第2話 旅立ち1人目
眩しい光に顔をしかめ
体を縮める。
この光にしばらく
我慢してあたっていれば
自分の隠された力に目覚め
今日から何か変わるのではないか
そんなことを
佐藤賢治は夢想して、
光の方へ手を伸ばしてみる
「大学生にもなってそれかよ」
いつか言われた言葉を
不意に思い出し
ビクッと体が痙攣して手を握る。
目を開く。
その光は、神々しいものではなくて、
見慣れた寝室のカーテンから漏れ出た
生温かく、気だるい5月の日差しだ。
どうやらまた朝が来たようだ…
手探りで枕元を漁り
iPhoneを手に取り、ボタンを押す。
大学のサークルで行った
キャンプ場から見える
美しい川と山
9:26
という数字が無機質に浮かぶ。
LINEはもちろん
TwitterやFacebookの通知すら
来ていない。
家は静まり返っている。
両親は仕事へ出かけたようだ。
起き上がり、リビングへ。
レースのカーテンからは
光が漏れ溢れ
部屋は大変明るい。
小さな台所の冷蔵庫へ行き
麦茶を取り出して、
チタン製のコップに少し注ぐ。
コップに注がれる麦茶を
眺めながら
この後自分が取るであろう
1日の行動を思い描く
リビングのソファに座り
麦茶をちびちび飲みながら
見るでもなくテレビをつける。
麦茶がなくなると
テレビを消し、またベッドに戻り
スマートフォンで電子書籍を読み漁る。
腹が減れば
Amazonで買いだめしている
カップラーメンを食べ、
また、テレビをぼんやり眺める。
ふと気づくと夕方になる。
気が向けば近くの
コンビニかスーパーで
買い物をして、
部屋で夕飯を食べる。
そのうち両親も帰ってくるが
イヤホンをして、
ゲームに熱中して
夜をやり過ごす。
こんな生活を半年以上続けているのだ。
佐藤賢治は大学3年生。
先月両親に
21歳の誕生日を祝ってもらった。
それはそれは
何とも切ない光景だ。
引きこもりで俯く息子と
そんな息子に
大らかに笑いかける両親。
誕生日ケーキを食べながら、
彼の両親は
鷹揚にこんなことを言う。
「賢治が21歳かー。
なんだか信じられないわね。
私も年取るわけね」
と、母親。
「まあ、今はゆっくり休む時期だ。
10年後、笑い話になっているよ」
と、父親。
どんな思いで、引きこもりの息子に
そんな言葉をかけてくれているのか…
目頭をじんわり熱くして
うつむきながら、ケーキを黙々と
食べるしかなかった。
どんな罵りの言葉より
自分の息子の未来を疑わない
善良な両親の温かい言葉は
胸を抉るものがある。
そのくせ
両親のために再び大学に行こう!
と、奮起することもなく、
温かい両親に甘えて、生産性のない
日々を繰り返している。
やるべきことから目を背け
先延ばしにしている自覚があるし
そんな自分を嫌悪する。
それでも生活を改めない理由は簡単で
要するに彼は
完全に自信を失っていた。
どうせ、何をしてもダメ
心の奥底に、汚らしい
ヘドロのようにへばりついた
そんな思いが拭えない。
油断すると、
そんな思いを持つに至る
一連の出来事を
反芻してしまう。
だから彼は現実逃避する。
小説、漫画、
アニメ、映画
ゲーム、なんだっていい。
とにかく、自分の現状を
忘れたかった。
それが彼の日常のすべてだった。
彼は、
自分の人生における失敗を
教訓として学び、
生かしていこうとする
気力を失っていたのだ。
以下ボツ
しかし、彼はこの直後の
些細な行動で、
意外にもその気力を
取り戻すきっかけをつかむ。
「帰りたい」
気がつくとそんな言葉を
口にしていた。
帰る場所はこの家以外にないはずだ。
どこに帰りたいというのだろう。
ここではない
自分の帰るべき場所が
あったのだろうか。
単に昔に帰りたいだけだろうか。
そんなことを考えていると
自分への不甲斐なさ
両親の優しさに対する
むず痒い思い。
上手くやれない悲しさ。
先の見えない不安
そんな負の感情が
一気に噴き上げてきた。
それはまるで
腹の底に
ドロドロに溶けた鉄を
