第60話 星の里と呼び声

「皆さん、お疲れ様でした! 星の里、到着です!」


 ダンの高らかな声が響く。馬車から下りた四人は、星の里を見渡して、それから同時に息を吐いた。

 鉱山地に形成された里。それが星の里だった。

 高らかに連なった山々は、険しい岩肌を露わにしながら、その場所に堂々と鎮座していた。神都の城とはまた違った方面で厳格さがある。周囲に漂う空気は何処か独特で、樹の里の静かな穏やかさと、神都の絶え間なく音が飛び交う活気の、丁度中間のような雰囲気だ。

 山の麓に家が並ぶのは勿論として、そこから山の頂上までなだらかに続く傾斜にまで沿うように建築された木造住宅は、それぞれ青や緑などの色鮮やかな色で壁を塗装されていた。岩山が続いている分、自然の色合いは鮮やかさに劣るが、それを補うために人工的な補色が建築物によって施されているようだ。


「ここが星の里。なんだか想像よりずっと色鮮やかな場所なんですね。びっくりしました」

「そうでしょう? 星の里は、ご覧の通り鉱業が盛んな地域です。あと、星のマナは炎も扱えるので、硝子や武器なんかも生産されますし、ここで採掘された宝石は美しい装飾品に変わります。神都の祭りを見た後では見劣りするかもしれませんが、祭りには出回らない様々なお店が揃っているので、見て回ると楽しいかもしれません」

「わあ、詳しい。ダンくんは商売上手ですね」

「ふふ、僕はただ自分の里の説明をしているだけですよ! やだなぁスズネさんってば」


 照れたように笑った少年が、その丸みを帯びた頬の輪郭を指で搔く。その愛らしい動作と容姿に、スズネはつい少年の頭を撫でたい衝動に襲われたが、それを笑顔で相殺した。

 星の精霊、ダン。彼は酷く愛らしい幼い少年の姿をしているが、精霊であるが故に、外見と内面の年齢には差異が生じることがある。少なからず、湖の里と樹の里が一つだった頃を知っているのであれば、彼の実年齢は最低でも百歳を超える精霊ということになる。人間と精霊では感覚や寿命が違うといえども、子ども扱いをする年齢ではない。伸びかけた手を後ろに隠したところで、ダンの隣に立っていたサイが彼以上に得意げな顔をして胸を張った。


「ダン様はこの里に大精霊様が生まれた時からこの里をお守りになられているのです。お詳しくて当然なのですよ、スズネ様」

「へえ、大精霊が生まれた時から……ダンくん、今何歳ですか?」

「ええ? そうだなぁ、この里に大精霊様が生まれたのが約九百年前ですから、僕もそのくらいかと」


 平然として呟かれた言葉に、スズネは目を丸くする。皺一つ見当たらない若々しい白い肌は、子供特有の柔らかさを帯びていることが一瞥しただけで理解できる。外見通りの子供らしい高い声は非常に可愛らしくて、非常に加護欲を刺激されるのだが。しかし。


「きゅう……ひゃく……?」

「ふふ、なんだか照れくさいですね。でも、今はそんなことより、大精霊様の元へ急ぎましょう。試練についての説明は、大精霊様が直々になさってくださると思います」

「ま、まってください、九百って、九百歳、えっ? ダンくん?」

「ふふふ。行きましょう。サイ、皆さんの馬車をお願いできますね。僕は大精霊様の元へ皆さんをお連れしますから」

「はい、ダン様! お気をつけて!」


 スズネの動揺した言葉は清々しいほどに流された。ダンの契約者、サイの手に馬の手綱が渡され、彼女の快い見送りの言葉に背中を押される。戸惑いを露わにするスズネのことなど目に入っていない、或いは目に入らないフリをしたダンは、慣れた様子で「こちらですよ」と里の中を歩き始める。彼を見かけた星の民達は皆一様に笑顔を浮かべ、「おかえりなさいませ」とダンに深々と頭を下げた。

