第22話 三人目の謎
図書館の扉を勢いよく開ける。バン、と扉が壁に叩き付けられる激しい音に、三人の視線が一斉にスズネを刺した。驚愕に満ちた視線を浴びながら、息を切らしたスズネは縋るような気持ちで喉から声を絞り出す。
「あの、外、で、リンさんが、私のこと庇って、矢が」
絶え絶えになった言葉でも、『スズネが誰かに狙われている』ということを元より知っていたヨルの反応は早かった。その驚愕一色だった表情を一瞬で引き締めた彼は、荒い呼吸を続けるスズネの元まですぐに駆けよった。
「スズネ、怪我は?」
「私にはありません、でも、リンさんが。あの、手当てを、マツさんに」
「分かった。マツさん、手当ての道具を持ってリンのところに向かってくれるかな。矢を喰らったみたい」
「は、はは、はい!」
「場所は、井戸のところ、です」
ヨルの的確な指示が飛ぶと、マツは酷く慌てた様子でカウンターに飛び込んだ。カウンターの内部に並んでいたであろう、ペンや紙などがマツの手に投げられて宙を舞う。その後「あった!」という声と共に引っ張り出された小箱の中には、応急手当てに必要な道具が詰まっていた。
マツは居場所を聞くなり、図書館を物凄い速度で去っていった。彼女は酷く取り乱した様子だったのに、その足取りには迷いも躊躇いもない。それを見送ったスズネを、駆け寄ってきたコハルが心配そうに見つめていた。
「何があったの? 矢って……」
「スズネ、話せる?」
ヨルの手がスズネの背を擦る。荒くなった呼吸を整えながら、スズネは静かに口を開いた。
「その、御二人の話を聞いて、リンさんがシンヤさんを恨んでいるんじゃないかと思って。心配になって尾行してみたんですけど――ええと、それは私の杞憂だった上に、見つかってしまって。そこで突然現れた外套を着こんだ誰かが矢を打って、リンさんが私を庇ってくれたんです。それで、腕に矢が」
尾行した先で見た話については、省略した。シンヤもリンも、この二人にはそれを隠したいようだったから。
スズネの説明を聞いていたヨルは、眉間に皺を寄せる。深刻そうな顔をしたまま、彼は自分の顎に手をやった。
「ソイツがスズネを狙ってる犯人かな」
「多分。今、その人のことをシンヤさんが追ってます」
「ねえ、狙ってるって何のこと? なんで里内でリンが矢を受けるの?」
コハルが眉尻を下げながら尋ねた。彼女はスズネが誰かに狙われていることを知らないのだ。その不安そうな顔を見て、ヨルが一瞬言葉を詰まらせる。それから、彼女の頭に優しく手を乗せたヨルは、手短に状況を説明した。
「スズネがね、昨日から誰かに狙われてるんだよ」
「悪い人が里に入ったってこと?」
「ううん、里の結界は万全なはず。……信じたくないけど、里の誰かが、何かの目的でスズネを狙ってる」
ヨルの端的な言葉に、コハルは顔を歪めた。信じたくないと言いたげな顔だったが、それは決して言葉という形を成さない。全てを呑み込んだのであろうコハルは、下がった眉尻を上げて、静かにスズネの手を握った。その手は、僅かに震えていた。
「こんな白昼にも被害が出たなら、もうスズネを一人にできない。悪いけど、スズネ、走れる? 僕と一緒に来て。コハルも。どっちも守りながら犯人を追う」
「ううん、私がスズネちゃんを守る。ヨルは犯人を追うことに集中して、シンヤくんを助けてあげて」
「分かった。ごめんスズネ、怖いかもしれないけど――」
「いえ。大丈夫です。……私のせいで起こったことですから。私も何かしなくちゃ」
コハルの柔らかい手を握り返す。そう断言したスズネの言葉を聞いて、ヨルは小さく頷いた。
図書館を飛び出して大通りに出た三人は、左右を見渡した。シンヤも犯人も、相当な速度で走っていった。当然、その影は見当たらない。どちらに走っていったかも分からない状況だ。ただでさえ人通りが多い道だ。犯人どころかシンヤすら見当たらない。
「すみません、ここを黒い外套を着た怪しい人が通りませんでしたか?」
「え? い、いえ、見てません」
通りすがりの女性に声を掛けるも、彼女は酷く怪訝そうな顔をして首を傾げるばかりだ。図書館の方には来ていないのかもしれない。