流し込まれ
赤黒く蠢いて脊髄を
加熱していくようだった。
頭の芯が捩じ切れそうに
熱くなる。
自分自身への激しい憤り。
そんな熱い感情が
まだ残っていたことに
彼自身が一番動揺していた。
思わず彼は
手にした麦茶を
一気に飲み干した。
それは本当に些細なことだが、
彼の日々のルーティンから外れる
イレギュラーな行動だった。
普段テレビを見ながら
ちびちびと飲む麦茶。
それをただ一気に飲み干した。
たったそれだけのことだが
この行動は、
まず彼の感覚器官を刺激して
彼の気分に大いに干渉し、
新たな思考を構築していった。
冷たい。
水分が体に染み渡るようで
頭の重だるさが消えていく。
いつもは鬱陶しく思う
リビングの明るさが
今日は活力と勇気を
与えてくれるように見えてくる
窓際に立ち、そっとカーテンを開けると
雲ひとつない青空と
爽やかになびく新緑が見えた。
窓を開ける。
想像以上に清々しい風がそっと
カーテンを揺らす。
しばらくそのまま立ち尽くし
日差しの暖かさと、
清涼な風が織りなす
絶妙な気持ち良さに身を委ねた。
なんだか、
ここ最近感じたことがないくらい
活力がみなぎっていることに気がつく。
外へ出たい。
どこか遠くへ行きたい。
そう思った瞬間
彼は一人の親友の顔を思い出した。
どこか遠くへ行きたいと言っていた
幼馴染との約束を思い出す。
「キャンプに行かなきゃ…」
また一人で呟き
何かに急かされるかのように
スマートフォンを取り出し
久しぶりにLINEのアプリを起動して
打ち込む。アップデートを要求してくる。
鬱陶しいと思いつつ、アップデート。
そうして、ようやく起動して
一気に次のようなメッセージを
打ち込んだ。
まあちゃん、久しぶり。
今日天気いいから
キャンプに行かない?
もし来れるなら
八王子の八高線ホームに
11時集合で!
15分待っても来なかったら
今回はソロキャンプにするわ
何度も見返して満足する。
うむ、半年以上
引きこもり生活をしている
人間が送るメールには見えない。
なかなかの出来だ。
まあ、どうせ
忙しいだろうから
既読すらされないだろうけど。
だとしても
万が一メッセージを見られた時
まあちゃんに自分の
この不甲斐ない現状を
悟られたくない。
そういう見栄がまだ
自分に残っていたのだ。
そんなことを考えながら
黒い細身のカーゴパンツと
Tシャツ。
燃えにくいコットンのパーカーに
着替える。
自室の片隅には
既にキャンプセット一式が
詰め込まれたままの
登山用バックパックが
転がっている。
ほとんど部屋の風景と化していた
そのバックパックを持ち上げると
思いのほか重くてよろめいた。
「……体なまってるなあ…」
よろよろと背負い、玄関に向かうと
傘立てに刺さっている
木刀がなぜか目に入った。
小学校の修学旅行で
買ったものだ。
いつの頃からか
なぜか傘立ての中にあり
普段はまず
気にも留めない。
小学校時代の親友に
LINEをしたせいだろうか。
なんとなく感傷的な気持ちになり
木刀を取り出してみた。
昔はとても重く感じたのに
やけに手に馴染む。
ソロキャンプになったら
夜が心細いので
護身用にいいかもしれない。
しかし、こんなの持ち歩いてたら
危ない奴に思われて
護身用としての機能を果たす前に
警察を呼び寄せる機能を果たしそうだ。
しばらく迷ったが
流石に置いていくことに決め
木刀を傘立てに戻そうとした。
その瞬間、スマホが振動する。
画面を見る。
LINE 今
まあちゃん:OK。
スマホをしまう。
やっぱり木刀は持っていくことに決めた。
まあちゃんが
どんな反応をするかが見ものだ。
ドアを開けると
風が入り込む。
胸が高鳴る。
「よし、旅立ちだ」
一歩前に踏み出すと
木刀がゴンとドアに当たった。
「杖っぽく持って歩けば、大丈夫だよな・・・」
そう弱々しく呟いてから、賢治は家を出た。
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