第38話 刺さる脅迫、投げる脅迫


「いや~、助かりました助かりました。盗賊に捕まってから全然なーんにも食べてなかったから、僕お腹空いてたんですよ。今にも倒れそうでした!」


 荷台に詰め込まれた食料の山から林檎を手に取ったジンは、それを一口齧った後、白い歯を見せて笑った。その快活さに似合う日に焼けた肌がとても健康的である。顔色も悪くない。一見非常に元気そうに見えるジンは、瑞々しい音を立てながら林檎に喰らい付いていた。

 シンヤの意向で、彼が荷台の中でコハルの隣に座ることは許されていない。故に、道中までの席順から変更があり、現在はヨルの隣にコハルが、ジンの隣にスズネが座っている。ジンは荷台の出入り口に最も近い位置で、それに対面しているのはヨルである。

 ヨルは同性同士なのだから何の心配もない自分をジンの隣に置くべきだ、と主張したものの、「怪我人だから何かされても反撃できないでしょ」というシンヤの一言でその提案は一蹴された。そもそも、ジンの見張りを買って出たのはスズネである。こういった席順に落ち着くのは、当然のことであった。

 ジンの言葉に苦笑したスズネは、静かに杖を握りしめる。万が一『何か』あった際に反撃できるように、と、ヨルに仕込み杖をずっと握っていることを約束させられたのである。


「そうは見えない全力疾走ぶりでしたけど……」

「あれは自分の命と商品と金が危険でしたので。死んでる場合じゃないなと思って」


 ハハハ、と大笑いを零したジンの一言に、揺れる馬車の前部から刺々しいシンヤの声が飛んできた。


「命と商品と金が危なければ死にそうでも死なないってこと? 今すぐに馬車から追い出していい? どれも危険に曝されるから結果的には生き残れるんじゃない」

「やだなぁ、まだ言うんですかそれ。もう乗せちゃったんだからこのまま直進しちゃってくださいよぉ」

「図々しい。無償じゃ乗せないからね、分かってんの?」

「乗る前に何度も確認させられましたし、流石に理解しました。神都までの道のりに相応するお金を払えばいいんでしょう? 全く、容赦ないんだから。僕の値切りにあそこまで頑なに応じないのは貴方が初めてです」

「命を助けてやった奴に値切られる俺の気持ちにもなってほしいもんだね」


 二人の間で漂う――というより、シンヤから一方的に投げかけられる――不穏な雰囲気が、馬車内を覆う。分かりやすく溜息を吐いたジンと分かりやすく不機嫌なシンヤの間に挟まれたスズネは、自身の蟀谷から頬にかけて、冷や汗が流れるのを自覚した。

 ジンは無事、神都までこの馬車に同乗することを許された。しかし、それに伴い、彼にはシンヤからいくつか条件を言い渡されることになった。

 一つ、無暗にこちらの情報を探らないこと。また、ここで見聞きした全ての情報を他言しないこと。

 二つ、意図的な過度の接近、接触をしないこと。特に異性、特にコハルには。コハルに緊急時以外に触れたらその部位を斬り落とされる覚悟を決めること。

 三つ、神都まで同乗する以上、相応の対価を払うこと。道中の食料と交通費と釣り合うだけの金額の支払いを約束すること。

 それを言い渡すシンヤの表情は、酷く冷ややかだった。変な動きをしたらすぐ殺す、と物語っている瞳を前に、三つ目の条件を値切ろうとするジンの心は、鋼よりも硬い何かで出来ているのかもしれない。二人の応酬を止めるのに、スズネは随分と手古摺った。できればもうその役割は果たしたくない。

 シンヤはやはり、ジンの存在を良く思っていないようだった。心なしか、馬車の揺れが激しくなった気がする。道なりが荒い場所に入ったのかと思いきや、前方に広がる平原の光景は変わらず壮大且つ平穏なままだ。その揺れが道のせいなのか怪しいな、と心の隅で思ったスズネは、肩を竦めながら慌てて話題を変えた。


