第48話 彼について

 非合法の植物を売っていたらしい商人精霊の男性は、数分後に到着した屈強そうな警衛達にあっという間に連れていかれてしまった。街の喧騒の中、波を作る人混みにその背中が消えていくのを見届けたスズネは、自分の隣で穏和に微笑むミカに視線を向ける。

 ミカは、一点の汚れもない純白の長衣に身を包んでおり、さらさらとした柔らかそうな肩下までの白髪を一つに結んでいた。優しい金色の瞳には、何かを見通し、その全てを見守るような温かい光が満ちている。一言で表すなら、触れることを躊躇うような神聖な人物だった。


「危ないところでしたね」

「え?」

「あの植物には強い依存性があるんです。気分を酷く高揚させたり、幻覚を見せたり。あれを手にしたら、手放すのに苦労しますよ」


 温かみのある中性的な声で告げられた言葉は、そのさらりとした流れとは裏腹に、酷く恐ろしい意味を持っていた。顔色を蒼くしたスズネを、ミカは安堵させるように微笑む。もう大丈夫ですよ、と投げられた囁き声に、スズネは慌てて首を横に振った。


「あの、先ほどミカさんは私の代わりにあの植物に触れて、あの、私のせいで」

「ああ、ご心配なく。先ほども言いましたけど、ボクは特殊な契約を結んでいるんです。この身に掛けられた加護のおかげで、あの類のマナは効かないんですよ」


 そう言って、ミカは瞳を三日月形にして穏やかに笑う。その姿のどこにも危うい雰囲気は見当たらず、その発言に嘘偽りや遠慮があるとは思えない。


「そうですか、よかった」


 ほ、と息を吐いたスズネは、安堵を抱くと同時に、再び先ほどまでの疲弊を思い出した。途端に四肢が重くなったような気がして、思わず顔を顰めてしまう。

遠くに聞こえる賑わいがスズネを手招いているように聞こえる。あの向こうにヨル達がいるのだ。だから、この喧騒と人波を超えて三人と合流しなければならないのだが、それは広大な草原の中で三本の草を見つけろと言われているようなものだ。軽く頭痛がする程度には憂鬱だが、元を辿れば全て自分のせいなのである。

 大人しくヨルに手を引いてもらっておけば良かった。いくら後悔しても始まらないことだが、そればかりが脳内を巡る。


「難しい顔をして、どうかなさいましたか?」

「あ、いえ、その、仲間とはぐれてしまったんです」

「おや、それは大変ですね。この人混みだと、合流は難しいでしょう」

「が、頑張ります。私のせいなので」


 迷惑をかけたくないから、という理由で遠慮をした挙句、さらなる迷惑を呼び起こしてしまった。それに対する責任はとるべきである。どれだけ憂鬱でも、責任をとるのが難しくても、それが筋というものだ。

 難しい顔のまま頷いたスズネを見て、ミカは「そうですか」と頷いた。それから黄金の瞳をゆっくりと瞬かせ、考え事をするように顎に手を添える。それから、ふと気が付いたように口を開いた。


「素敵な耳飾りですね」

「え?」

「それ、どちらで購入なされた品物ですか?」


 唐突に転換された会話に、スズネが目を見開く。その驚愕が見えていないように、ミカはスズネの回答を静かに待っていた。

 目の前の柔和な笑顔に敵意や悪意がないのは確かだ。けれども、何を考えているのかはいまいち掴めない。

 小首を傾げると、耳元では葡萄型の耳飾りの石がカチリと硬質な音を立てた。宝石のように煌めいた青く透明な無光石を、ミカの瞳が真っ直ぐに見つめている。


「ええと、これは、商人さんに譲ってもらったものです」

「どんな?」

「え、えっと、神都に来る途中、盗賊に襲われていた人です。神都までご一緒することになって、そのお代の一つとしてこれをいただきました」

「その人物は男ですか? 日焼けをした肌をしていませんでしたか? 妙に顔を近づけてきたり、腰を触られたり等しませんでしたか? ひいひい言う癖にやけに厚かましい態度をとりませんでしたか?」

