白い卒業式

奥平 舞依

 私が雨が好きな理由

 あー、やっぱり雨が降っちゃった。今日は卒業式なのに……。ホワイトデーなんだからせめて雪が、降ればいいのに…。

 中学校を卒業したらみんな離れ離れ。山間の中学校だから同級生三十三人。私は毎日四十分バスに揺られて登校していた。それも今日で終わり。

 同じ集落から登校していた幼馴染みは一人だけいる。

 その私の唯一の幼馴染み悠樹ゆうき君は山を五つ越えたところにある高校に進学する。

 私は、隣の県の高校に進学することになっている。一週間後には入寮で、次に帰ってくるのはお盆。

 もう悠樹ゆうき君とお別れなんだ。悠樹君は私が学校を出た時まだ帰っていなかったけど、バス停にはいない。 時計を見ると十三時十八分。次のバスは十三時五十二分に来る。こんな雨の日だから学校で時間を潰しているのかもしれない。

 私しかいないバス停は、併設されている小屋のトタン屋根に雨が当たってパランパランと鳴るだけだった。


「はあ、失敗したなぁ。今日は土曜日だったんだ……」

 私の白色の溜め息が空に昇っていって雨にかき消された。なんでこんな雨の寒い日に早くバス停に来てしまったのかというと、平日だと思っていたのだ。

「学校戻ろうかな」

 誰に言うわけでもないけど、一人でぼやく。

朝霧あさぎり、独り言かよ。淋しいやつだな」

 悠樹君だった。いつからか私を下の名前瑞瑛じゃなくて上の名前朝霧で呼ぶようになった。

 昔チョコをあげた時は瑞瑛みずえって呼んでくれたな。

「ねぇ、悠樹君。今日何の日か知ってる?」

 本当はそう聞きたかった。でも、私にはそんな勇気はなかった。

 だって、悠樹君には彼女がいるから……。悠樹君は昔から優しいし、頭もいいし、スポーツも出来た。三年生になってからは隣町の塾に通い始めて、そこであった女の子に告白されたらしい。

 あって数ヶ月も経っていない子が付き合えたなら、私がもっと早く告白しておけば……。それともその子だったから、なのかな。うん、きっとそうだ。うちの学校からも悠樹君と同じ塾に通っている人がいるから、悠樹君の彼女について聞いてみたことがあった。ものすっごいかわいいらしい。

「朝霧。お前さ、昔俺にチョコくれたことあったよな?すっげー前だけど……覚えてる?」

 何でこんなこと言うんだろう。

「覚えてるけど、何で?」

 返答に困って、とりあえずこう答えた。

「いや……あれ、返したっけなーと思って」

「返してもらったんじゃないかなぁ。全然覚えてないけど」

 嘘。私は今も、あのチョコのお返しを待っている。初めて男の子にあげたチョコで、あれっきり誰にもあげたことなんかない。

「今日ホワイトデーでしょ。彼女に返さなくていいの?」

 自分が惨めになって、悠樹君の彼女のことに話題を変えた。でも、そうやって自分が考えてたくないことから目を背けようとしてる自分に気付いて結局惨めになっちゃった。

 もう、いいかな……。全部全部言っちゃっても。私が思っていること全部。悠樹君の優しさに甘えて、言っちゃってもいいかな?

「ねぇ、悠樹君」

「ん?何」

 悠樹君はバス停の外を私の隣に座ってボンヤリと眺めている。

「記憶力、自信ある?」

 覚えていないなら、お盆にあった時覚えていないなら、言っても平気かなって思って聞いてみた。よくよく考えたら悠樹君は頭がいいんだから、記憶力には自信があるはずだ。けれど、

「記憶力?無理。全然自信ねーよ。何で?」 今考えたら分かる。この答えすら、悠樹君の優しさに溢れている。

「じゃあさ、今から言うこと、後で全部忘れてね」

「いいよ」

 ふー。一つ深呼吸をしてから私は話し始めた。

「何で……何で私は駄目なのかな?何で私はいつまでもバレンタインのお返しがもらえないのかな?何で最近知り合った子が悠樹君の彼女になれて、私はなれないのかな?分かってるよ……身勝手だって。でも、絶対私の方が悠樹君のこと知ってるし、絶対私の方が悠樹君の近くにいるし、絶対……絶対私の方が…私の方が……ゆ、ゆっ、悠樹君のこと好きだもん……」

