七、会談

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 10日ほど前、エラルドはバルタザールとの会談に向かっていた。

 以前スミルノフたち幹部と話し合ったすぐ翌日には早速レグルス側にバルタザールとの会談を申し入れていた。正統な方法で要請したとしてもおおよそ返事がないか拒否されるかのどちらかだろうと思っていたが、思いもよらずわずかその3日後に会談の機会を得た。

 これまでのレグルス側の対応とはあまりに違うスピード感であったことから、バルタザールがリーダーに変わったことによって内部体制が大きく変化していることを伺わせた。


 貧困街の外れにその場所はあった。貧しい人々が住むあばら家のようなバラックが密集した地帯の中に忘れ去られた、枯れた小さな井戸の付近だった。

 昼夜問わず治安部隊がうろついているので、近年は貧困街に反政府組織の拠点をつくることは稀だった。多少訝しく思いつつも、エラルドとドレイクの二人は小雨がちらつく中指定された場所に到着した。


 向こうから会談の相手や人数についての指定は一切無かったが、エラルドとしては自分自身が出向くことに迷うところは全く無かった。レグルス側にはトップとの会談を要請している以上、こちら側から同じ立場の者が参席することは至極あたりまえのことだった。

 だが一人で向かうことについてはドレイクが異を唱えた。特に向こうの思惑が全く見えない以上、十分な人数の警護をつけて当然だと主張したのだ。

 エラルドとしては会談の結果が読めないからこそできる限り相手を刺激したくないという思いがあったのだが、しばしの議論の結果、警護は最低限の人数にとどめることとなった。その場合の最上案としてドレイク自身が同行することになったのだ。


 2人は雨を避けて近くの空き家の軒下に壁を背にして立っていたが、エラルドが自身の腕時計に目をやるとすでに約束の時間を20分ほど過ぎていた。

 さらに10分ほど経ってエラルドが何度目かの針の位置確認を実施したとき、隣で警戒態勢を取るドレイクが小声でささやいた。


「すでに数人がこちらに銃口を向けている。わざと気づかれる距離ですぐに撃たないのは、こっちに攻撃の意図がないか探ってるんだ。…そろそろ迎えが来るぞ。」


 その言葉通り、バラックの間を通る狭い小道の奥から、突如一人の人物がゆらりと出現した。

 そこそこの長身だが体つきは細身で、上は白い長袖のシャツ1枚で小雨の中上着も着ていない。黒い細身のズボンのポケットのあたりを見ても銃を隠し持っている様子はない。連絡係だとしてもかなり不用心な格好に違和感を持った。ドレイクもそうらしく、逆に警戒を強めている。


 その男はドレイクとエラルドの隣に2メートルほどの間隔をあけた同じ軒先の下にたどり着くと、やはり二人と同じように壁に背を向けて佇んだ。

 並んで立った3人の男の間に少しばかり不自然な沈黙が流れたとき、その男はこちらを見ることもなく、ふいに口を開いた。

「…お前がアルデバランのリーダーか。俺がバルタザールだ。」


 ささやくような声を聞いて2人は驚いた。いきなりトップのバルタザールが危険な貧困街の屋外で銃も持たずに一人で現れるなどということは、予想の範囲を超えていたのだ。途端にかなり罠の気配がして、二人はいったん黙った。


「俺と話がしたいならついて来い。」

 二人の返事を待つこともなく、バルタザールと名乗った男は元来た道の方へ歩いて行った。二人は一瞬顔を見合わせたが、何も言葉は発さずにただ頷いた。

 たとえ罠だとしても会談の機会を持たなければ事は進まない。もし自分に何かあっても代わりはいる。エラルドは即座にそう考え、ドレイクの方は逆にエラルドを無事に返すことを最優先と心得ながら、二人はその男の少し後をついて行った。


 その男はバラックの中の一軒の民家のような建物に入った。

 男が消えた瞬間、ドレイクはすぐさまその建物に近づいて慎重に中の様子を確認した。入り口にはドアが無く、全ての窓にはガラスも無かった。壁には銃弾の跡がいくつもあり、家具も建具も何もない、ただの開け放たれた箱のような造りだった。

 先に入った男の姿も見えなかった。ただ向こう側の壁には、暗闇に抜ける戸口が一つだけある。こちらもやはり扉は無く、悪天候の薄暗い最中では戸口の先がどうなっているかまでは判別できない。


 一瞬の間にそこまで確認して、ドレイクはエラルドに向かって自分に続くよう合図をした。いかにも罠のにおいしかしないが、殺すことが目的であれば最初の時点でとっくに撃たれている。軒先で感じた銃口の気配は今もまだ消えてない。何にせよ今の自分たちには先に進む以外に選択肢はないのだ。


 二人は建物に入り、そのまま暗闇に続く戸口の向こう側に足を踏み入れた。

 そこは狭い空間でやはり真っ暗だったが、すぐ右側に地下へ続くらしい階段があった。レグルスの基地へ至るための階段だとすればあまりにも開けっぴろげすぎる。ただエラルドは躊躇うことなくその階段に足をかけた。

「…いくぞ。」

 エラルドのその言葉に、ドレイクは静かに頷いた。



 予想よりはるかに長い真っ暗な階段を下りると、さらに入り組んだ廊下を進み、ようやく光のある場所に出た。

 小さなホールのようなその場所には銃を持った門番が数人、壁にもたれかかるようにして立っていた。ホールの壁には一つだけ見るからに重厚そうな鉄の扉がある。


 驚いたことには、その向こうから微かに音楽のようなものが漏れ聞こえていた。門番たちは二人が現れたことを確かに確認したが、奇妙なことにすぐに視線を外した。

 だがその中の一人がいかにも気怠そうに扉の向こうへ入るように合図したので、二人は黙ってその扉を開けた。


 扉の向こうには大規模なバーやナイトクラブを思わせるような暗く騒がしい空間が広がっていた。レグルスのメンバーなのか、いかにも無法者を思わせるような出で立ちの男たちと妙に着飾った女たちが、大量に置かれているソファやテーブルなどの至るところで酒を飲んで騒いでいる。


 二人は予想もしなかった展開に呆気にとられた。だがすぐに目的を思い出し、先ほどの男の姿を探すことに目線を預けた。


 広い空間の向こう側には、唯一はっきりとした照明がついているバーカウンターのようなものが見える。その一番右端に白いシャツを着た男が一人で座っていた。線の細い体型からしてもおそらくさっきの男だ。

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