今日はあしたのきのう

野森ちえこ

第1話 期間限定の恋

 わかっていた。


 彼の心の真ん中にはいつだってあの子がいた。

 そんなこと、最初からわかっていた。


 だからこれは、ちいさなあの子が成長するまでの、期間限定の恋。


 それまでの時間、彼のとなりにいられるのなら。

 それまでの時間、彼の恋人でいられるのなら。


 それでもいいと思った。それでもいいと思うくらい、好きだった。




 ▽▲▽▲▽▲




 あいがクラスメイトの見守忍みもりしのぶに告白したのは、高校二年生の春だった。


 忍とは一年生のときからおなじクラスで、愛の名字は三角みすみ――つまり名字が見守の彼とは出席番号も前後のならびだった。

 奥二重の涼しげな目もととか、すっきり通った鼻筋とか、落ちついた雰囲気とか、おだやかな表情とか。忍のすべてがどストライクで、ひと目見た瞬間から意識せずにはいられなかった。


 けれど、忍はもともと口数が少なく、愛は愛で彼を意識しすぎてうまくしゃべれない。結果、せっかく出席番号順でおなじグループになったり、席がとなりになったりしても、必要最低限の会話をかわすのが精一杯というありさまで、一向に距離を縮めることができずにいた。


 そんなある日。忍の両親が商店街で『喫茶ミモリ』という喫茶店をやっていて、放課後は彼もお店を手伝っている――ということを偶然知ったのである。

 忍がクラスメイトと話す声がたまたま聞こえたのだ。けっして聞き耳を立てていたわけではない。



 とにかく、せっかく入手した有意義な情報である。少しでも彼に近づくため。愛は何か月ものあいだ彼の自宅でもある喫茶店に通いつめることになった。


 正直、コーヒーの味なんてよくわからないし、こだわりもまったくないのだけど。それでも放課後の彼に会うために、愛は『コーヒー好き』をよそおってお店に通っていたのである。

 高校生のお財布には厳しい喫茶店の価格設定のおかげでせいぜい月に一、二回しか行けなかったけれど。それでもクラスにいるときよりほんの少し近くで会えるから。会いたいから。


 だが残念なことに、いくらお店に通っても忍との距離が縮まることはなく、唯一わかったことといえば、彼にはとてもかわいがっている『妹分』がいるということくらいだった。



 その妹分である紗菜子さなこは、忍の五歳下で十一歳の小学六年生――だと聞いたのだけど、なにかのまちがいではないかと思うくらいちいさな女の子だった。

 おそらく、二、三年生の子の中にいても違和感がないくらい。というか、むしろしっくりくるような。そんな、ちいさくてかわいい紗菜子は、忍の喫茶店とおなじ商店街にあるお惣菜屋さんのひとり娘らしい。


 愛の目には、紗菜子が『女の子』として忍に好意を持っているように見えたし、それはたぶん正解だったのだけど、紗菜子自身はそのことに気づいていなかった。


 なにしろ。


『ノブちゃん、そういうことにはニブチンだから。好きならストレートにいったほうがいいよ』


 なんて。あろうことか、愛に告白をすすめてきたくらいである。


 どうやら過去、忍が中学生のころにも似たようなことがあったらしく。そのときの女の子は、気づいてもらえないまま失恋する事態になってしまったのだとか。

 だから今回は、そうなるまえにひと肌脱ぐことにしたらしい。


 いいのかな――と思ったのは、ほんの一瞬だった。


 今はまだ、紗菜子は忍を『お兄ちゃん』といっているし、忍もかわいい妹程度に思っているのかもしれないけれど、あと数年もたてば女の子は化ける。『女の子』の顔から『女性』の顔になる。

 そしていつか、紗菜子が自分の気持ちに気づいてしまったら――愛にはとても、勝てる気がしない。

 忍は紗菜子をとても大切にしているし、紗菜子も忍のことが大好きだ。そんなこと、誰が見たってわかる。



 ごめんとはいうまい。思うまいと、愛は覚悟をきめた。



 紗菜子はまだ自分の気持ちに気づいていなくて。愛は忍のことが好きで。そして愛にチャンスがあるとすれば、それはたぶん『今』だけだと思ったから。




 ▽▲▽▲▽▲




 ――好きです。


 お店に通っていたのも、コーヒーじゃなくて見守くんが好きだからです。つきあってください。



 お店の裏口で。愛がそう気持ちを伝えたとき、忍はひたすら困惑していた。告白されるなんてまったく想像していなかったということが、ありありと見てとれる困惑ぶりだった。


 完全に言葉を失ってしまった忍に、助け船を出すような気分で好きか嫌いかと問えば、さらに困惑を深めたように首をひねって。最終的には『嫌いではないけど、好きでもない。そもそもよく知らないし』と、ばか正直に答える始末。けれどそれがなんとも彼っぽくて、愛はうっかり笑ってしまったくらいだった。


 だから――というかなんというか。なんだか肩の力が抜けて、とりあえず『おためし』でいいから、まずはおたがいを『知るため』につきあってみないか――と、提案してみたのである。押しきった。ともいえるけど。




 確信に近い予感があった。

 これはきっと、期間限定の恋になる。


 それでもいいと思った。それでもいいと思うくらい、好きだった。



     (つづく)



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