 何で私、泣いてるんだろう。何で私、こんなこと言ったんだろう。

「悠樹君が一番好きなのは、その彼女さんだろうけど……、二番目くらいに好かれてる自信はあるけど……けど……」

「朝霧瑞瑛!お前さ、自分が二番目くらいだと思ってたの?お前さ、馬鹿じゃないの?」

 あっ……思わず言っちゃった……。恥ずかしい。

「いやっ、その、あの……それは言葉のアヤって言うか、間違えたって言うか……、二番目くらいだったらいいなみたいな……」

 悠樹君がおもむろにバックの中をゴソゴソと何かを探し出した。

「何やってんの?」

 私が涙を拭いながら聞いて見ると、

「うるせー、ちょっと目、閉じとけ」

 言われるがままに手で目隠しをして見えないようにする。

 視界が真っ暗になると、ザァーという雨音と私の心臓の鼓動だけが響いているようになった。すると、ベリベリッという紙をちぎってるみたいな音が聞こえてきた。

「……何やってんの?」

 目隠しをしたまま聞いてみた。

「もういいよ」

 そう言われて取ってみると悠樹君の顔がものすごく近くにあってびっくりした。

「どしたの?」

「あーん」

「あーん?」

 私の口が開くとすぐさま悠樹君は何かを突っ込んだ。

「何?美味しい……」

「チョコだよ。チョコ。食ったことあんだろ」

 いや、この食べ物が何かとかそういうのじゃなくて、何で悠樹君のバックの中に入ってて、それが私の口の中に突っ込まれたのか、という疑問なんだけど……。

「バレンタインのお返しは、今日ホワイトデーにするもんじゃねーのかよ」

 悠樹君は私の疑問にも、私が質問する前に答えてくれた。

「そうだけど……あれ、私の本命なの!私としては、本命じゃないんだったらお返しはもういいや…、って思ってたし」

「さっきさ、二番目くらいの自信はあるって言ってたよな」

 低いトーンで悠樹君が言ってきた。怒らせちゃったかな……。

「ごめん、それはさっきも言ったように言葉のアヤって言うか、間違えたって言うか……」

「ほれ、これ食っとけ」

 チョコの箱を渡された。四個入りの高そうなやつだった。

「うん。美味しい」

 私はチョコを頬張っていた。もしかして、彼女さんに渡すつもりだったのかな。だったらもうたべちゃお。張り合おうとしても無駄だって分かってるけど……、

「それさ……」

 もう一個食べようとした時、悠樹君が話し始めた。

「それさ、本命チョコだよ」

「うん。彼女さんに渡すつもりだったやつなんでしょ、これ」

 最後の一個を食べてカラの箱をバックに仕舞いながら言う。手の甲に水滴が落ちる。あれ…何で私泣いてるんだ?

「瑞瑛。お前さ、俺のことが一番好きだって言ったよな。俺もさ……」

 悠樹君が、一度言葉を切った。私の胸には不安が積もる。

「お前のことが一番好きだよ」

 私は一瞬自分の耳を疑った。

 でも、

 私の耳元で悠樹君の声が響いてる。

 息遣いも感じる。

 温もりも感じる。

「ふぇっ、ふぇっ」

 ずっと求めてたはずのモノなのに、何で手が届いた瞬間に悲しくなってんだろ。

「何でお前、泣いてんだよ。俺が泣かせたみてーじゃねーかよ」

 ほらほら泣くなよ、と言いながら悠樹君は私の頭を撫でてくれた。そういえばあの日、八年前のバレンタインデーの日も、悠樹君に渡そうと思っていたチョコクッキーを転んで粉々にしちゃって泣いたな。あの時も確かこうやって悠樹君は私の頭を撫でてくれた。

「私のこと一番、好きだ、って、言った?」

「ああ、言ったよ。だからもう泣くなって。これ以上泣くんだったら、もう知らねえ。勝手に泣いてろ」

 そう言われると私の身体は無意識にビクッと動き、悠樹君の手はピタッと止まった。

 私は悠樹君の肩に押し付けていた顔をゆっくりと動かして悠樹君の顔を見上げる。するとものすごく意地悪そうな顔をして、

「そんな訳ねーだろ。さっき言ったけどよ、俺が一番好きなのはお前なんだよ。好きなやつが泣いてんの放置なんかするわけねーだろ。俺は……、俺は、お前のことがずっと好きなんだよ。小一の頃バレンタインのチョコもらってめっちゃ嬉しかったし、返してないのも覚えてるし。悪かったよ、返すのが恥ずかしかったんだよ」

 耳元で悠樹君が優しい声が響く。

「彼女、とは別れたんだよ。半年以上前に。付き合ってから一週間経たずに振られた。もう魅力を感じない、って言われて。他に好きなやつが出来たんだと。俺も、どうしても付き合ってください、ってすごい剣幕で言われてオーケーしただけだからあっさりさようならで……」

 じゃあ、二番目でもいいから好きになって欲しいと願った私はなんなのよ……?

「二番目に好きだ。

 って言って欲しかったのか?」

 ううん、二番目は絶対嫌。わざと悠樹君が二番目に好きだ、って言った時、ものすごく胸が痛くなった。それは絶対嫌だって、心から拒絶した。

「二番目は絶対嫌、一番目がいい。悠樹君に二番目に好きな人がいるのも絶対嫌」

 はっきりとそう言った。

「じゃあ、一番目も日本語としてちょっとおかしいだろ。そういう時は、『唯一』って言うんじゃねーか?」

「そう、かもね」

「瑞瑛、俺と付き合ってください」

 耳元で悠樹君が優しく囁いた。

 はっきりと、

 悠樹君を見つめて、

「はい、よろしくお願いします」

 たまたま目に入った腕時計は十三時四十八分を指していた。

「もうすぐバス、来るね」

「知らねー。俺は、もう少しお前がここにいて欲しい……。一緒にいさせて欲しい」

「いいよ。もう一本後のバスが来るまででもいいよ。もう二本後のバスでもいいよ。もう三本後のバスでもいいよ」


 今になっても思い出す。


 雨が降ると、

 卒業式シーズンになると、

 悠樹君に頭を撫でられると、


 二番目でもいいと思っていた私は、一番目でもなく、三番目でもなく、ランキング外でもなく、悠樹君にとって、唯一好きな人だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白い卒業式 奥平 舞依 @oku-nar

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