第24話 縋りの夕暮れ

「で、ではまず、軽く樹の里の歴史についてお話しましょうか。そうでないと、ヨル様とコハル様が見つかったときの感動が伝わらないので……。ええとですね、樹の里には元々、樹の精霊が沢山いたんです。まあ、樹の大精霊様がいる訳ですし、当たり前のことですけれど。百年前に里ができてからずっと、我々は精霊様と共に暮らしてきました」

「百年前に樹の里ができたんですか?」

「ええ、そうですよ。里周辺の巨木や建物は全て、樹の大精霊様のマナによって創られたんです。すごいでしょう」


 マツは誇らしげに胸を張って微笑んだ。図書館も例外ではないのですよ、と付け足された言葉に、スズネは思わず室内を見渡す。里内の建物が全て木造なのは、この辺りに木材が溢れていたからではなく、樹の大精霊によって創られたからだったらしい。樹の里独特の構造をした建物の数々は、大精霊が作りやすい形で統一した結果なのだろう。

 里ができたのが百年前だというのなら、樹の大精霊と湖の大精霊が永遠の約束を果たせずに別れたのもその時期ということになる。

 スズネは少しの間沈黙した。

 大精霊は精霊を創り、その精霊が人と力を合わせて里を創るのではなかったのか? 大精霊が直々に里の全てを作ったことには、きっと何か意味がある。けれどそれを口に出してはいけない。歴史書には観覧制限がかかっているのだ。その話をして、マツが良い顔をするとは思えない。その情報を口にして彼女から話を聞けなくなってしまったら、スズネの中の違和感を解消する機会がなくなってしまう。

 スズネは不自然な反応になってしまわぬように、笑みを浮かべてみせる。ぎこちなくなっていないか、自分では全く以て分からない。


「ええ、すごいですね。建物が老朽したり、壊れちゃったりしないんですか?」

「大精霊様のマナですからね。時間が経っても建物が廃れることはありませんよ」

「そっか。でもそうなると、大精霊のマナは消費がすごそうですね」

「ええ。大精霊様は現在、里を保ちつつ、結界を張って里を守ることに集中していらっしゃるとお聞きしました。その過程で、樹の精霊様はどんどん消滅されてしまって。この里にいた最後の精霊様が消えたのは、今から十年程前だったかしら。里中の皆がとても悲しんだんです」

「大精霊のマナには、精霊を保つだけの余裕がないということですか?」

「恐らくは。詳しいことは分かりませんけれど……。私もかつて契約していた精霊様がいらっしゃったんですけど、その精霊様は、大精霊様を支えるために還るのだと仰りました。いつかマナに余裕ができたら会えるかもしれない、と言って、消えてしまって。里から精霊様が消えて、私達の契約は失われて――ええ、本当に、当時の里内は絶望に包まれていましたね。精霊を失った里の行く末はどうなるのかと、皆が不安に思っていた。……そんな中で、リン様がヨル様とコハル様を連れ帰ってきたのです」


 マツはその表情を綻ばせながら、嬉々として当時のことを語った。ヨルとコハルに向けられた視線は温かく、希望に満ちている。まるで二人が救世主だと言わんばかりに、マツはその手を合わせて祈るような仕草をした。

――大精霊のマナに余裕があるかないかで、精霊を保てるかどうかが決まるらしい。精霊はマナの塊で、大精霊はそれを出している大元だ。

 大精霊と精霊は、シンヤと水のサメのような関係なのだ。シンヤのマナが底を尽きれば、サメはその姿を消す。それと同じように、大精霊のマナが尽きれば精霊は消えてしまう。きっとそういう話だ。

 静かに考察を進めながら、スズネはヨルとコハルに視線を向ける。気になることがあった。


「ヨルさんとコハルさんは、ずっとこの里に居たわけじゃないんですね」

「うん。僕達は里から少し離れた場所で目が覚めたんだ。記憶と精霊に関する知識を失ってね。訳も分からないまま二人で歩いてたら、リンが僕達を見つけて声を掛けてくれたんだ。僕達の居場所はこの先にある、って言って、樹の里に連れてきてくれたんだよ」

「その時のリンの表情は明るかったね。その後でリンが本当はすごく静かな人だって知って驚いちゃった。スズネちゃんも見たらきっとびっくりしたと思うよ」


 当時のことを思い出したのだろう、少し可笑しそうに笑うコハルに釣られて、スズネはその場面を思い浮かべてみる。

 恐らく、スズネと似た様な状態で目が覚めたはずだ。彼等の場合は目覚めた瞬間から二人だったらしいが、それは双子の精霊だからなのかもしれない。

 ともかく、精霊石の反応を見て様子を見に行ってみれば、絶滅したはずの樹の精霊がいたから、リンが慌てて連れて帰ってきた。里の発展に必要な精霊が見つかったのだから、彼女にとっても里の住人にとっても、二人の存在はまさしく希望の光だったのだろう。それが一年前の話。この里には九年間精霊がいなかったということになる。

――では、その九年間、二人はこの里を空けていたということにならないだろうか?

