ただいま

るう

ただいま

私には最高に仲が良い、ゆいという友達がいる。いや、友達以上。親友以上。家族と同じ、またはそれ以上かもしれない。


私とゆいは同じ病院で、1週間違いで産まれた。その時はただ同じ病院で産まれただけで、お互いの親が知り合い同士でもなかった。私達は、偶然同じマンションに住んでいた。私のお母さんと、ゆいのお母さんが仲良くなったのは、私達が初めて幼稚園に行った日だった。幼稚園バスの停留所で、何となく立ち話をしたのがきっかけだったらしい。その日、私もゆいと仲良くなって帰ってきて、私の家で遊んだ事は、微かに覚えている。幼稚園を卒園する頃には大親友になっていた。小学校も一緒の所に行く予定だったのだが、ゆいのお父さんの仕事の関係で、ゆいは沖縄に引っ越してしまった。私は、予定していた小学校に入ったが、私もお父さんの仕事で小3の時、福岡に引越した。ゆいとは時々お手紙を送ったり、年賀状を出したりしていたが、会うのはなかなか難しかった。

そんな感じで、小6になって偶然、お互いのお父さんの仕事で東京に引っ越すことになった。なんと、住む場所も近くて歩いて3分の距離だった。ゆいの方が先に東京に着いて、私を迎えに来てくれた。6年ぶりの再会でも、背が伸びたくらいで顔は分かった。奇跡の再会を果たした私達は、同じ中学校に通い始めた。幼稚園の時の記憶はあまり残っていないが、一緒に登校するのは何だか懐かしかった。ディズニーランドに行ったり、イルミネーションを見に行ったり、映画を見に行ったり、一ヶ月に1回以上は出掛けていたと思う。クラス替えで、クラスが別々になっても、給食はいつも二人で食べた。休み時間はお互いの教室に行った。本当に仲が良かった。家族よりも近い関係なんじゃないかって思うくらい。

そんな楽しすぎる日々は早く過ぎていき、高校受験のシーズンになった。私達は、中間よりも少し上の公立を目指していた。二人で毎日頑張って勉強した。受験が終わった時、二人とも手応えを感じていたが、ゆいは残念ながら受からず、私は受かった。私は合格してとても嬉しかったが、ゆいが落ちてしまったので、あまり喜ぶ事もできなかった。その日から一ヶ月の間、ゆいは話しかけてこなくなった。私から声をかけることはできなくて、ゆいがまた話しかけてくれることを、ひたすら待った。意外にも、ゆいは一ヶ月後何事もなかったかのように話しかけてくれた。私は、とても嬉しかったが、来年の事については触れなかった。お互い違う高校に入学した。ゆいがいない学校は少し寂しかったが、クラスメイトは普通に良い子達で、楽しかった。ゆいと学校で会えない代わりに、放課後は毎日会って、勉強したり話をしたりした。そして高2になり、大学について少し考え始めた。私のやりたい事は何だろうと考えているうちに、看護師になりたいという思いが湧いてきた。ある日、ゆいにその事を話してみると、ゆいも医療系に興味があるらしかった。医療系の中でも、看護師に興味を持っていた。こうなったら目指す大学はただ一つ。看護学校だ。私達は、高2の2学期から勉強を始めた。周りの子よりも早く勉強を始めた理由は、今度こそ二人で受かりたかったから。そんなある日、ゆいが突然高校受験の時に思っていたことを話し始めた。結果が出た日、二人で受かれなかった事がとても申し訳なくて、合格できなかった自分に失望した。私とは、申し訳なさ過ぎて顔を合わせられなかった。一日中泣いて目が腫れて、それでも前に進まないといけないと思い、1ヶ月間自分を責める心と、前に進みたい心が戦っていた。1ヶ月後にやっと前向きになれて私に話しかけたらしい。

そんな話を、今では良い経験だったと笑いながら話しているゆいが、輝いて見えた。とっても強いと思った。今までお互いに触れていなかった話をして、私達はもっと仲良くなった。その日のうちに看護学校に二人で受かったら、家を1つゲットして二人でシェアハウスしようと言って、もっと頑張る気が大きくなった。

ついに入試の日、2人とも高校受験の時よりも緊張していた。でも、自信はあった。一年半の間、毎日頑張ってきたから。二人で顔を合わせて、それぞれの入試会場に入った。今回も2人とも手応えはばっちりだった。

