第2話 群青の空

開けっぱなしの窓から降り注ぐ朝陽が、夏の朝を知らせる。


「亜子ちゃーん、遅れるよ。ほら、おにぎり食べて行っておいで」


階段の下から、おばあちゃんがいつものように寝坊助の私を呼ぶ声が聞こえた。


「はぁい」


布団はそのまま、お腹に掛けていたタオルをぽいっと置き、蚊除けの網である蚊帳かやから這い出て部屋を出た。



ちゃぶ台の大皿にはおにぎりが7つ乗っている。


私が2つ。


おじいちゃんが3つで、おばあちゃんが2つだ。


「いただきまーす」


虫が寄らないように被せてある蠅帳はいちょうを持ち上げ、おにぎりを2つ取り、大きな口でかぶりついた。


「えー、昆布だ。梅干しが良かった」


「出汁とったやつが勿体ないでしょう?その中のどれかは梅干しだよ。そっちに持ってるやつがそうかもしれないよ。はい、お茶」


「ありがと」


ごくごくと勢いよく飲むと、乾いた喉にお茶が流れ落ちていくのがわかる。


「ほら、亜子ちゃん!ラジオ体操遅れちゃう!」


慌ててもう1つのおにぎりも急いで食べ、縁側の方からサンダルを履いて駆け出した。



もう1つのおにぎりも、まさかの昆布だった。



家から走って1分ほどの公園には、既に近所の大人や子供達が集まっていた。


小さなこの島の学校は、私たちで最後の生徒になるかもしれないらしい。


学校には2年生の生徒しかおらず、私を抜くと、男女ふたりづつしかいない。


転校してきた私を先生は歓迎してくれたが、クラスメイトにはあまり話しかけられなかった。


「はーい!みんなおはよう!そろそろ始めるぞ!」


側に居た体格の良いおじさんが、手を二度叩いて大きな声を出した。


私は嫌われている。


頬にある傷のせいで、気持ち悪がられている。


ここに来る前に住んでいた町で、同じ学校の友達にからかわれていた事は、昨日の事のように覚えている。


この小さな田舎町でも、私はひとりぼっちだった。



「最後に深呼吸ー。いっちに、さーんしっ・・・」


やっと今日のラジオ体操が終わる。


息を吸って胸を張る。


空はどこまでも明るく。


清んでいて、とても美しい。


でも、虚無感が拭えなかった。


まさしく海の様な、群青の空にカラスが飛んでいた。


「ごーろく、しち、はち」


ラジオが終わるのと同時に、全員がそれぞれ隣にいる人に「お疲れ様ー」と挨拶をした。


首から下げたカードの、今日の日付の所に判子を押してもらう。


その後は、井戸端会議を始める人もいれば、遊具で遊びだす子供もいた。


私は、額と首全体にじっとりと滲む汗をタオルで拭いてから、公園を出た。



駄菓子・雑貨屋 タケちゃん。


ここは子供にとっては宝の山だ。


毎日の楽しみの1つでもある。


腰の曲がった老女が店の奥の畳に座り、なかなかの音量でラジオを楽しんでいた。


「先に買うもの決めてから開けなさい」


私がアイスの販売ケースを開けるやいなや、すかさず言った。


「もう決めてるよ。ほら閉めた。タケちゃん。これ、ちょうだい」


バニラ味のホームランバーを見せると、「あんたはいつも偉いね」と笑顔になった。


「10円だよ」


「はい。ここ置いとくね」


ポケットに入れていた10円を、タケちゃんの居る和室の入り口に置き、店を出た。



ミーン ミンミンミン


ミィーーーン ミンミンミーン


ひとり、店の前のベンチに座って冷たいアイスクリームバーを食べる間も、自分を取り囲んでいるのかと思うくらいの蝉が元気に鳴いている。


「あー・・・美味しい」


地面に着かない足をパタつかせ、暑い夏の陽射しの下で、冷たいアイスを堪能していた。



「あ!お前・・・」


同じクラスの男子、友明ともあきだ。


少し離れた向こうからは、同じ2年生の真理と良太、可奈子もやって来ていた。


何かを言おうとした友明から一刻も早く離れたくて、食べかけのアイスを握りしめたまま、坂道を掛け上がった。



「はぁ、はぁ・・・あっつー」


夢中で走って辿り着いたのは、いつもの場所だ。


こんもりと鎮守の森に覆われた神社。


鳥居をくぐり、いつものように階段を登った。



いつものように。



