三章 呼ぶ声と -伍拾壱夜 かくとだに-
朝、バイトに行くと言う小野を送り出して、合宿中の空いた時間に読もうと鞄に入れていた本を読んだ。丸一日寝ていたから眠くなかったし、することもない。小野が用意してくれたお粥が冷蔵庫にあるから、昼食も温めるだけだ。
「……有川先ぱい?」
ラックに放置されていた携帯電話が震える。着信を確認し、そろそろ充電しなければと思いながら通話ボタンを押す。
『おはよう、草町くん。具合はどう?』
「おはようございます。大分よくなりました」
『うん。受け答えもハッキリしてるね。昨日の昼にでも連絡が来るかなと思っていたんだけど、音沙汰なかったから気になってさ。ちなみにこっちは何事も無く京都観光と創作活動に励んでるよ』
『何ウソ言ってんすか!この惨状のドコが何事もないっ』
『電話してんだからちっとは大人しくしとけ!』
電話の向こうで文月君が叫び、副会長らしき怒鳴り声が響いた。有川先輩から報告はなかったが、恐らく創作活動と平行して百人一首の特訓もやっているんだろう。寒気がした。
「そちらはお変わりなさそうですね。すみません、きのうは一日ねてました」
『うん、元気ならいいよ。小野くんと喧嘩とかしてないだろうね?』
「……なぜ、おのが出てくるんです」
『誰かに連絡とって面倒見てもらうって条件……小野くんにしたんじゃないかと思ったんだけど、違ったかい?』
見抜かれている。最終的に小野を選んだ理由まで言い当ててきそうでこわい。
沈黙は肯定だが、面白そうに笑っている顔が脳裏をチラついて反論するのが馬鹿馬鹿しくなった。これ以上遊ばれるのはごめんだ。
『あ、そうだ。貴船にお参りに行っただろう?』
「?はい。それが何か?」
『貴船は、恋を祈る社でもあるんだよ。縁結び、効果があるといいね』
今度こそ言葉が出なかった。遊んでいるのか、カマをかけているのか、それとも他の何かか。猜疑を通り越して呆れに近い。一体この人は。
「どこまで知っているんです」
『さて、何の話かな?』
「……」
わかりやすくはぐらかされて、どう答えたらいいものかと思っていると携帯が充電が切れそうだと主張を始めた。クスクスと笑う声が聞こえる。
『一応、こっちの皆も心配してるんだから連絡は取れるようにしておいてくれよ?』
「はい、すみません」
『あと、八つ橋は腐らないうちにね?「宿題」も忘れずによろしく』
そこで通話が切れた。旅行鞄に入れたはずの充電器を出そうと手を伸ばして漁ると、見慣れない袋が入っているのに気付く。結ばれている持ち手を解いて箱を取り出した。
「なまやつはし……」
そう言えば自分で土産を買う余裕もないままとんぼ返りしてきた。いつの間に仕込まれたのか。
定番のニッキと抹茶のそれをラックへ置こうとした時、ひらりと膝の上に紙が落ちた。袋と一緒に入っていたらしい。
――草町くんへ
体調はいかがかな?
無理せず、固形物が食べられる様になったら小野くんと仲良く分けてください。
追伸
合宿で共に創作活動に励めず残念ですが、草町くんの恋歌を楽しみにしています。
有川
「………………」
宿題って、これのことか……。
微熱の残る体調不良のせいではなく目眩がして後ろへ倒れ込む。脆弱な自分の体をここまで恨んだのは初めてだ。
枕に顔を埋めて、具体的な数の指定がないことへの恐怖から必死に目を逸らした。
夕方、充電した携帯電話の電源を入れた時にサークルの面々から律儀に見舞いのメールが届いていたのに気付き、返信を打っていると小野が帰って来た。
「ただいま。起きてて平気?」
「おかえり。うん、もう大分いい」
「メール?」
「あきづきのみんなから見舞いのメールが来ていた。文月くんなんて行った先々でとった写真つきで、何通も」
「おー京都だ」
添付された写真を見せると、当然の感想をもらす。ちなみに、文月君のメールには最後に必ず様々な言葉を駆使して「ダンナは鬼」と添えてあった。一日二日会わないうちに大分語彙が増えたように思う。
一度では送りきれないから同じ文面で二回に分けて返信を終え、携帯電話を閉じた。八つ橋の隣に置くと、小野の視線がその箱をとらえる。
「あれ?こんなのあったっけ?」
「有川先ぱいがいつの間にか荷物にまぎれこませていたらしい。あとで食べよう」
「オレももらっていいの?」
「みやげだからな」