「あの、ジンさんのその袋、何が入ってるんですか?」

「ああ、商売道具ですよ」

「商売道具?」

「ええ。最近精霊石とかいう面倒くさい石が出回って、大変でしょ? 精霊狙いの盗賊も増えてるって言いますし。それで、それに対抗する商品を開発したんで、今回の祭りではそれを売り捌こうと」

「せ、精霊石に対抗!? それを持ってると、精霊と気付かれない、とか……?」

「うちの商品はもっとすごいですよ。マナを使っても精霊石にマナを感知させない優れもの! 見た目も凝ったんで、お洒落に気を遣う層のお客さんも身に着けやすい! スズネさん、気になりますか? 祭りで売るつもりの品だけど、まあ同乗させてもらってるし、特別に今売ってもいいですよ」


 何処か得意げに胸を張ったジンは、その口端を持ち上げながら白い袋の中に手を突っ込む。じゃら、と硬質な何かがぶつかる音を立てながら取り出されたのは、黒くて艶めいた石が無造作にとりつけられた、耳飾りだった。

 石の形状には種類が二つあった。一つは、親指の先程度の大きさをした雫型。ぷっくりとした輪郭が愛らしく、それが耳元で揺れればさらに可愛らしい雰囲気を演出するだろう。

 もう一つは、小さく平べったい三角錐型の黒い宝石がいくつも集合している、葡萄型。細かい鎖の先に葡萄が実っているようで、これが耳元を飾ればとても華やかな印象を見る者に与えるに違いない。

 確かにどちらも意匠を凝らされているようだ。これならば、身に着けていても警戒されることなく、自分の身を守れるかもしれない。しかし、今回スズネが最も注目したのは、その部分ではなかった。


「ま、マナを感知されないまま発動できるんですか!?」

「え? はい。いい商品でしょ?」


 スズネの驚愕した声に、ジンが平然と頷く。それに食い付いたのはスズネだけではなかった。正面に座っているコハル、その隣のヨル、さらには、馭者を務めているシンヤでさえ、ジンの手の平に乗せられた耳飾りに視線をやった。

 予想外の食いつきだったのだろうか。ジンは「え?」と瞬きを繰り返したが、次の瞬間、まるで絶好の機会だと言わんばかりにその瞳を輝かせる。


「もしかして、気になります? これ、そんなに欲しいですか?」

「欲しいです!」

「成程、どうしても?」

「どうしても!」


 スズネが喰い気味に頷けば、ジンは愉快になったようで大きく笑い声を零した。いくら反応を笑われようと、この商品を見逃す手はない。

 これがあれば、安全にマナを発動することができる。勿論、マナの回復手段が限られている現状で力を消費しすぎることは極力避けなければならない。しかし、少なからず、マナの使用により樹の里の追っ手や盗賊に位置情報が割れてしまう、という状況は避けられる。それだけでも、随分とこの旅に付属する危険性が減るはずだ。

 前のめりになって食いついたスズネを、ジンは試すような目つきで見つめた。ふむふむ、成程、とわざとらしく焦らす様に呟かれた独り言の先で、彼はその声に愉悦を露わにしながら呟いた。


「差し上げてもいいですよ」

「本当ですか?」

「ええ。同乗させていただいていますしね!」

「なら、有り難く――」

「ただし、僕がこの馬車に同乗させてもらうのに必要な対価を払ったように、貴方もそれなりの対価を払わねばならない。勿論、ご理解していただけますよね?」


 え、と弱弱しい声が口から漏れる。それが彼の鼓膜を揺らすに至ったか、スズネには判断がつかない。

 口端を持ち上げたジンは、その瞳に怪しい光を携えながら呟いた。


「お代は結構です。その代わり、身体で払ってもらうとしましょうか」

「……か、身体、ですか」

「ええ。とりあえず耳を貸していただけますか? ここからは僕達の交渉の時間ですので――」


 目を三日月の形に細めたジンが、ずいとスズネに顔を近付ける。反射的に身を引きかけたスズネの動作を制したのは、脳裏を掠めたこの耳飾りの重要性だった。

 これさえあれば、全員マナを気にせずに使うことができる。そのためにできることなら、とりあえず話だけでも聞くべきだろう。動きを硬直させたスズネを見て、眼前のジンの顔に薄い笑みが浮かべられた。