 元、という言葉が頭についても、大精霊の補助精霊というのは里で重要視される存在らしい。恭しく丁重に迎え入れられるダンの両脇には、頭を下げた星の民たちの列が成されていた。その中央を、少年は立派に背筋を伸ばして堂々と歩いていく。その姿に、何処か頼もしさを覚えてしまう程だ。見掛けとは釣り合わない大きな器が察せる態度に、否応なしに九百年という数字の現実味を知ってしまった。

 その場に残された四人は、無言のまま各々に視線を交わし合って、同時に首を横に振った。

 精霊の見た目を信じてはいけない。恐らくは、誰もがそう思ったことだろう。

 置いていきますよ、というダンの声に引っ張られて、四人はおずおずとその幼い背中を追う。最早、彼の背中を幼いと形容して良いのかどうかの思考はしないことにした。


「精霊に寿命が無いとは聞いてたけど、そんなに長く生きるんだね。九百年かぁ」

「まあ、僕ほど長生きする精霊は珍しいと思いますよ。大体、皆仕事でマナを消費して、いつか消滅していきますから。僕が大精霊様の補助を務める特別な精霊であったこと、この里の大精霊さまが未だ一代目であることが長生きの秘訣です」


 呆気にとられたようなヨルの言葉に、朗らかなダンの声が応答した。彼が一歩歩く度、彼の頭上で跳ねた黒髪が風に揺れる。やはりどこをどう見ても九百歳とは思えぬその少年は、身体を前に向けたまま、顔だけ振り向いて無邪気に笑ってみせた。


「大精霊様にも代変わりが存在します。大精霊様も、お仕事によってマナを消費しすぎれば、当然消滅は免れませんから。大精霊様が使命を果たして消滅した後、その仕事は新たな大精霊様に引き継がれる。勿論、マナの性質や仕事内容によって代変わりの機会は変動しますが」

「代変わりしないことが長生きの秘訣なの?」

「はい。後続の大精霊様が引き継がれる仕事の中身に、既存の精霊へのマナ供給があります。ですので、基本的には代変わりが起きても不都合はないのですが、大精霊の補助を務めている精霊だけは、代変わりと同時に消滅しますので」

「……えっ消滅するの? それって僕達も?」

「はい。大精霊様の代変わりが起きるとき、その補助を務めていた精霊にもまた代変わりが起きる。そういう仕組みなんです」


 彼は平然とした態度でそう説明してから、にこりと笑顔を浮かべてみせる。驚愕した声を絞り出したヨルは、暫く黙り込んでそれ以上の質問を投げかけることができなくなっていた。


「なにそれ。なんで俺達が大精霊と一緒に死んでやらないといけないの」


 不愉快そうに、シンヤが顔を顰める。大精霊に対して限りなく侮辱的且つ嫌悪感を露わにした言葉を聞いても、大精霊を深く信仰しているはずのダンは激昂する様子を微塵も見せなかった。一度余裕を感じさせる笑顔を浮かべてから、ダンは再び進行方向に顔を向ける。軽やかな少年の足つきは、一度として止まることがなかった。


「僕達は通常の精霊よりも強く、そして、大抵の場合は長生きします。与えられるマナの量が違いますので。そんな存在が何時までも居座っていては、やがて後続の大精霊様よりも強い存在になってしまう。それでは里の力関係が崩れてしまうでしょう?」

「……力関係を均等にする、つまり、秩序のために死ねってこと?」

「平たく言うとそうなりますかね。大精霊の補助を務める――生涯を捧げるとは、そういうことなのです」


 ダンの声は、一貫して明るいままだった。大精霊のために命を賭すことに、何の違和感もないらしい。恐怖や躊躇いを一切感じさせない少年の声は、その話題を話すには少し明るすぎるほどだ。

 声と話の内容の温度差に、スズネが肩を縮込める。これは決して他人事ではない。もし、大精霊達の代変わりが起きれば、スズネ達は今すぐにでも消滅してしまうということだ。いつ訪れるかも分からない唐突な死があるかもしれない。その事実は、未来を思う心をほんの少し重くする。

