第16話 命の重さ

人の命とは       


一度病室を内科病棟から子供だけが入院している小児病棟に移動する時があった。


小児病室に一つ空きができたそうである。


新しい部屋はナースステーションのすぐ隣でガラスごしになりゆきの心搏数、呼吸数の状態を逐一チェックできる部屋なので安心した。


ただその移動はわれわれが予想した以上に困難であった。


内科病棟は小児病棟の階の一階下でなおかつ平行移動距離がかなりあった。


その間電源がないのであるから当然呼吸器のポンプは使えない。


つまり手動の「パフパフ」と呼ばれるハチの尻みたいな格好をした呼吸器を休み無く押し続けていなければならなかった。


「この手を止めるとこの子は簡単に死ぬんだなあ」と思うと人間の命っていったい何なんだろうと痛感した。


第二時次大戦でナチス・ドイツが六百万人のユダヤ人をガス室で殺した歴史を思い出した。


六百万人の中にはこの子のような小さい子供も大勢いたはずである。


そこで使われた毒性の強い青酸ガスを生み出したのも医学。


今この子を救いにいってるのも医学と考えると、そのあまりの二律背反さに頭の中が混乱してしまいそうであった。


「その時の貴重なデータの上に今の医学は成り立っている部分もあるんですよ」という山口先生の言葉で一応納得はしたものの釈然とはしなかった。


たくさんのパイプを各看護婦さんが持って「パフパフ」も手が疲れたら交替しながら、ようやくどうにか紫外線によって無菌状態にされていた新しい病室への引っ越しが完了した。



余談ではあるが私は翌年の1995年1月17日の阪神大震災をその後経験した。


神戸の市街地に入って驚いた事は、幹線道路の中央分離帯の上にたくさんの布団がしいてあって、その上に死体が乗っていた光景を見たときである。


最初は疲れて寝ているんだなあと思ったくらいであった。


六千人の命を奪ったあの破壊力の恐ろしさをまざまざと見せ付けられた。


昨日まで生きていた人間が家につぶされたり焼けたりして一瞬にして死んでいったのであった。


あちこちで人を焼く火葬の臭いが漂う中で、「これがはたして現実なのかどうか」の判断ができなかった。


この物語にでてくる神戸のおじいちゃん、おばあちゃんと自衛隊のヘリコプターの爆音の中を歩き回った時「夢であってくれ」と祈ったものである。


その時の医者の話で、神戸市東灘区に岩木外科という先生がいて、本人も額から出血しながら国道二号線上で並んでいる被災者たちを麻酔なしで縫合していたらしい。


この時は病院の電源どころか施設自体が破壊されていたため、人口透析の患者たちの家族はそれこそ命懸けで「パフパフ」を押し続けた事であろう。


その気持ちを思うとつらいほどわかるのであった。


なりゆきの入院時にこのような事態が起こらなかった幸運を感謝せずにはいられなかった。


いずれにしても、私は2年続けて「人の命」について考えさせられる事態に遭遇したのであった。

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