鵺の哭く城

崎谷 和泉

第一話 鵺

 不言色いわぬいろまなこと思しき二つの光が暗い深淵からこちらをうかがっている。

後に日本儒学の祖と称される藤原惺窩ふじわら せいかは幼い頃から幾度となく同じ夢を見て夜を数えていた。しかしは夢とうつつの境界を越えて行き来するのであろうか。齢十七にして播磨龍野の景雲寺でにある惺窩が座禅を組み意識を内に沈めれば、果たしてその視線は暗い深淵からこちらを窺っていた。


 戦国の乱世、播磨(兵庫県南西部)一円は畿内を制圧した尾張の織田信長が率いる新興勢力と、安芸の毛利輝元が束ねる中国地方の巨大勢力によって東西から噛み千切られ夥しい血と死の臭いが立ち込めていた。とりわけ東から破竹の勢いで進撃する織田の先鋒 羽柴秀吉の軍は特筆され、播磨に割拠する武将達は同軍に抗う者と恭順する者とで大きくその命運を分けていた。


そして今まさに藤原惺窩が師の勧めで謁見する人物とは、かつて播磨で龍野たつの城の主を努め羽柴秀吉に無血で城を明け渡した亡国の将であった。秀吉から近隣の小城である乙城に蟄居ちっきょを命じられた龍野城主が教えを請う相手を探しているのだという。

「城を追われたご城主さんに何を教えろいうねん」

乙城に向かう惺窩の足取りは重く、その高い背中は肩を落としていた。


 春、霞を染める蒼い空の下、播磨の色濃き深山に山桜が咲いている。かつて源平が覇を賭け火花を散らせた播磨灘も今は穏やかな凪が広がり遠くに小豆島の影を浮かべている。


 乙城に着いた惺窩は奥の庭に通された。決して広くはないが手入れの行き届いた庭だった。そこにその武将は立っていた。いや武将と呼ぶには余りにも若く何より姿が女子おなごの様に涼しい。惺窩よりひとつ年下と聞いていたから齢は十六であろうか。しかし惺窩が虚を突かれたのは、その花のような風貌やして彼が手にする似つかわしくない黒鞘の太刀のせいでもなかった。


「お前、取り憑かれとんのか!」

「……修行僧とお伺いしていたのですが随分と乱暴な物言いをされるのですね」

「誤魔化すんやないわ! 後ろのそいつは何や! 妖の類にしても桁違いやろが!」


目前の若き将の背後にはヒグマを遥かに凌ぐ巨魁が地べたをい静かにこちらをにらんでいる。虎の如き巨躯に大蛇の鎌首を尾に持つ異形のそれは顔を赤く丸いで隠し武将の肩越しに惺窩を警戒していた。

「後ろのこれはぬえというそうですね」

「…っ!そしたらその太刀は獅子王か!」

どこか影のある若き武将の目元が初めて和らいだ。


「申し遅れました。私は赤松広秀と申します」

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