第三章【金貨に願う号砲】
「はあ、はあッ」
ユーリ・エストハイムはひたすら上を目指して階段を駆け抜ける。
肺が軋んでも、心臓が口から飛び出そうでも、疲れてきても、この長い階段をどうにかしなければならなかった。『強欲の散弾銃』に転移を願ってもいいのだが、それだと一体どれほどの金銭を要求されるか分かったものではない。
というより、それどころではなかった。
「なんなんだいあれはあああああッ!! あんなの城の地下で飼ってんじゃないよ!!」
ユーリの絶叫が階段にこだますると同時に、彼女を追いかけてきている何者かが「きげぇぇぇぇえ」と奇声を上げた。
蛇である。
鳥でもある。
蛇の体を持ち、鳥の頭をした怪物である。
長い
「こんな気持ち悪いのは『
だが、魔石を盗まなければ喋る石像にも出くわさなかった。魔石よりも喋る石像の方が価値があったので、もうどうすればよかったのか分からない。
必死で階段を駆け上がったユーリは、ようやく最初の位置まで戻ってくることができた。――あのユフィーリア・エイクトベルという女(男?)と別れたところまでだ。
「ええい、このまま駆け上がった方がよさそうだね!!」
やけくそ気味に叫ぶと、ユーリはまた階段を上り始めた。後ろから追いかけてくる鳥の頭と蛇の体を持つ怪物から逃げる為に。
寸のところまで迫ってきた鋭い嘴をギリギリのところで避けながら、ユーリは地上を目指して階段を駆ける。カツカツカツカツ、と必死な様子が察知できる足音が階段に落ち、その後ろからずるりずるりと這うように進んでくる怪物の気配が追いすがる。
その時だ。
「ッ!?」
階段に
現に高みから鳥の頭がユーリを睥睨していて、カチカチと威嚇するように嘴を鳴らしている。ガラス玉の瞳は忙しなくぎょろぎょろと蠢いていて、悪夢に出てきそうな様相の怪物だった。
舌打ちをしたユーリは、銀色の散弾銃を引き抜く。継ぎ目がなくさながら玩具のような散弾銃が、燭台の小さな炎を受けて鈍く輝く。
「五〇〇万ディール装填!!」
金銭を弾丸として込め、ユーリは銃口を鳥の頭の眉間に合わせて願いを叫ぶ。
「【砕け散れ】!!」
引き金を引く。
カチンという撃鉄が落ちる音が、細やかに怪物へ死を知らせる。
強欲の悪魔はユーリの願いを聞き届け、提示された金銭を消費して、鳥の頭を内側から破裂させた。肉片が飛び散り、鮮血が舞い、眼球や嘴や舌がぼとぼとと階段に落ちる。血生臭い空気が充満し、ユーリは堪らず顔を顰める。
「砕け散れとは言ったけど、やっぱり場所を考えるべきだったねェ」
狭いところで爆発させれば、こうなることは分かっていたのに。
白い胸元に飛び散った血を指先で拭い取りながら、ユーリは悪態を吐いた。
それにしても疲れた。こんなに走り回ったのは、何ヶ月ぶりだろうか。いつもなら鍵開けを専門としてくれている相棒が逃げ道を確保してくれているのだが、今回ばかりはそうもいかない。
「地上から出ようかねェ」
その方が身の為だろう。このまま下水道から出るのは、もう疲れた。
ユーリは大人しく、目の前に伸びる階段を上り始める。カツカツ、とゆったりとした足音が響く。
階段の終わりは意外とすぐに訪れ、観音開き式の扉がユーリを出迎えた。施錠の確認はできず、扉を押せば簡単に開く。
扉の向こうには、広々としたホールが待ち構えていた。
埃を被ったシャンデリアが天井から下がり、上階へ繋がる螺旋階段が鎮座している。ステンドグラスが嵌め込まれた窓は極彩色の光をホールへ落とし、大理石の床からひやりとした温度が伝わってくる。
「へえ、なかなかいい雰囲気じゃないかい」
一般人がおいそれと気軽に触れてはいけないような神聖な雰囲気に、ユーリはひゅうと口笛を吹いて称賛した。繊細な意匠のステンドグラスは価値がありそうだし、シャンデリアも年代物のようだ。全て散弾銃に食わせてしまえば、願いを叶える為の弾丸として装填できるだろう。
すると、ぐらりと足元が揺れる感じに、ユーリは眉根を寄せた。下から突き上げてくるような地震に、嫌な予感がした。
「――まさか」
ユーリは急いで部屋の隅に移動する。
大理石の床を突き破って、鋭い嘴が何本も出現した。硬い大理石の床だというのに、容易に突き破ってしまうとはこれ如何に。
卵の殻を破るかのように嘴は大理石の床を引き裂いて、いくつもの鳥の頭が出現する。ざっと数えたところ、鳥の頭は六つほど存在した。ユーリが先ほど爆発させた個体を数に入れると、合計で七つの頭を持っていたのか。
それぞれガラス玉のような眼球を忙しなく動かして、ついにユーリを見つけ出す。「くげえええ」「きええええ」だのと奇声を高らかに響かせて、六つの頭が一斉に襲いかかってきた。
「うわわわ、わわわわわあ!?」