「あ、あの、なんでそんなに」

「その商人の名前は、ジンといいませんか?」


 ミカの言葉はあくまで質問と言う形を成していたが、その声は八割の確信を得ているようだった。そして、その核心は事実という的を的確に射ている。

 スズネが硬直したことで、その答えを悟るには十分だったらしい。「やっぱりジンでしたか」と微笑んだミカは、胸に手を当てて、洗練された美しい一礼をしてみせた。


「次々と質問しすぎましたね。失礼致しました」

「い、いえ。あの、ジンさんとお知り合いなんですか?」

「ええ、まあ。『お知り合い』です」


 ミカは何か含みのある言い方をして、曖昧に微笑んだ。そして、意味深に長い睫毛を伏せる。伏せられた睫毛が美しく煌めくのを見て、スズネは一瞬息を呑む。

ミカはあまりにも美しい。精霊という感覚がしないこと、契約という言葉を用いることから、恐らくは人間だ。ただ、その見目の美しさが普通とはかけ離れている。神に愛された容貌と称しても、決して可笑しくはない美しさだ。

 一拍置いたスズネは、ハッとして首を横に振る。今はミカの顔立ちに惚けている場合ではない。ミカの容姿への関心を手放すように、スズネは慌てて言葉を継いだ。


「私、今仲間とジンさんのこと探してるんです。ジンさんがどちらにいらっしゃるか、ご存じありませんか?」

「残念ながら、知りません。ボクも彼を探している立場ですので」


 ミカの声は静謐な雰囲気を纏いながら路地裏に落ちた。目の前で、首が穏やかにゆるりと横に振られる。その一挙動が凄まじく美しい。

 非合法の植物や商法と比べるのは失礼甚だしいが、魅了のマナが掛けられていたという先ほどの植物と同等、或いはそれ以上の魅力がミカにはある。抗いがたい魅力を直視できずに視線を彷徨わせていたスズネは、そこではてと首を傾げた。


「あの、すみません」

「はい?」

「魅了のマナって、何ですか?」


 マナというのは、精霊が扱える不思議な力。それは樹の里で説明を受けたが、そこでは、水、樹、花、星の四つのマナが取り上げられていた。それぞれのマナを司る大精霊がいて、大精霊の数だけ里があり、そこで精霊と人が手を取り合って生活している。恐らくはこれが基礎的な知識である。

 しかし、度々その文字からは連想されにくい効力を持ったマナが飛び出してくる。ジンが操った炎のマナや相手を眠らせるマナ、そして、先ほど被害に遭いかけた魅力のマナ。何れも四つの単語からは繋がりにくい効力である。精霊関係の知識を失っているスズネには、こうして尋ねたり調べたりする他、それらを知る術がないのだ。

――そして、スズネは質問してからハッとした。自分が記憶喪失だと悟られるのはあまり良くないことだ。悟られれば、それが噂となって流れて、自分たちの痕跡を残してしまう。その痕跡を辿った盗賊や樹の里からの追っ手を引き寄せてしまうだろう。だからこそ、スズネ達が記憶喪失であることを知っていたジンを追っているというのに。

 迂闊な質問に、スズネは思わず口を押える。しかし、いくら空気を手で口に押し戻しても、発言してしまった言葉までは取り消せない。一人で慌てふためくスズネを目の前に、ミカは静かに口を開いた。


「魅了のマナは花の精霊が扱うマナの一種ですね」

「花の精霊ですか」

「ええ。例えば星のマナには、記憶や記録を読み取ったり、炎を操ったり、色々種類があるでしょう? それと同じで、花のマナも、植物を咲かせたり眠らせたり魅了したり、様々な効果があるんですよ」


 ミカは驚く様子も見せずに、存外あっさりと答えた。その反応から察するに、他の里のマナに疎い精霊がいても、不思議ではないのだろうか。下手なことを喋ってしまったわけではないらしいことに安堵しつつ、スズネは「そうなんですね」と頷く。


「マナに詳しくないので、そういったことを教えていただけると、すごく助かります」

「そうでしょうね」


――そうでしょうね?