 里にいた最後の精霊が消えた。マツはそう断言したはずだ。ここにいるのは、リンに発見されたのは、『里にいなかった樹の精霊』であるヨルとコハルだ。

 そもそもの話。ヨルも、コハルも、スズネも、恐らくシンヤも、全員記憶喪失の状態で『目を覚まして』いる。目覚める前のことが思い出せないということは、眠っている間か、眠る直前に記憶を失くしているのだ。記憶喪失という状況は、やはりどう考えても異質だ。だからこそ、そちらに気を取られていたが――そもそも、記憶を失う前のスズネはどうして里ではなく森で眠っていたのだろう?

 精霊に課された使命が人間と共に里を創ることだというなら、里の外で眠る意味が分からない。何らかの事情で記憶喪失になったところで、その使命を全うしている精霊ならば、自分の住んでいる里内で記憶喪失のまま目が覚めるのではないだろうか。

 ヨルやコハルなら樹の里で。シンヤなら湖の里で。スズネは――まだどこの里の精霊かは分からないが、何処かにある自分の里で目を覚ますはずなのだ。里から遠く離れた森で目を覚ますことは、あまりにも不自然である。


「……精霊って、どうやって生まれるんですか?」

「ええっとですね、大精霊様のマナで生まれますから――皆さんが使うマナと同じです。光が形を成して、それがどんどん精霊の形になって、やがて意思を持って動く」

「その精霊は最初から記憶を持ってるんでしょうか。私たちは目覚めたのではなくて、生まれたばかりの精霊だった……という可能性はありますか?」

「ううん……少なからず、私が今まで見てきた精霊様は生まれてすぐに自分が精霊だっていう自覚がありましたし、マナを扱えました。里の外で生まれる精霊様なんて有り得ないと思いますけど……大精霊様は里から出ることができないから。精霊様は例外なく大精霊様の近くで生まれると思います」


 マツの言葉に、スズネは肩を竦める。生まれたばかりの精霊ではないのなら、やはり、自分達は目覚める前からちゃんと精霊としての形を成していたのだろう。

 スズネは小さく俯いた。そうして、自分の手のひらを凝視する。

スズネは精霊である。マナがうまく扱えなくても、発動に失敗したというだけでマナ自体は自分の中に存在している。それは昨日の練習で確証を得ることができた。


「――そういえば、この里って、できてからずっと結界が張られているんですか?」

「え? ええ、記録には、そう書いてありますけど」

「里の人達は、外に出ないんですか? 他の里と交流しないっていうのは聞きましたけど……」

「動物を狩るために出ることはありますけれど、他の里に近付くようなことはしませんね。ええ、交流は本当にありません。他の里に見つかると余計な火種を生みかねませんから」


 何事も平和が一番です、と頷いたマツの言葉に、スズネも曖昧に頷いた。それは里同士の仲が悪いと言うことだろうか。結界を張るということは、何かから身を守る必要があるということだ。

 推測の域を出ない話ではあるが。もしも、湖の里と樹の里が二つに別れたのが、大精霊同士の仲互いだったとしたら。二つの里は自ずと仲が悪くなるだろう。

 マナを怯えるマツの様子や、昨日のヨルとシンヤの二人が盗賊と戦った様子から察するに、人間なんていうのはきっと精霊の敵ではない。数で押されるか不意を突かれない限りは、脅威にもならないはずだ。

 精霊が完全に消えたのが九年前。ならば、里ができた百年前はもっと精霊がいたはずだ。にも関わらず、大精霊は百年前から結界を張っている。

 百年間もマナを使い続けて、精霊を保てなくなるまで消耗しても尚、その結界を解くことはしない。そうまでして里を守る理由があるとするなら、敵は盗賊ではなく、もっと別の――例えば、自分達と同じようにマナを使う相手なのではないだろうか?

