道化の求愛
雨月夜
第1話
私は、セックスが嫌いだ。
如何して人が、あの様な行為を求めるのか、全く理解出来ない。
欲を以て肌を撫でてくる手。這いずり回る舌。其の行為を喜ぶ猫撫で声。挿入ってくる男性器。
全てが全てに、生理的嫌悪感を禁じ得ないのだ。背筋が粟立ち、吐き気を催す。
誰だって、如何しても生理的に受け付けない感覚の1つや2つ存在するだろう。
私にとって、其れこそが「セックス」だった。感覚的には、蛙の卵に手を突っ込んだり、蛇を肌に這わせたりする方が、よっぽどマシだとさえ思う。
しかし困った事に、セックスとは「愛情表現」らしいのだ。
私はずっとこの戯言を、只の穢いモノに蓋をする為の綺麗事だと信じて疑わなかったが、どうやらそうではないらしい。世間一般にとっては戯言でも何でもなく、寧ろそれが真理だと知った時の空虚感は、其れこそ只の笑い話だった。
「また難しい事を考えているでしょ。」
少しだけ茶化す様な低い男性の声に、私はハッと我に返る。
仄暗いラブホテルの一室。その行為の為だけに存在する空間の、祭壇の様な天蓋付きのベッドに腰掛けながら、私は知らずにその男の手を握っていた。
「ごめんごめん。」
そう笑って、私はその男に甘える様に凭れ掛る。男の匂いに心が満たされるのと同時に、肌と肌が触れ合うその予感に、激痛にも等しい寒気が走った。
セックスに対する嫌悪感を、男に話したことはない。話す意味を一切感じないからだ。
だって私は、この男を、心の底から愛している。
私が、他者への自己開示の一環として「セックスへの嫌悪感」を軽い調子で話すと、大抵の人は「本当に愛する人に出会えば解るよ」と謂う様な、訳の分からない事をまるでこの世の真理の様に語ってくれる。
又は「そういう愛の形もあるよね」等と謂う、毒にも薬にもならぬ綺麗事を優しいフリをして吐き捨てていくのだ。
どれ程身を焦がす程に惹かれる人に出会っても、心の底から「愛しい」と思える人に抱かれても、私の此の嫌悪が消える事はない。
「本当の愛の前では嫌悪感は存在し得ない」と思える様な人間と謂うのは、きっと、愛する人に抱かれながら早く終われと願い続ける罪悪感も、行為が終わった後に1人で吐く空虚感も知らぬのであろう。
愛する人とのセックスを「幸せ」と感じる機能が、私には欠落している。それどころか、激痛にも等しい苦痛である。
しかし、一般的には其れこそが幸せであり、愛情表現である。
…只、其れだけのことなのだ。
そんな下らない話を、誰よりも愛しい男性に話す必要性を、私は感じない。
だから私は、甘えて凭れ掛ったまま、男の服を脱がせに掛かる。
其れに反応した男が幸せそうに笑い、私の肌に口付けていく事に対する耐え難い吐き気を奥歯で噛み殺して、私は道化の様に笑い、喘ぐ。
「もっとキスしてよ。」
そんな心にも無い事を笑顔で言う私は、只の道化だ。
人を適切に愛する機能さえ欠落している私には、道化以外の愛情表現が思いつくはずもない。
嗚呼!伽藍洞の自分が酷く憎たらしい。
人様から愛して頂ける様なモノを何一つ持っていない。愛情と謂う美しいモノを表現する手段さえ持ち合わせていない。
そんな空っぽの道化の中に、嫌悪感という澱だけが沈殿しているとして、それに何の意味があると謂うのだろうか。
「愛している。愛している。」
まるで赦しを乞う様に囁く言葉さえ、自分でも笑える程に薄っぺらい。そんな自分に、価値等と謂う高尚なものが存在しようハズがない。
其れでも、私は、目の前の男が愛おしいのだ。
此れが自己愛なのか他者愛なのかさえ判別出来ないが、判別したところでそれにも意味等無いと感じる。
行為の最中、男はとても優しい目で笑い、宝物にでも触れる様に私の髪を撫でる。
其れが嬉しくて、苦しくて。
私は何時も、心の中で涙を流すのだ。
私の身体等、どうでも良い。
感覚も、感情も、思想も、全て。どれも、大した価値等無いのだ。
だから私は、全てを投げ出して、男に抱かれることを選ぶ。
痛みを訴える心をナイフで刺して、身体感覚を痛みで誤魔化して、冷静になろうとする思考の首を絞めて。その上で、幸せそうに笑うのだ。
其れこそが私の求愛であり、最上級の愛情表現なのである。
道化の求愛
(愛して欲しい、なんて)
道化の求愛 雨月夜 @imber
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