 違和感のある返答にスズネが小首を傾げると同時に、目の前の美しい顔に微笑みが浮かんだ。


「貴女は、水、樹、花、星以外にも精霊がいるということをご存知ですか?」

「えっ……い、いえ」

「では問題です。何故、その四つの里ではなく、この神都がこの大陸で最も栄えたのでしょう?」


 唐突な問いかけの連続に、スズネがぎょっと目を丸くする。ここで見当違いな返答をしてしまえば、自分の正体を悟られてしまう気がした。

 緊張で心臓が騒がしくなる。狼狽したスズネは、眉尻を下げながらどうにか答えを絞り出した。


「え、ええと、神がいたから、では?」

「正解です。里は大精霊によって創られた精霊と人間とが手を組んで発展していきます。が、神都は少し事情が特殊なのです。この地には、大精霊よりも強大な力を持った神のマナがそこら中に蔓延しています。すると、自然と神のマナが自動的に結びついて、次々と精霊が生まれるのですよ。例えば氷や光の精霊など。その精霊達が生まれる速度は、大精霊が精霊を創るよりもずっと速いのです。それらの精霊が力を合わせてこの神都を創り出しました。単純に、人口が他の里とは違います」


 だからこそ、神都からは喧騒が途絶えることがない。そう語ったミカは、酷く愛おしそうに近くの煉瓦の壁を撫でた。その一連の動きから、ミカがこの都を心底愛しているということは伝わってくる。自分を『神都の全てを守る者』と称するだけあって、その内側に眠る愛情は確かなようだった。


「神のマナで自然と生まれた精霊たちは、どうして他の里に移らなかったんですか? 水とか、樹とか、自分達の里を持ちたいとは思わなかったんでしょうか」

「彼等には大精霊が存在していませんから。大精霊からマナを供給をされる精霊は、その存在なくして自分の体を保つことができない。大精霊がいない精霊達は、神のマナが溢れるこの地でしか生きられません。この都の外――神のマナの届かぬところに出てマナが尽きた時、彼等は消滅を余儀なくされる。彼等にとっては、この神都が自分達の里なのです」


 里を持たない精霊達が集い、この都を発展させていく。この神都という場所は、単純に神がいるだけの都というわけではなく、複数の精霊の里が集まった場所ということだろうか。成程、そう考えれば神都の人口がやけに多いことにも納得ができる。

 神都は樹の里の何倍も広い土地を持っているのに、通行人が途絶えることがない。祭りの期間で他里から精霊や人間が集まっているといっても、ここまで混雑はしないだろう。

 つまり、元々神都には相応に住人がいるということだ。この人の波は、自分達の里を持つ外部からの観光客と、神都の住人によって作りだされているということになる。


「ここに住む精霊達は、この神都を共に発展させてきた仲間です。神都の全てを守るということは、彼等も守るということなのです」


 ミカはそう言って、その黄金の瞳を静かに細める。同時にその場に吹き込んだ風は、穏やかながらに何かを予感させるような匂いがした。

 一瞬、スズネの背筋を言葉にし難い奇妙な感覚が走り抜けていった。戦慄にも似た感覚がしたのは、目の前で、ミカが今までで一番美しい微笑を零したからかもしれない。


「だからこそ、ボクは早く彼を見つけなければならない」

「……彼……?」


 スズネの密かな声を聞いて、ミカはぽつりと呟く。その一瞬だけは、風の音も遠くから絶え間なく聞こえていた喧騒も、スズネの世界から完全に消え失せた。

 たった一音、ミカの声を除いて。


「精霊攫いのジン。ボクの仕事は、彼を捕らえることなのですよ」

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