素直に嬉しそうな顔をする小野を見て、珍しい味のものを買って来てやれたらよかったなと少し思った。土産をせがんだ下手な笑顔と、駅まで迎えに来てくれた時のほっとしたような顔が思い出される。土産と引き換えに強がりが安堵へ変わるなら安いものだろうか。
その日の夕飯は、何やら色んなモノが入った粥みたいなものだった。僕は発熱すると粥のような流動食と果物以外を受け付けなくなる。食事そのものが面倒になるというか、噛んで飲み下す気力と体力がなくなるのだ。
何が食べたいと聞かれた時に粥と答えた時は変な顔をされた。三食連続まっ白いそれに文句一つ言わない僕を見て何を思ったのか、食事の準備をするために立ち上がった小野が作ったのは白粥ではなく、味噌や卵や野菜などなどが入ったものだった。
体調が戻ってきているのもあるが、ただの粥より食が進む。小野が安心したような、嬉しそうな顔で笑ったのが見えて、僕まで頬が少し緩んだ。
「あー……のさ、聞いてみてもいいかな」
丼の底が見え始めた頃、先に自分の食事を終えた小野が手持ち無沙汰に食器を弄りながら切り出した。なんだかそわそわと落ち着かない。
「なんだ」
「その、前より……意識、してくれてる……?」
いしき。意識。それは、あれか。恋愛対象として、ということか。
改めて考えると、与えられる好意に翻弄されるばかりだった気がする。好きと言われて、向き合おうと思って、色々考えていたはずなのに、まるで見当違いの思考回路で今まで過ごしてしまった可能性が見えて戸惑う。
顔が勝手に熱くなって余計に困乱している僕と反比例するみたいに、落ち着いた様子で小野が話す。
「草町さ、オレの事、たくさん考えてくれてただろ?嬉しかったよ。今まで本読んで学校行って食べて寝てっていう草町の生活に『オレのこと考える』ってのが加わってて。でもね、これからは、自分のことも考えてほしいなって」
「ぼくの、こと……」
「うん。……草町がどうしたいのか。できれば……オレと、どうなりたいか」
「……――」
「答え出すの、今じゃなくていいから。考えてみて」
百夜通いを始める時、小野は「恋人になってほしい」と言った。そういう、ことだろうか。笑ってるのを見ると安心するとか、そういうことではなくて。
僕は、どう在りたいだろう。小野に、僕にとってどういう人であってほしいんだろう。
「……わかった。かんがえる」
「うん。……さ、もうちょっとガンバッテ!残しちゃダメだよ?」
小野が笑う。無理をしている様には見えない。一時期のぎこちない雰囲気が嘘のように、穏やかな空気で食事を終えた。
空になった食器を下げたのと反対の手が僕の頭を撫でる。顔を上げると、知らない音が耳を撫でて、ドクンと鼓動が跳ねた。
「Tu ne sais pas encore la profondeur de ma pensée.」
「え……なに?」
頭を撫でた手が今度は札を差し出している。ベットに腰掛けて、とんとんと手中のうたを指で示された。
――わたしの焦がれる様な想いなど、あなたは知りもしないのだろう。
そう、言ったのだろうか。言葉も心も、小野のことはまだまだ知らないことだらけだ。返す言葉を見つけられずに黙り込む。
「草町ってさ、オレのフランス語、すき?」
「……うん」
唐突な問いに面食らうも、考えればすぐに答えが出た。
知らない言葉、音、込められた想い。興味がある。けれどそれ以上に、心惹かれるのはどうしてだろう。わからないけれど、好きだと思う。小野が紡ぐ新鮮な音が、言葉一つ一つを大切にしていることを伝えてくれる。
「へへ、ありがと。……オレね、草町のちょっと赤くなって言葉を探してる時の顔も好き」
「……!?」
具体的にどこを、と言われたのは初めてで、ぽかんと口を開けて固まってしまった。なんて顔でなんてことを言うんだ。そんな、いたずらっ子と称すには色気のある顔で。
僕が固まっている間に小野はもう一度僕の頭を撫でて、二人分の食器を持ってキッチンへ向かう。後ろ姿までどこか楽しそうで、見ていられなくてベッドに転がった。頭まで布団を被って、壁の方を向いて小野に背を向ける。
「草町ー?寝る前に薬飲んで、入れそうなら風呂も入れよー」
小野が気付いて声をかけてくる。わかっている、そんなこと。今日は風呂に入ってから寝るつもりだ。でも。
でも、もう少し待ってくれ。火照った顔の熱がどうにか収まるまで、もう少しだけ。
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