――さん好きなら、この本も結構いいと思うの。」
「それは読んだことないから読んでみようかな。」
「うん。是非読んでみて。」
前に垂れ下がってきた髪を耳にかける仕草が妙に艶めかしく感じる。喉を鳴らすように、グッと息を飲んだ。心配そうに俺を見上げる彼女に、俺は視線を逸らして渡してくれた本と目当ての新刊を買いに向かった。
ショッピングモール内にある飯処で夕飯を一緒に食べて、駅に向かおうと一緒にネオン街を歩く。完全に日が暮れているので、大方八時前後だと考える。それぞれの家はこの駅を挟んで反対方向なので駅で別れることになるだろう。駅前まで来たところで彼女が小さく呟いた。確かに「帰りたくないな……。」と聞こえた。俺は驚いて彼女を見る。
「男に帰りたくないって言ったらどうなるかわかってるよな?」
「……。」
彼女は黙って俯いている。本当にいいのか問うと、小さく頷いた。彼女の肩を引き寄せ、唇を奪う。一度すぐに離してから、先ほどよりも深い口吸をする。
「こういうことされてもいいのか?」
彼女の顔は真っ赤に染め上げられていて、潤んでいる瞳からは熱がこもっているのが見えた。俺も彼女も、もとからそのつもりだったというのだろうか。抑えられないような気がして、気持ちが昂っていくのを必死に抑えようとした。
彼女の手を引いて向かう先はきっと彼女も気づいてるはずだ。
それはあまりにも熱くて。 海月 蛍 @Kryo_9SnSt
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