第23話 夏祭り
看病が終わって妻と交替したのち家に帰ると、まず玄関をあけたときに、なりゆきの靴が一組、並んでいた。
「もうこの靴を履くこともないんだなあと」思うと、主人のいない靴を前にして、大声で泣いたものであった。
いつも登り下りしていた階段、「みてて、とべるよ!」といって、ジャンプしていた車庫の屋根。
かがみこんでは丸虫をとって、走って持ってきてくれた雨水のパイプ・・・
どれひとつとっても、なりゆきの元気な姿とオーバーラップされてきてならなかった。
近所の子が縄跳びをしているのを羨ましげな目で見ていたのを覚えている。
当時のヒットソングの歌詞で
「なんでもないようなことが、しあわせだったとおもうー」というのがあったが、まさにその心境であった。
このころ町内会で企画した「古曽部まつり」という夏祭りがあった。
われわれは町内会役員だったのでジュース係を担当させられていた。
それが「子供がこういう状況であるから辞退させてください」と町内会長に言ったところ「担当はきっちりやってください、うちの子も小さいとき大きな病気になったことがありますよ」と話をそらされてしまった。
「私たちは『まつり』どころの心境じゃあないんです。とにかく行きませんので。」と半分口論になって、結局行かずじまいであった。
まつり会場は「湯浅グランド」といってたまたま病院の駐車場から見えるところであった。
その花火と盆踊りの音が、夕方聞こえてきた。
「本当なら、なりゆきと一緒におまつりに行ってジュース係をやってるはずやのになあ」と思い「みんなしあわせそうだなあ」と羨んだものである。
夜10時ごろまで続いたまつりの音を、まるで「私たちとは違う世界の宴」のような気持ちで聞いていたのである。
妻もこのころが一番辛かったらしく、いつも気をまぎらわすためにわざと鼻歌を歌っていたのが、その鼻歌も消えうつむき加減に話をするようになっていた。
彼女も私同様、一人で家に帰るのがそうとうつらかったらしい。
なりゆきが発病前に半分飲み残したカロリーメイトがそのまま冷蔵庫に置いてあった。
冷蔵庫をあけるたびにこれが目に入り、涙がでるそうである。
ソファーの上にはなりゆきが、天神山図書館で読もうと思って借りてきた本が置いてあって、「なーくん、この本読みたかったんやろなあ・・・」と思うと辛くて辛くてならなかった。
それでいつも家に帰らずに、家族待合室という所で毛布を借りて、ベンチの上で寝て朝を迎えていた。
おそらくわたし以上に家での思い出があるためであろう、決して帰る事はなかった。
夫婦の会話も最初のころは
「大丈夫かなあ?」
「絶対大丈夫よ」
であったのが。
「大丈夫かなあ?」
「・・・・」
と無言になり、そしてこのころはお互いに顔をあわせても無言であった。
なりゆきの枕元に、いつも大好きだったチョコレートとオレンジガムとグミの実が置かれてあり、まわりにはよくだっこして一緒に寝ていたアザラシのゴマちゃんのぬいぐるみがさびしそうにならんでいた。
「この子の頭の中では今一体なにが起こっているのか?」
「もう一生、元に戻らないのじゃあないのか?」という不安な気持ちでなりゆきの顔を覗き込んだものである。
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