 スズネは思考を巡らせる。脳内で幾千文字にも昇る文字列が暴れ回り、僅かだが答えが見えてきた。


「あの、半年前の話になるんですけど。シンヤさんがこの里を出た時、コハルさんとヨルさんはどうしてその後を追ったんですか? シンヤさんは元々この里の精霊ではないらしいですし……元の場所に帰るのは自然なことなのに、不思議だなと思って」

「リンがね、湖の里は危ないって教えてくれたの。樹の里は湖の民に何度も強襲を仕掛けられてるんだって。それで、シンヤくんが樹の精霊だと誤解されたら、最悪殺されてしまうかもしれないって。だから私たちが慌てて迎えに行ったんだよ。案の定戦闘になってて、シンヤくんが湖の精霊だって言っても全然信じてもらえなくて。私達がマナを使って逃げてきたの」


 コハルが僅かに気遣うようにシンヤに視線をやった。彼は半年前の話題で顔を顰めていたが、決して話を遮る様子はない。

 彼にとって気持ちの良い話ではないだろう。そう思いつつ、謎解きに必要な話だけは聞かなければならないので、スズネは控えめにシンヤに質問を投げかけた。


「シンヤさんはマナを使わなかったんですか?」

「戦闘でマナを扱えるほど上達してなかったんだよ。少しでも気を抜いたら殺される場面で、使いこなせない力に頼れるわけないでしょ」

「それで、湖の民に誤解されたんですね。シンヤさんが樹の精霊だって」

「さあ。アイツ等が何を考えてたかは知らないし、知りたくもない。ただ、『大精霊様のために』とかなんとかほざいてたから、俺を襲うことに何かしらの利点が大精霊にあったんでしょ。アイツ等のこと思いだすと鳥肌立つからこれ以上は何も言わないでくれる?」

「はい、すみません。もう大丈夫です」


 腕を擦ったシンヤが心底不快そうな声でそう吐き捨てたので、スズネは慌てて頭を下げる。彼の気分を害してしまって申し訳ない。しかし、聞きたいことはこれで全てだ。

 里の代表であるリンが『湖の里は危ない』と発言したこと。さらに、過去に何度も強襲を受けているという情報から、両者が対立していることは察することができる。

 対立している相手を弱らせることは、大精霊のために繋がるはずだ。だって、それは敵を減らすことと同義なのだから。その弱らせる手段として、精霊の数を減らすことは有効なのだろう。現に――原因は別にあれど――精霊の数が減った樹の里は絶望を抱いたのだから。

 シンヤが樹の精霊に勘違いされた理由は、マナを見せることができなかったから。その後やってきたコハルやヨルは樹のマナを扱って応戦したのだろうから、彼等と行動を共にしているシンヤはどう足掻いても樹の精霊に見えただろう。耳を貸してもらえなくても仕方がない。

 だって、リンが昨日言っていた。何処の精霊かを判断するには、マナを確認しなければいけないのだと。

 マナの確認ができないままの精霊が樹のマナを扱う精霊に守られている。どう見たって、シンヤは樹の精霊だと思われるだろう。仕方のない事だ。

 そこまで考えたスズネは、不思議そうに首を傾げているマツの視線に気が付いた。また長考して黙り込んでしまった。このままここにいても仕方がない。スズネが椅子から立ち上がる。


「あの……そろそろお屋敷に戻りませんか? 夜に出歩くの、危ないと思うんです。また襲われちゃいそうな気がして」


 そう声を掛けて、スズネは外に視線をやった。木製の窓から射しこむ光はいつの間にか橙色に染まっている。犯人を追ったり、話しこんだりしている内に、随分と時間が経過してしまった。

 スズネの声掛けに、他の三人もようやく時間の経過に気が付いたようだった。そうだね、と全員が同意を零してくれたことに安堵しつつ、スズネはマツに視線を向ける。


「あの、マツさん。有難うございました」

「い、いえいえ、あの、お気をつけてぇ……」


 マツが眉尻を下げながら上目遣いにスズネを見た。気遣わしげな視線に、スズネは微笑を返す。

 まだ、確証はない。確証はないけれど、もしこれが正しかったら。

 図書館を後にした四人は、屋敷までの大通りを歩いた。ヨルとシンヤは周囲を警戒したように見渡していたが、怪しい人影はない。道端で談笑する女性や疲れた顔をしている男性が通り過ぎていく道で、スズネは「あの」と三人にだけ届く声を発した。

 スズネの前を歩いていた三人が一斉に振り向く。スズネは数秒の沈黙の後、三人との距離を詰めて、囁いた。


「お願いがあります。……犯人を捕まえるのに、力を貸してほしいんです」


 私一人じゃ無理だから、と。スズネの縋るような頼みに、三人は目を見開く。

 これは賭けだ。もしかしたら全てが間違っているかもしれないが、妄想も甚だしいことだが――もし、これが真実なら。

 スズネが頼れるのは、この三人しかいない。

 空の隅っこが黄昏に燃えている。そんな美しい空を横目に、スズネは三人に真っ直ぐ視線を向けた。それは、夕陽が完全に沈む数秒前の出来事だった。

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