結果発表の日、私達は二人並んで座り、パソコンを開いていた。そして同時にクリックした結果、2人とも合格だった。二人で抱き合って泣いて、親達はすぐにパーティーの準備をして、私の家で2家族が集まってお祝いした。美味しいお肉や、ケーキをお腹いっぱい食べた。そして、親も含めて私達二人のシェアハウスの話が進み、家まで決まってしまった。それからは早かった。私達は借りた家を私の部屋、ゆいの部屋、リビングに分けてそれぞれ荷物を持ってきた。冷蔵庫や洗濯機などは元々置いてあって、すごく楽な引っ越しだった。シェアハウス一日目の夜は、二人で夕食を作って、食べながら洗濯当番、掃除当番、買い出し当番、料理当番などを決めて、楽しすぎるシェアハウスでの暮らしがスタートした。毎日会って、ほとんど同居しているようなものだったけど、実際に二人で住むのは、新鮮だった。基本的には、寝るとき以外2人ともリビングにいて、勉強したり掃除したりって感じだ。それぞれプライベートを作ろうと思い、各自の部屋を用意したが、結局プライベートとかは、いらなかった。ただ時々喧嘩した時には、とても役に立った。まあ、すぐに仲直りするんだけど。

大学が始まって忙しくなったが、毎日とっても幸せだった。2人一緒に登校できる喜び、2人で住める喜びを噛み締めていた。あっという間に1ヶ月が過ぎ、5月になった。それぞれ学校でも仲の良い同期や、先輩ができた。私は、昔趣味でピアノを少しやっていたのと、音楽が好きで音楽サークルに入った。サークルのメンバーでカラオケに行ったり、有名な歌手の新曲を聞いて分析したり、感想を語り合ったりして、楽しく活動に参加していた。

ゆいはお散歩サークルに入った。そのサークルでは近くの公園をお散歩したり、人気の絶景スポットに行ったりした。そこで撮った写真を私によく見せてくれた。私達は、好きな食べ物や動物、芸能人、キャラクターなどあらゆる好きなものが、ほぼ一致しているのだが、唯一違うものがあった。それは、アウトドア派か、インドア派かの違いだった。ゆいはアウトドア派で、とにかく外に出掛けるのが好きだった。お散歩したり、話題のスポットに行って休日を過ごすことが多かった。反対に、私はインドア派で、たまに出掛けるなら楽しいけど、しょっちゅう出ていくタイプではなかった。この点だけは本当に真反対だった。だからゆいは、お散歩を十分に楽しめるサークルに入ったんだと思う。私達は、とても近い関係だけど、お互いの好みは大切にしていた。物凄く仲が良くてもしっかりと配慮できるところが、円満な関係の秘訣だったと思う。毎週土曜日に、お散歩サークルのお出かけがあるようで、ゆいはほぼ毎週出掛けていた。先週は山に行き、今日は海に行くそうだ。

ゆいが出掛けている間、私は映画を見たり少しピアノを弾いたりして過ごしていた。そして、ゆいが帰ってくる頃には夕食を作って待っていた。夜は、ゆいが撮ってきた写真を見せながら、行ってきた場所について話してくれた。

その次の週は珍しくサークル活動がなくて、またその次の週になった。いつもの土曜日、ゆいは今日、川と滝に行くと言った。吊り橋もあって、吊り橋渡ったことも、見たこともないから楽しみだと言っていた。ゆいが朝食を作ってくれ、2人で食べた。10時くらいにゆいは「そんなに遠くないから6時くらいには帰ると思う。」と言いながら出掛けていった。私はもう習慣になっている言葉、「行ってらっしゃい。」と言って見送った。そして、今日はハンバーグ作るねと言ったら、ゆいは嬉しそうに笑った。明日はゆいの誕生日なので、前日である今日は、ゆいの2番目の好物であるチーズハンバーグを作ることにした。明日は、ゆいの一番好きな唐揚げを作る予定だ。とびっきり美味しいハンバーグを作るために、私は買い物に出掛けた。帰りに、最近話題のレストランに行ってお昼を食べた。家の近くに最近できたレストランで、ドリアがとても美味しかった。

家に帰ったらお母さんにメールでハンバーグの作り方を聞いた。少しピアノを弾いたら何だか眠くなってきたのでお昼寝した。

結構な時間寝てしまったようで、起きたら5時だった。やばいやばいと思いながら慌てて起きて、お母さんのメールを見ながら、チーズハンバーグを作り始めた。ハンバーグの他に、スープとサラダも準備して、ハンバーグはゆいが帰ってきてから焼こうと思い、下準備だけして冷蔵庫に入れた。時計を見ると6時5分前だった。お。丁度いいじゃん。と、思わず笑みがこぼれた。ゆいからまだ連絡が入っていなかったので、スマホを取り出してメッセージアプリを立ち上げ、ゆいに夕食の準備できたよ。早く帰ってきてね。ってメッセージを入れた。私は、ぼーっとテレビを見ながらゆいの帰りを待っていたが、6時半になってもゆいは帰って来なかったし、返信もなかった。既読さえ付かなかった。スケジュール自体は5時に終わると言っていたし、そこから家までは30分程度なのに、こんなに遅れるのはおかしいと思い、電話をすることにした。電話をしても電子音が響くだけで何回掛けても同じだった。ついに7時になってしまい、スープはすっかり冷たくなり、サラダのドレッシングは、醤油と油が分離してしまった。ハンバーグは冷やしすぎて、凍るように冷たくなっていた。私は、ゆいにもう一度電話を掛けた。3回の呼び出し音の後に回線が繋がる音がして、私はすぐに、「ゆい。どこのいるの?いつ帰ってくるの?」と早口で言葉を並べた。でも私の問いかけに答える声はゆいのものではなかった。私の耳に入るその声は、ゆいのお母さんの震えた声だった。その泣きそうな声は、私に言った。