ユーリは転がるようにして回避して、鋭い嘴の群れから逃げ回る。怪物はしつこいほどにユーリへと追いすがってきて、嬲られているような気さえした。
このまま逃げ続けるのにも限界がある。一網打尽にできる方法があればいいのだが、それぞれの方向から向かってくる鳥の頭にどう対応すればいいのか。
正直なところ「誰か助けて!!」と叫んで、そのあとのことは全て丸投げしたかった。『迷宮区』ではそういった卑怯な手も使って生き延びていたのだが、なすりつける相手がいないのでどうしようもできない。
啄んでくる嘴をかろうじて回避しながら、ユーリはそうだと天井に目をつけた。この広々としたホールを覆うように天井は広がっていて、怪物はちょうど真下に存在する。
「八――いや、豪勢に一億ディールを装填する!!」
こんなところで、出し惜しみなんてしていられるものか。
ユーリは銀色の散弾銃を天井に突きつけて、引き金を引いた。
「【天井よ崩壊しろ】!!」
宿主の願いを聞き入れた強欲の悪魔は、天井にヒビを入れて崩落させる。ガラガラと大量の瓦礫が降り注ぎ、見事に怪物の頭を潰した。
ぐちゃり、と柔らかいなにかが潰れるような音がする。瓦礫の下から赤い液体がゆっくりと大理石の床を侵食していき、ツンと鉄錆の臭いが鼻孔を掠めた。
「――はあ、終わった」
疲れたようにため息を吐いたユーリは、その場にへなへなと座り込む。もうこれ以上は動きたくなかった。
どうせ大団円が云々というのは、他の誰かがやってくれるだろう。誰かがやらなければ連帯責任で誰も帰れないのだから、きっとなにがなんでも帰りたいと願う奴らが大団円へ導いてくれるはずだ。それに乗っかればいいだけ。
それまではここでゆっくりと休憩でもしていよう。埃っぽい床の上など気にせず、ユーリは完全に気を抜いていた。
――ガラリ、と瓦礫の山の一部が崩れて、傷ついた状態の鳥の頭が現れるまでは。
「――!? まだ生きていたのかい!?」
ユーリは怪物の生命力に驚愕した。
まさかあれほどの大きさの瓦礫に潰されてもなお生きているとは、さすが異世界の怪物である。血に濡れた頭を振って、ゆらりと怪物は座り込んだユーリに狙いを定める。
舌打ちをしたユーリは、散弾銃を突き出した。五〇〇万を積めば殺せるだろうが、先ほど一億を願いの対価として支払ったばかりだ。今後のことを考えると、これ以上の出費はさすがに痛い。
しかし、ユーリ・エストハイムにはこれ以外の手段は残されていないのだ。出し惜しみをしていたらこっちが死んでしまう。死んでしまえば、誰が相棒に伝えてくれるのか。
(――金額に余裕はあるけれど、あまり使えば余裕がなくなる)
引き金にかけられた指が震える。
いつも判断できていたものが、できなくなっている。
血に濡れたガラス玉のような瞳で睥睨されて、ユーリは引き金を引くか逡巡し――、
「あーぶねーぞー」
――崩落した天井から降ってきた銀と黒のなにかが、鳥の頭を縦に切断した。
鳥の頭はおろか、蛇の体まで縦に容易く引き裂いて、銀と黒のなにかは血飛沫の中に着地する。流水を固めたかのような冴え冴えとした薄青の刃を眺めて、それは「うお、血糊ついた……」と言って顰め面を見せる。
縦に割れてしまった怪物は、その中に収められている脳味噌や眼球などを撒き散らし、雨のように血を噴き出しながら死んでいった。今度こそ、起き上がる気配はなかった。
「あれ? お嬢さん、こんなところでなにしてんの。腰抜かした?」
「……アンタ、ユフィーリア……?」
「おうとも。最強無敵のユフィーリア・エイクトベル様ですよ」
少しおどけた調子で笑う銀と黒のなにか――ユフィーリア・エイクトベルは、血糊を払いながら大太刀を黒鞘に納めた。
ユーリは安堵したように息を吐く。助かったのだ。
「お嬢さん、お宝は見つけたのか?」
「まあね。アンタは予備戦力を潰すって言っていたけど、どうなったんだい?」
「殲滅したよ。全部魔力で駆動する人形みたいな奴だった。中には人間みたいな奴もいたけど、そいつもよくできた人形だったなァ」
いやー、大変だったと軽い調子で笑うユフィーリアからは、大変の『た』の文字すらない。口先だけでは嘯いておきながら、実際のところはそれほど大変ではなかったのだ。
半眼で睨みつけると、ユフィーリアは「あ、そうだ」とポンと手を叩く。
「宝物庫なら城の奥にあったぜ。なんか魔力で動く武器とかが多かったけど」
「それを先に言いな!! ぼさっとしていられないね、案内しな!!」
胸がときめく台詞をなんでもないような様子で言ったユフィーリアの腕を掴み、ユーリは城の奥へと向かって歩き出す。
彼女にとって、大団円なんかどうでもいいのだ。そこに金銀財宝があれば、強欲の空賊と名高い彼女は誘われる。
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