でもいつもと違ったのは、溶け始めたアイスを片手に持っていたせいか。


カラカラ・・・カラカラ・・・


小さく、何かを振るような音が聞こえてきた。


背後に気配感じ、恐る恐る振り返る。


いつのまに、どこから出てきたのか。


私の膝辺りの大きさしかない、頭でっかちの裸の子供みたいな生き物が着いてきていた。



人は驚きと恐怖が過ぎると、声も出ないらしい。


私が腰を抜かして尻餅をついたのと同時に、その頭でっかちの生き物も飛び上がりそうな勢いで後退りした。


「な・・・何っ?!」


何故か同じように驚く姿に、余計に得たいの知れない恐怖を感じた。


声を振り絞るも、喋る様子はない。


まだ震えている足で何とか立ち上がり、一歩後ろに下がる。


するとその生き物は、恐る恐るこちらに一歩進んできたではないか。


「ひっ!」


思わず変な声が出た。


人間でもない、こんな変な動物が居るなんて聞いたこともない。


何かわからないその生き物は、私というより、私の足元をじっと見ている。


「な、に・・・?」


目線の先を見ると、私が落とした砂だらけのホームランバー。


「ま、まさかこれ・・・?」


すると凄い勢いでこちらを見上げた。


「なに!?」


真っ黒の大きな目でじっと見つめてくる。


「あげる!あげる!どうぞ!」


ジェスチャーを加えながらそう言い、逃げたい一心で走り出した。



二つ目の鳥居まで来た所で、後ろを確認する。


「よ、良かった・・・」


耳を済ましても、風で葉が擦れる音と、蝉の鳴き声しかしない。


あの奇妙なカラカラという音は聞こえなかった。


「ホームランバー・・・」


せっかく買ったのに、殆ど食べられなかった。


今となっては残念だが、さっきの状況では仕方無い。



私はそのまま、拝殿の賽銭箱へと上がる階段に腰掛け、息を整えた。


森に囲まれたこの場所は、人の声は無く、木漏れ日が地面をキラキラとさせる。


歴史も古いらしく、大きな御神木はあるが小さな神社だ。


人に会いにくいと言う点ではお気に入りだが、夕方になると蚊が多くなるので注意が必要なのだ。



いつもなら虫採り網や虫かご、昆虫採集セットを持ってくる所だが、今日は何も持っていない。


「・・・どうしよ。あ!」


カサッと小さな音と共に、そばの雑草が揺れた。


バッタでも居たのかもしれない。


悔しい。


「帰ろうかなぁ」


でも今戻ったら、あの変な生き物も居るだろうか。


カサッ


ゴンッ


草が揺れる音のすぐあと、鈍い音がした。


「ひぃっ!!」


草むらの中に、倒れているさっきの生き物がいた。


何故か頭を両手で抑えたまま、石に頭をぶつけてうつぶせで横たわっていた。


その手には、アイスの棒が握られてる。


暫く動かないのを見ていると、突然むくりと起き上がり、棒を差し出してきたのだ。


「生きてる!」


頭から手を離すと、またあのカラカラという音が鳴った。


「もしかして・・・音が鳴らないように抑えてた?」


私の問いに答えることもなく、無言で棒を渡してくる。


「い、いらないって」


逃げようと思ったが、よく見ると棒には【ヒット二塁打】と書かれていた。


「あっ!」


思わず声が出た。


ホームランバーは、【ホームラン】なら無料で1本。


ヒットも合計で四塁打になれば、無料で1本貰える。


今まで集めたのと合わせたら、丁度四塁打になるのだ。


「あ、ありがと」


流石にそのルールをこの生き物がわかっていたとは思えないし、たまたまだろうが、受け取らないわけにもいかない。


そっと手だけを伸ばし、摘まむようにして棒を貰うと、突然くるりときびすを返して草むらの中へと消えていった。


「え・・・」


これを返しに来たのか?


わざわざ?


「あ、王冠!」


さっきの生き物が居た場所に、ペプシの王冠が落ちていた。


王冠の裏をめくる。


ペプシやコカ・コーラには、当たり付き王冠がある。


金額が書いてあるものは、お金が貰えるのだ。


「何だ、ハズレか」


ハズレ王冠をポケットに仕舞い、来た道を戻ることにした。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る