【ユウ・フィーネは躊躇わない】
ガタガタと馬車が揺れる。
一体どこに向かって走っているのか、などという言葉はすでに通り過ぎた。世界の果てとユフィーリアは言っていたので、きっと世界の果てまで行くことになるのだろう。
それでも追っ手はまだまだいるはずだ。後ろはすごく静かだけど、もう諦めたとは思えない。
(どうしよう……どうしよう……)
ユウ・フィーネはやはり戦いたくなかった。
正直、お姫様や勇者様のことなんかどうでもよかった。早く元の世界に帰りたかったのだが、流れでこんなことになってしまった。きっと、多分戦わなければならない時がくるだろう。
震える膝を抱えて、ユウはふと隣を見やる。ユウの隣には、ぐったりと全身を弛緩させたまま動かない純白の
「ねえ」
「……は、はい」
ふと、お姫様が話しかけてきた。ドレスを自ら破り、姫君という贅沢な暮らしが約束された冠を脱ぎ捨てた少女――エッタが興味深そうにユウの瞳の中を覗き込んでくる。
そのあまりにも真っ直ぐすぎる緑色の瞳にどう反応すればいいのか分からなくて、ユウはそっと視線を逸らした。好きな人の為に戦争を起こした勇気ある彼女と、戦場から目を逸らし続ける自分とは違うのだ。
「あなたは、とてもすごい魔法使いだって聞いたわ」
「……そんなこと、ないです」
「謙遜しないで。お城の結界を解除すると同時に、魔法使いの人形の位置も探り当てたでしょ? 同時に違う魔法を行使するのって、とても難しいことなのよ」
そんなことはユウでも分かっている。それでも、そうしなきゃ城の結界は解除できなかった。
必要に駆られたから実行しただけであって、きっと他にも魔法を使える人物がいたら、ユウはその人に任せていたかもしれない。やはりどこまでも臆病者なのだ。
「あなたは……あなたは、好きな人の為にお父さんへ反抗しようとしたじゃないですか。それだけでも、立派なものだと思います。とても、勇気があると」
「そんなことはないわ。お父様に反抗する時、私だってとても怖かったもの」
エッタは苦笑した。
「お父様の軍隊だったら、数で圧倒されちゃうもの。だから、あなた達に戦争を止めてもらってよかったのかもしれないわ」
少女でも怖いのだ。
好きな人の為に、ほんの少しでも世界に反抗しようとした彼女。その勇気は、異世界から訪れた彼らの心を揺り動かすに匹敵した。
ユウも最初は協力しようと思ったのだ。なのに、今になって躊躇っている。
――この世界の人たちを、殺したくないとさえ思っている。
「チッ、やべえぞおい!! なんかドラゴンみたいなの飛んできてる!!」
御者台に座るユフィーリアが、舌打ちをすると同時にそんな悪態を吐いた。
荷台を覆う幌からユーシアが顔を覗かせて、狙撃銃で応戦しようとする。彼の場合は、戦えば戦うほど眠くなってしまう特異体質の持ち主だ。できることなら戦わせたくないのだが、その一歩が踏み出せない。
(――どうしよう)
まだ戸惑っていた。
まだ躊躇っていた。
魔法を使うことに――魔法を使うことができる自分に。
すると、ごうっと馬車の中を激しい風が駆け回った。冷たい風が頬を撫でて、ユウは思わず顔を顰める。自前の銀髪がボサボサになり、そして幌の向こうからかろうじて覗いた生物に息を飲む。
「ドラゴン……ううん、ワイバーン?」
「ワイバーン!? そんな……最強の追っ手よ!!」
エッタが叫んだ。
最強と聞いてユフィーリアが「なんだとぅ!?」と反応するが、鞭を手放すことができないのだろう、御者台から離れることはなかった。
エッタが「最強の追っ手」と嘆くぐらいなのだから、きっと恐ろしく強いのだろう。戦える人員はまだいる。ユウがわざわざ戦わなくてもいいだろう。
――いや、いいや。
(勇気を出さなきゃ)