 僅かに背筋が粟立つのを感じる。それでも顔を逸らさずにいると、ジンはさらに顔を近づけてきた。

少し近すぎやしないか、と脳内で警報が鳴った瞬間、スズネとジンの目の前を、何か白い影が勢いよく通り抜けていった。


「えっ」


 視界が遮られる。目の前にあるのは、瞬きを繰り返す自分の白藍色の瞳だ。

 何故目の前に自分の瞳があるのだろう。目の前のスズネの目に困惑の色が濃く浮かんだ。それを見て、スズネは漸く自分の目が『何か』に映り込んでいるのだという状況を呑み込んだ。

 その『何か』は、鋭い光を帯びている上、白銀色をしている。その色を、スズネはよく知っている気がした。

 何処からか飛んできたその『何か』は、馬車の壁に突き刺さっている。容赦なく壁に刃を突き立てたことから、それが秘める攻撃力が圧倒的であることは明白だ。スズネが冷や汗を流すと同時に、『何か』越しにジンの悲鳴が聞こえたのは、彼がその正体を正しく認識したからだろう。

 白銀色の刃を持ち、壁に容易に突き刺さるほどの攻撃力を秘めた『何か』――つまり、短剣は、見たことがある形状をしていた。柄、鍔の色や形、刃の長さ等の特徴が、ヨルの短剣と一致する。ちなみに、これが壁に刺さっているということは、この短剣の出所はスズネ達が座る反対側の壁、つまりヨルとコハルが座っている方向ということになるのだが。


「た、たたた、短剣!?」

「よ、ヨル、くん?」


 慌てて飛び退いたジンと、困惑したスズネの視線が一斉にヨルに向けられる。ヨルは壁に寄りかかった体制のまま、何故か右腕を伸ばして、『何か』を投擲した直後のように手首を下に曲げていた。

 彼は、美しい微笑を湛えていた。その笑みに温度を感じなかったのは、それがあまりにも整いすぎていて、人の手で作られた仮面のように見えたせいである。


「この馬車に乗る二つ目の条件、忘れちゃったんですか?」

「……意図的な、過度の接近、接触を、しないこと……でしたね……」

「よかった。覚えてたんですね。すみません、怪我をしていてまともに動けないものですから、警告がこういう形になりました」


 眩いばかりの微笑と温度のない声音が恐怖を煽る。シンヤよりも優しい顔をしているのに、彼と同等の圧を感じるのは何故だろう。


「よ、ヨルくん」

「ん、なあに?」

「……その、短剣、そこから投げたんです、か?」

「怖かった? ごめんね。ちょっとおいたが過ぎるかなと思って。スズネに当てるつもりはなかったよ、怖がらせてごめんね」


 スズネと目を合わせたヨルは、いつも通りの優しい笑みを返してくれた。彼の言葉に戻った温度が温いことに安堵しかけたスズネは、壁に突き刺さったままの短剣を引き抜いて首を傾げる。

――ジンに当てるつもりはあったのだろうか。

 そんな疑念が心中を横切ったが、ヨルは不思議そうに、可愛らしく小首を傾げている。その表情の何処にも悪意を見つけることができなかったので、スズネは小さく首を横に振って、彼の元に短剣を返却した。


「別に脅迫するわけじゃないけど、俺達、今すぐその商品だけ強奪して君のこと馬車から突き落としてもいいんだからね? 自分がご自慢の交渉をできる立場か、よく考えてから発言したほうが良いと思うよ」

「や、やだなぁ、冗談ですよ! 冗談! 勿論差し上げます! 無償で! ええ!」


 シンヤから脅迫めいた言葉を投げられて、飛び退いたままの姿勢で固まっていたジンは首が捥げるのではと不安になるほどに激しく首を縦に振った。心なしか顔が蒼褪めているように見える。

 そのまま姿勢を正したジンは、口端をひくつかせながら、蚊の鳴くような声で呟いた。


「とんでもねえ連中だ……」


 そんな言葉は、馬車が大きく揺れた拍子に、コハルとスズネの口から零れた「わっ」という小さな悲鳴で掻き消されたのだった。

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