八、機体

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 以前クルトの家でヒントを貰ってから、新型エンジンへの換装に伴う反トルク対策については劇的に改善していた。


 参考になる機体としてクルトの口から出たミッツェルジュード社のMj001Kについて調べると、通常の垂直安定板だけでなく、機体下部に小型の垂直安定板が2枚取り付けられていた。

 ベントラルフィンと呼ばれるこの小さな尾翼は、通常の垂直安定板だけでは横方向の安定性が不足した場合に、機体下部に下に向けて設置することでその水平安定性を助ける働きをする。ハンス達の機体にもこれを応用したところ、反トルク対策については無事完全な解決を見た。


 一方、もう一つの課題としていた機体の大幅な改造による速度アップについては、同じくクルトが口にした”空気抵抗を下げる方法は機体全体の縮小だけじゃない。他のやり方も考えろ。”というヒントから、ハンスが自分で考えた独自の意見を主張した。


 ハンスの理論はこうだった。

 現状でも以前のモデルより機体の全長を20%、全幅を21%縮小し、ギリギリまで空気抵抗を減らすよう成形し直しているが、さらに速度を上げるためにはまだ削減できる部分があると言う。それがラジエーターだ。


 ラジエーターとは熱交換器の一種である。ハンス達が新たに自分たちの機体に搭載したダニエル・メルツ社製の新型エンジンは水冷式エンジンであるが、水冷式エンジンでは燃焼によって高温化したエンジンがオーバーヒートしないように水を使って冷却する。そして一旦エンジンの熱を奪って高温になったその水は、ラジエーターを通すことで温度を下げられ再利用される仕組みとなっている。


 現在ハンス達の機体の機首下面にあるラジエーターは、その性質上機体から突出させて設置されている。それはどの航空機でも同じで、むしろ機体から少し離して突出させる方が機体表面のゆっくりとした気流の影響を受けずに済み、より空気抵抗を減らせるのだ。ただ、それでももちろん突出させている分ラジエーターが機体全体の空気抵抗を増加させていることには違いない。


 そこでハンスは、そんなラジエーター自体を取っ払い、主翼表面での表面蒸気冷却方式に変えれば、空気抵抗を現状よりさらに1〜2割減らすことができると主張した。

 なお表面蒸気冷却方式とは、蒸気化させた冷却液を主翼等の機体外板の表面に取り付けたコンデンサに誘導して腹水し、熱を奪って冷却する方法である。


「だからさ、表面蒸気冷却方式を採用すれば速度もかなり変わってくると思うんだ。俺の計算だと、それだけで30km/hくらいはプラスになると思ってる。」

「バカ、簡単に言うなよ!水を再利用できないんだからその分積まなきゃならないし、そもそも設計も工作も複雑すぎる。熟練した職人でもいるなら別だが、俺たち学生のチームでそこまでの改造はできねぇよ。」

「冷却水はレースで使う分だけ積めばいいんだし、速度に影響するような負担にはならないだろ。設計は俺がやる。まだラフだけど簡単な設計図を描いてきた。工作だってどうにかなるさ。アトリアで過去に作られた機体があるんだ、その資料を取り寄せることができればー」

「設計は誰がするって!?それにもしその資料を取り寄せられたとしても、結局作るのは俺たちなんだぞ!?」


 ハンスとジルベールは航空機設計のゼミの授業で言い合いになっていた。

 このゼミでは数人のグループに分かれてそれぞれのグループで自由にテーマを決め、一枚の設計図を描くことになっている。ハンスらのグループのメンバーはハンス、ジルベール、レイ、イアン、ヘンリーの5人だった。

 どうせなら代表チームの機体を議論できる場にしようと、チームの中でたまたま同じゼミを取っていた5人でグループを作ったのだ。


「だから、俺がやるよ!完成版は1週間で描いて来るから心配するな。いや、5日あればいい。」

 ハンスは断言しながら机の上に自分が描いてきた設計図のラフを広げた。

 絶対に負けられない次のレースのためには、操縦訓練に入らなければならないギリギリの期間まで可能な限り機体の性能を上げたいと思っていた。もし表面蒸気冷却方式が成功すれば確実に速度を上げることができる。少なくともハンスはそう信じていた。


「二人とも落ち着いてよ。意見が分かれるのはわかるけど、喧嘩したってしょうがないだろ。」

 イアンは困ったような顔で二人を見た。

「喧嘩なんてしてねーよ。なぁ、レイはどう思う?」

 ハンスは設計の知識も豊富なレイに意見を求めた。

「うーん…、難しいんじゃない?このラフを見てもとりあえず構造がかなり複雑であることは間違いないし…。表面蒸気冷却方式は、問題があったからこそこれまで正式採用されてこなかったんだ。試作機の段階では何体か製作されているけど、どれもその後開発途中で放棄されてる。航空機メーカーでさえそうなんだから…。」

 レイは机の上に広げられたハンスの設計図を見ながら答えた。


「…でも、正式採用されなかったのは戦闘機に応用することが難しかったからじゃない?主翼全体が冷却装置になるわけだから、一発でも被弾すれば命取りになる。それじゃあ脆すぎて戦闘には使えないし。」

 レイの意見に対して普段無口なヘンリーがぼそっとした声でそう言うと、ハンスはそれに同調した。

「そうだよ!!だからレース用であれば問題ないってことだって!試作機の段階では世界最高時速を出したことだってあるんだし…」

「あのなぁ、もうレースまで2ヶ月切ってるんだぞ?今からそんなことやってて間に合うかよ!それにテスト飛行で事故でも起きたらどうすんだよ!?」

「そんなのやってみなきゃわかんないだろ!!」


 そのぶっきら棒な返答にジルベールはついにハンスの制服のシャツの胸ぐらを掴んだ。

「無茶言うのもいい加減にしろよ!!パイロットだからって調子に乗るな!チームクルーの意見もちゃんと聞けよ!」

 だがハンスも全く怯むことなくジルベールの制服のシャツの胸ぐらを掴み返した。

「誰が調子に乗ってるって!?意見を聞いてから反論してるんだろ!そっちこそ否定ばっかりしてないで実現するにはどうするかを考えろよ!」


「もうやめろって!!」

 イアンは二人を止めようとしたが、体が小さいこともあり烈しい二人の間に入るのは躊躇われた。レイとヘンリーはいつものことだと思い、向かいの席でただ傍観している。

 仕方なくイアンが動こうとしたとき、ハンスとジルベールの二人は突然強い力で引き剥がされた。


「そこまで!二人ともうるさい!他のグループの邪魔だ。」

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