第二章【脱走】
怯えた人間と目が合ったユーイルは、反応に困った。
彼らはいわゆる
よく観察すれば、部屋の隅に隠れるようにして赤ん坊を抱えた女が、怯えた視線をユーイルにくれている。なるほど、彼女の抱いている赤ん坊の声だったか。
「なあ、オマエ」
ユーイルは、適当に檻の中にいる奴を指名した。
本当に誰でもよかったのだ。話ができるような相手であれば、ユーイルは殺すつもりは毛頭ない。ユーイルの敵はあくまで話のできないマナ患者だけであり、人間を殺すような真似は極力したくない。
応じたのは、やたらと目つきの悪い無精髭の男だった。年齢は三〇そこそこといったところか。低く、地を這うような声で「なんだ」と言う。
「オマエはなんでここに閉じ込められてるんだ?」
「…………まずお前が誰だよ」
そりゃもっともな意見である。
ユーイルは「悪かったな」と言って、
「正体は明かせねえが、まあ名前だけは教えてやる。オレはユーイルだ」
「変な名前だな」
「さて、オレはオマエの質問に答えてやったぞ。オマエも義理を果たす番じゃねえのか?」
変な名前だとケチをつけてきたことに対して、ユーイルは「コイツ殺してやろうかな」と大人げないことは思った。ちょっとワイングラスを構えそうになったのだが、理性で堪えた。この場に立っているのが、あの金髪の偉そうな悪魔の少女だったりしたら大変なことになっていたかもしれない。
無精髭の男はチッと聞こえるように舌打ちをして、それからここに閉じ込められている理由を話そうと口を開く。
その時だ。
「――ううッ!?」
男が急に呻き始めた。
見れば、他にも苦しそうに身を捩っている人もいれば、悲鳴を上げている人もいる。苦悶と絶叫の大合唱が、そこかしこで行われていた。
ユーイルは首を傾げた。まだなにもしていないのに、どうして苦しみ始めるのか。
その答えは、そのあとに待っていた。
「――――あ?」
ユーイルの口から意識していない母音が漏れた。
苦しみ始めた彼らの体から、紫色の粒子が放出されている。幻想的に輝く紫色の粒子は鉄格子を伝い、天井へと吸い込まれていく。
しばらく紫色の粒子を放出していた彼らは、紫色の粒子が消えると同時にフッと全身から力を抜いた。バタバタと倒れる彼らに、ユーイルは問いかける。
「なにがあった?」
「……魔力だよ」
吐き捨てるように男は言う。
「俺たちは予備なんだ。この城は魔石によって魔力を回しているけれど、それが誰かに盗まれたんだろ。魔石は高く売れるからな」
「あー……」
その言葉を聞いて、やりそうな人物に当てがあった。
銀髪隻眼の女空賊。差し障りのない程度の情報によれば、彼女は大変な銭ゲバらしい。金目のものがあれば進んで火の中に飛び込むような人種なので、おそらく彼女が魔石を奪ったのだろう。
そして、彼らはその予備なのだ。魔石を奪われた代わりに、魔力を城へ供給すり貯蔵庫のようなもの。
なるほど、だから逃げられないように牢獄へ閉じ込められているのか。
「俺たちは近隣の村や町から攫われてきた。この世界の奴は誰でも魔力を持っているが、高等教育を受けなければ魔法は使えない。だから学もねえ俺たちは格好の餌って訳だ」
「そうか。興味ねえけどな」
耳の穴を掃除しながら適当に応じたユーイルに、男から非難の言葉が飛ぶ。
「助けてくれないのか!?」
「オレがいつオマエらを助けてやるって言ったんだ?」
ユーイルは事情を聞いただけであり、助けてやるとは一言も口にしていないのだ。
ここにきたのも、赤ん坊の泣き声がしたからきただけであって、子供に同情はできるが大人に関してはクソほどどうでもいいのだ。大人なんだから自力でどうにかしろし。
――と、まあそんな薄情なことを考えるユーイルであるが、召喚した張本人であるあの女神が悲しみそうなので、仕方なしに助けてやることにした。
「まあ、ここで見つけちまったのもなにかの縁だ。仕方ねえから助けてやろうじゃねえか」
「ほ、本当か!?」
助けてやる、と言った途端に部屋の隅で怯えていたはずの人間が、わらわらと鉄格子付近まで群がり始めた。誰も彼も我先にと助けてもらいたがっている訳だ。
一刻も早くここから出たいという気持ちは分かるのだが、何故庇護対象となるべき子供や老人を優先すべきだと気づかないのか。
降って湧いた希望に瞳を輝かせる人間どもにうんざりしながらも、助けると言った手前で「やっぱりやめた」と言うのは、基本的に常識人のユーイルの性格に反するので、渋々とワイングラスを掲げる。
「あー、なにがいいかな……」
ワイングラスをくるくると回すと、底から自然と赤黒い液体が湧き出てくる。目の前で平然と行われている超常現象に、誰もがざわめいた。
ユーイルはワイングラスの中身を足元にぶち撒けて、
「オレの決定に文句をつけたり、オレの命令が聞けなかったり、オレに逆らったりしたら――」
足元にぶち撒けた赤黒い液体が、ゴボゴボと泡立ち始める。
再び怯えの色を見せる人間に、ユーイルは言い放った。
「問答無用で、オレの餌だ」
すると、赤黒い液体から腕が伸び、鉄格子を乱雑に掴むと、鉄格子を壁から外した。
いとも容易く次々と牢獄を破壊していくユーイルは、呆然とする人間たちに改めて名乗る。
「正体は明かせねえと言ったが、まあこの程度ならいいか。ご覧の通り、オレは吸血鬼だ。オレの餌っていうんだから、どういうことか分かるだろ?」
全ての牢獄を破壊したユーイルは、勝手についてこいとばかりに歩き始める。
吸血鬼の存在に怯える彼らが逃げるか逃げないかは、彼らの判断に委ねた。
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