図書館は、屋敷から里の出入り口までを貫いている大通りに面していて、大通りの丁度中間に存在している。リン達が会話するために使っていた井戸は、どちらかというと里の出入り口に近い方面にある。図書館前の大通りに来ていないということは、犯人は里の出入り口――つまり、鳥居へ向かったはずだ。
「鳥居、鳥居の方に行きましょう。井戸の前から走ってきたので、この辺りの人が見掛けていないなら、鳥居の方に逃げたはずです」
「井戸ってどこの井戸?」
「ええと、大通りから外れたところにある井戸です」
「分かった。それなら鳥居だ、行こう」
ヨルが先導して鳥居方面への道を走る。コハルはスズネの手を握ったまま、何度も「大丈夫だよ」と熱心に声を掛けた。その表情は決して明るいものではなかったが、彼女の手の力強さがスズネの心を震わせる。
「大丈夫、シンヤくんもヨルも強いから。絶対にスズネちゃんを守ってくれるよ」
「はい。だから、シンヤさんも大丈夫です」
投げかけられた優しい言葉にそう返せば、コハルが僅かに息を呑んだ気配がした。
負傷者が出ている。その犯人を好きな人が追っていると知れば、誰だって不安だろう。それが例えどんなに強い人でも、何かあったらと思わずにはいられない。少なからず、彼女はそうだ。昨日、スズネを連れて帰ってきたシンヤを見掛けて勢いよく飛び付いたのは他でもないコハルなのだから。
いつもそうだ、とヨルは言った。確かに二人の距離はいつも近いけれど、ああやって勢いよく抱き着いたのはシンヤが里に帰ってきたときの一度だけ。その後で心配そうな顔をしていたことを考えると、コハルはきっと、シンヤのことを心配せずにはいられない質なのだ。
「……うん、シンヤくんのことだから大丈夫だとは思うけど」
「軽々しく矢を避けてたので、多分、大丈夫だと思います」
「うん。有難う、スズネちゃん」
コハルは一瞬だけ不安そうな顔をしたが、それを堪えるように笑顔を浮かべる。繋いだ手に一層力が籠ったのを感じて、スズネも同じように手に力を込めた。
連なる民家や店の横を走り抜けた先で、漸く人がまばらになってきた。その先で、特徴的な黒い服を見つける。その人物は既に剣を抜いており、スズネの地点からは未だに建物の陰に隠れている空間を鋭く睨み付けていた。
「シンヤくん!」
「シンヤ!」
コハルとヨルの声が重なる。それに視線を二人へと移した黒服の人物――シンヤは、酷く悔しそうに顔を歪めて、その手に握っていた剣を鞘に戻した。その剣には、血が滴っていなかった。
「ごめん。逃した」
「……キミが?」
低い声での手短な報告に、ヨルが驚愕の声を零す。シンヤは眉間に皺を寄せたまま、ある一点を睨み付けていた。
誰も立っていない地面。建物も木も存在していないその空間には、犯人が着込んでいた外套が脱ぎ捨てられている。その周囲には、不自然に落ち葉が撒き散らされていた。
「ただの人間かと思ったんだけど、どうやら違うみたい」
「なにそれ、どういうこと?」
「マナを使ったんだよ、アイツ。……樹の精霊ってのは、君達以外、全員絶滅したんじゃなかったの」
シンヤは渋い顔のまま呟いた。そして、靴底で思いきり落ち葉を踏みつける。執拗に踵を押し付けられた落ち葉は粉々になった後、淡い光となって空中に消えた。マナの林檎から削られた赤い皮のように。
ヨルとコハルが息を呑む。少し落ちた沈黙を破ったのは、困惑したコハルの声だった。
「いるはずのない三人目の樹の精霊が犯人って、こと?」
それを肯定できる者は誰もいない。しかし、マナを使うと言うことは、そういうことだ。
四人は暫くそこを動けないでいた。まるで時間を止めるマナが使用されたかのようである。実際、そんなものがあるかは分からないけれど。
四人の時間を動かしたのは、遠くから走ってきたマツの「ご無事ですか」という言葉だった。立ち竦んでいても仕方がない。スズネ達は一度図書館に戻って、情報を整理することを決めた。
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