「ゆいが吊り橋から落ちて大怪我をした。助からないかもしれない。今すぐ病院に来て。」と。

私はスマホを握りしめて、サンダルを引っ掛け電車に乗った。私はとても信じることができなかった。ゆいが消えてしまうなんて、ゆいがいない世界なんて想像できなかった。絶対に人違いだし、私が病院に行って自分の目で確かめて安心しようと思った。駅から全速力で走って病院に着いた。受付の人に言うとすぐに案内された。そこは手術室の前で、ゆいのお父さんとお母さんが座っていた。ゆいの両親は、私を見ても何も言わず、目には魂が宿っていなかった。ただ少し横にずれて、私が座れるスペースを作ってくれた。私が来てから30分程で手術中のランプが消えた。私達は固い顔で立ち上がった。中から出てきた医者は、とても暗い顔をしながら私達に頭を下げた。医者は、「最善を尽くしましたが、救けられませんでした。」と言った。まるでドラマを見ているかのようだった。ゆいの両親が泣き叫ぶ声が、誰もいない真っ暗な廊下に響いていた。

手術室から出てきたゆいには、真っ白な布がかけられていた。頭にも腕にも沢山のガーゼが貼られていて、布の隙間から除く顔は、私が知っているゆいの顔だった。いくら呼びかけても、ゆいの大きな瞳が開かれることはなかった。そっと握った手は凍るように冷たかった。ゆいの魂はもうこの世になく、新しい世界での生活を始めていた。


私はいつの間にか意識を失って、倒れていた。目を開けると白い天井が見えて、右手に温もりを感じた。そうか、さっきの事は全部夢だったんだ。そう思ったのに、残念ながら全部現実で、手を握ってくれていた私のお母さんが事故についてぽつぽつ話し始めた。ゆいとサークルのメンバーはいつものように学校の前で集合して滝に向かった。滝を見て写真を撮り、私に送ってくれた。その後は、川に沿って山道を歩いて行き、吊り橋に着いた。その吊り橋は人が横に歩いても余裕があるくらい広くて、丈夫だった。ゆいとその友達は手を繋いで一緒に渡ることにしたらしい。片手は友達の手を握り、もう片方は吊り橋のロープでできた手すりを掴んだ。ゆいの友達は、ゆらゆら揺れる吊り橋が怖くて、途中途中で止まりながらゆっくり渡っていった。丁度真ん中あたりで家で待つ私に写真を送ろうと思い、吊り橋のロープに背中を預け、シャッターを切ろうとした瞬間だった。ゆいの背中にあったロープが切れた。ゆいは背中から川に落ちていき、ゴツゴツとした川底に体を打ちつけた。流れが強かった川は、傷ついたゆいを運び去り、さっき見た滝まで流していった。サークルのメンバーはすぐにレスキューを呼び、ゆいを助けようと必死だった。しかし、ゆいは傷が酷く、長い時間水の中にいて、救助された時にはとても助かる状態ではなかったらしい。


ゆいは、最期の瞬間まで私の為に生きてくれた。

私のために写真を撮ろうとして落ちるなんて、

馬鹿だよ。

馬鹿すぎるよ。

そんな命の落とし方、納得できないよ。


どうしようもない事故だったとはいえ、ロープがもっと丈夫だったら落ちなかったのにとか、私が写真送ってなんて言わなかったら良かったとか、いろんな悔しさが渦巻いた。


ゆいは20才になる3時間前に新しい世界に旅立った。私が頑張って準備していたハンバーグと、とっておきの誕生日プレゼントも受け取らず。明日はサプライズでディズニーに行く予定だったのに。


家に戻るととても静かだった。今にも玄関が開いて、ゆいが、ただいまーと叫びながら帰ってくるようだった。ゆいの部屋を開けると畳まれていない布団と、開けたままの問題集。開けっ放しの窓から入る風が、薄ピンクのカーテンで床に模様を作る。生活感しか感じられなくて。ますます信じられなかった。


それから7年後、私は結婚して家族を持った。もちろん看護師にもなった。

「ただいま」が聞けるのは、本当に素敵な事だと思って生きている。ゆいと新しい世界でまた会えるように、今は精一杯生きている。家は寝るための場所じゃなくて、私のただいまを待っている人がいる場所。


今日も家の玄関に元気な「ただいま」が響く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ただいま るう @12ruu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