偶力

山船

エピソードタイトル無し

 ヤンデレというものは、不足している人に過剰量を与えると心底喜ぶということだ、と表現した人が居た。例えば更級日記では源氏の五十余巻として仏像を作るほど源氏物語を求めていた菅原孝標女が全部一気に与えられて大層喜ぶ描写がある。他にも、例えば飢餓にある人に山のような食物を与えれば喜ぶが、今日本で中流階級を形成している人にそんなものを差し出しても困られるだけであろうことは明白だ。ここから、ヤンデレというものは現実で肯定を受けていない人が過剰量の肯定を与えられるので喜ぶ、という帰納的推論が成り立つという話らしい。

 で、そのヤンデレの細分化された一種に、好きすぎて相手を殺すという類のものがある。結構な場合で独占欲とかに起因するらしいが、その細かい思考とかは知らない。肝心なのは、もし自分がこのタイプのヤンデレと相対したとして、殺されるのは別に構わないが、『好きすぎて』という点が良くない、という私の主張だ。何も非現実的だとかそういう批判をしたいわけではなくて、その動機が自分には美しく見えない、というだけの主張でもある。せっかく創作物なんだから美しさを追求したいものじゃないだろうか?それが露悪的なものであっても、作者の性癖によって一般には拒否されるようなものでも。いや、過剰量の愛が美しいと作者が主張するならそれでもいいんだけど、とにかくね、……。

 む、すまない、話が無駄に長引いた。それじゃあ本題に入ろう、私が主張したいのは、已むに已まれずとか、知的興味によってとか、それの結実によって殺すという選択肢以外を取れなくなった状況、その周囲こそが美しいと主張するわけだ。もちろん愛が重くなってそれ以外見えなくなるってことはあるだろう、あるだろうけどそれは盲目になっているだけだ、実際には他の選択肢もある。如何に盲目になっていくかという過程を描いたもの、それ自体の良さもあろうけど、それはそれだ。君にはこの思想に賛同してもらえるだろう、賛同してもらえなくとも理解は示してくれるだろうというわけだ。何、不満そうだね、それでも大丈夫だ、一つ話をしてあげよう。

 正直私だとこれだけでもうお腹いっぱいなぐらいなんだが、ちょっと想像してみてくれ、自分の喉に突き立つ包丁と、目の前には眉を顰めるように強張らせて過呼吸気味に陥っている美少女が。……何も心を動かされない?じゃあもうちょっと考えてみてくれ、遡るとこの美少女は何らかの理由で私を殺すという選択肢が浮かび、最初は一笑に付すような選択肢だったそれが、段々とウェイトを増して、しまいには殺さねばならぬという気持ちにまで至るという経緯を。その心理的圧迫を考えると、感情の作用としてとても美しいものだろう?……ぜんぜんわからない、そうか。じゃあもう一つ話をしようじゃないか。

 次はもうちょっと具体性を示さなきゃいけないだろうな、じゃあちょっと考えるから三十秒ぐらい待ってくれ。…………よし、考えついたから聞いてくれ。まず、人を殺めるなんてのは滅多にしないことだろう?ほとんどの人は人生で一回もせずに終わるわけだ。ああ、もちろん能動的なもののみを指して事故とかトロッコ問題みたいな回避できないものを除く。すると、好奇心は猫をも殺すという言葉があるが、今回は社会的にということになるが、知的好奇心を抑えきれなくなって、ついに親しい間柄の他人に手を出そうという考えが浮かび、否定して、ついには留められなくなる、といったところだ。……少しわかる?おお、有り難い有り難い。それで、私はこれをとても美しいと思うわけだよ。君はどう思うかい?何、そんなに急く必要は無い、じっくりと考えればいいさ。

 何、もうちょっと詳しくか。どうしたものか、そうだな。私が良いと感じるところを直接言語化した方が早いか。例えば……まあよくあるようなものだと、可愛さ余って憎さ百倍なんてのがあるだろ。あんな感じで、まあ最初亡き者にしなければならない、って考えが脳裏をよぎる。もちろんシリアルキラーでも無い、社会的にも人殺しは全く許容されないものだから即座に否定する。そのときは『ははは、何考えてんだろ』ぐらいで終わるだろう。でも、その後にも事あるごとにそのことが浮かぶ。よく勉強のコツとかで言われてるだろう、繰り返し見たり考えたりすることでそれが強く記憶されるという、そんなのが起こるわけだ。いつの間にか即座には却下せず選択肢の一つには入っていて、それでもまだ『まあ、まさかね』ぐらいで考えてる。現実だと社会性っていうものが案外強くて、ここより先に進んでしまう人もそうそう居ないだろう。社会性っていうのは三十にもなって付き合った人の一人も居ないのはヤバイ、みたいなそういう圧力の類だ。人を殺すなんてとんでもない、そういう圧力があるだろう。なので適当に小事件でも起きて、感情の黄泉比良坂を転がり落ちていくわけだ。して、最早頻繁に浮かんでくる『相手を殺す』という選択肢と、それを押し止める理性、それでついには頭の中を殺意だけが支配してしまい、殺すに至るというわけだ。どうだい、とても良いと思わないか。そんなに眉を寄せて考え込むことでもないだろう、感覚の話だ。

 ……お、何か考えついたか、言ってみてくれ。


「………………ちょうど、こんな感じになるのだろう?」

 君が腕を伸ばしてきたかと思うと、私の思考は激痛に沈められた。

「へぇ、こんなものなんだね」

 満足げな君の顔が暗転した。

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偶力 山船 @ikabomb

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