エッタは、勇気を出して戦争を起こした。好きな人と結ばれたいという我儘を叶える為に。悲劇は免れたものの、今度は別の悲劇が彼女を待ち受けることになってしまう。
だから。
ユウも、勇気を出すのだ。
――おら、ユウ。気張っていけ。
――頑張れ。負けるな。やられる前にやれ。
――怪我をしないように、気をつけて。
聞き覚えのある三人の声が、ユウの背中を押す。
膝を抱えて震えていたはずが、いつのまにか震えは止まっていた。すっくと立ち上がったユウに、誰もが注目した。
「僕はもう躊躇いません」
「……なんの宣言だよ、オマエ」
怪しむようにユーイルがガスマスク越しにじろりと睨みつけてくるが、彼の脳天に銀色の散弾銃が叩き落とされた。
脳天を押さえて呻く彼を無視して、銀色の散弾銃をくるりと回したユーリが、なにやら楽しそうに笑みを浮かべている。それから外を顎でしゃくって、
「女の為に立ち上がるなんて、アンタも男だねェ」
「余計なお世話です」
これ以上いると冷やかされそうなので、ユウは鎖で雁字搦めにした魔導書を解放した。
いつもなら鳥のように羽ばたく魔導書だが、今は馬車の中なので随分と動きが大人しい。ユウの前にふわりと滞空して、いつものように挨拶を述べようとするが、それを遮るようにユウが命じる。
「
【あれの発動には一分ほど時間を有します。それでも構いませんか?】
「大丈夫!!」
魔導書に手をかざし、ユウは複雑な魔法陣に魔力を注ぎ込んでいく。
この魔法陣は、ユウが所有する魔法の中でも特に強力であり、広範囲を薙ぎ払うことができる魔法だった。ここで出し惜しみなんかしていられない。ワイバーンならば、並大抵の魔法を避けてしまうだろうから。
他人を傷つけること、他人を害することを嫌うユウだが、もう躊躇うことはない。エッタの幸せの為に、他の誰かを不幸にする覚悟はできた。
だって、これは大団円に導かなければならないからだ。
他の誰でもない、好きな人の為に全てを捨てる覚悟を決めた、勇敢なお姫様の為に。
「――――」
突風が起き、幌がぶわりとはためく。
その向こうで大口を開けていた、爬虫類と目が合った。琥珀色の双眸はギラギラと輝いていて、左右に引き裂かれた口から鋭い牙がぞろりと覗く。その上には甲冑を着た誰かが跨っていて、巧みに手綱を握って翼の生えた爬虫類を操っていた。
――ワイバーン。
ドラゴンとも見紛えるが、実際のところ大きさが違う。ドラゴンはもっと大きいのだ。本職の
「王様に伝えておいてくれますか?」
魔法陣を投げつける。
白く輝く魔法陣は蒼穹にふわりと浮かび上がると、煌々と輝き始める。
怪しそうに空を見上げる甲冑の人間に、ユウは言い放つ。
「――人の恋路を邪魔する奴は、光に焼かれて死んじまえ!!」
光術・第九九番魔法。
煌々と輝く魔法陣から、光の雨が降り注ぐ。避けきれないほど無数の光の雨に貫かれたワイバーンは、悲鳴を上げながら逃げ惑った。暴れるあまり跨っていた甲冑の人間を振り落としてしまうが、まあ人間はしぶといのでどうせ生きているだろう。
ぎゃあぎゃあと喧しい外に、ユウはヘロヘロとその場に座り込んでしまう。
やっちまった。
ついにやっちまった。
「…………あはは。殺しちゃった、かなぁ」
遠い目で呟くユウに、なにかと褒めるのが上手いユノが「うむ、見事だ!!」と美声を張る。
「戦えぬ臆病者かと思っていたが、なかなか見事な魔法の腕前よな!! 我輩は感動したぞ、ユウ・フィーネよ!!」
「あ、あり、がとう……ございます?」
褒められている気がしなかったが、とりあえずユウはお礼を言っておいた。
ただ。
躊躇いをなくすことも、たまには悪くないのだろう。
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