 僅かに顔色を蒼くしたコハルは、気遣わしげな視線をダンの背中に投げかけた。


「……だからダンくんは大精霊補助止めたの?」

「いいえ。僕は大精霊様のために死ぬことは怖くありませんよ。元、とはいいますが、僕の能力は、大精霊様の補助を務めていた頃と何ら変化はありません。立場や仕事が変わっても、身体の仕組みまで変えられるわけではないのです。補助を止めたところで、代変わりをすれば死ぬという事実からは逃れられませんから」

「じゃあ、どうして? 死ぬのが怖いわけでも、大精霊が嫌いなわけでもないなら、どうして大精霊補助を止めたの?」


 コハルの言及に、ダンは数拍の沈黙を返した。やがて、絶え間なく動いていた少年の足は歩みを止める。それは彼女の質問に対する回答を深く思考して求めようとしたから、ではない。

 彼の目の前には、星の里でも一際大きな建物が存在していた。

 その建築物は、周囲の一般的な形状の木造建築と比べて、非常に奇妙な形をしていた。木造の壁は太い円柱を描き、その上には円錐型の蒼い屋根が乗せられている。屋根や壁には白や黄色の塗料で星や月が所狭しと描かれ、所々に星の名前が記入されていた。星の地図をそのまま建物にしたかのような不思議な雰囲気を漂わせる建物の内部からは、何処となく背筋が伸びるような神聖さが漏れ出している。

 おもちゃのように愛らしい建物だったが、その中には大精霊がいる。スズネの脳裏を、そんな強い予感が過った。

 その建築物の前で、笑顔を浮かべたダンが四人に視線を向ける。彼は決して、コハルの問いかけに対する答えを口にはしなかった。


「さあ、皆さん。大精霊様がお待ちです。これから先、皆さんは星の大精霊――セイ様より、神の試練についてのご説明を聞くことになります。今後に関わる重要なお話ですから、居眠りをしてはいけませんよ?」


 ね、と子供に言い聞かせるような優しい声音を零してから、ダンは己の唇に人差し指を当てた。しー、と零された声が、それ以上の質問を赦さない。有無を言わせぬ笑顔を浮かべたダンは、スズネ達の誰もが口を閉ざしたのを確認して、静かに建物の大きな両開きの扉を開いた。

 僅かに開いた隙間から、呼吸を躊躇うほどに重々しい神聖な空気が漂ってくる。


「セイ様、失礼致します。湖の里、樹の里を代表する精霊様をお連れ致しました」


 恭しく言葉を紡ぎ、頭を下げたダンは、臆することなくその建物の中へと歩みを進める。建物の中は、まるで内部が夜であるように暗い。外からは、内部の様子を観察することができなかった。

 自ずと伸びた背筋をそのままに、スズネもダンに続いて建物に足を踏み入れる。視界は暗黒に染まり、建物内の冷やりとした空気に肌を容赦なく撫でられた。空気中に漂うマナは、星の精霊でなくとも悟れる程度には濃い。ここで粗相をしてしまえば、スズネ達の首は容易に飛ばされてしまう。そんな感覚がしたが、しかし、不思議なことに恐怖感は全くと言っていいほどなかった。

 懐かしい感覚がする。スズネは、この場所をよく知っていた。

 スズネは暗黒の中で瞬きを繰り返す。


――また会えたね。


 そんな誰かの声が聞こえたような気がした。嫌に高鳴った心臓を抑えるように、スズネは自分の胸を手で抑える。自分以外の誰かがいる。そんな気配は感じるが、室内は無音だった。

 誰もいない夜にたった一人で投げ出されたかのような感覚に、スズネが肩を竦めた時。


「久しいな。スズネ、シンヤ、ヨル、コハル」


 その厳格な声が、四人の名前を呼んだのだった。

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