第3怪 4時44分44秒②

「イヤよッ!!」


 七雲の”お願い”を聞いた瞬間、たからは思わずそう叫んでいた。


「なァんでッ、私がそんな事しなきゃいけないのよッ!? 絶ェッッッ対、イヤッ!!」

「え〜……どうしても??」

「どうしても、よ!! 何で私が、赤羽根くんに、え、エえええ……エロ本なんて渡さなきゃいけないのよッ!?」

 顔を真っ赤にするたからを指差して、七雲は嬉しそうに笑った。


「照れてる。可愛いなぁ」

 次の瞬間、たからは七雲の人差し指を握り潰して、渾身の力で捻じ曲げた。

「痛い!!」

「次言ったら殺す……」

「わ、分かった! 分かりましたから!! 離して……骨折れちゃう……」

 ”清さ”も、”正しさ”も”美しさ”もかなぐり捨てて、殺意を剥き出しにする生徒会長に、流石の七雲も涙目になって許しを請うた。真っ赤に腫れ上がった指を抑えて蹲る七雲を、冷たい目で見下ろして、たからは鼻息を荒くした。


「大体、私が赤羽根くんに『18歳以上本』を渡すのが、どう怪談話に結びつくのよ!? 一体どんな怪談なワケ!?」

「それは、まぁ……当日になってのお楽しみってコトで」

「何よ? そんなに大掛かりな準備がいるの? まさかまた、【幽霊発生装置】みたいなの作ってるんじゃ無いでしょうね?」

 ギロリと睨みつけるたからを前に、七雲は実にぎこちなく話題を変えた。


「それより清澄さん。今から、二神くんのところに行ってみませんか?」

「はぁ!?」

 たからが首をひねった。

「なんで?」

「悩める生徒を”正しい”道に導くのも、生徒会長の務めでしょう」

「……アンタが言うと、ど〜うも、胡散臭いのよね」

 たからは腕組みをし、『いかにも怪しい』と言った表情で七雲を見つめた。七雲はまだ床に座り込んだまま、実にぎこちなく笑顔を作っていた。


 ……確かに彼の言う通り、学園の生徒に何か問題があるなら、会長が見て見ぬフリをする訳にも行くまい。かと言って、この男の言いなりになるのはなんだか癪だ。


「……良いわよ」

 やがてたからは腕組みをしたまま、観念したように小さくため息をついた。

「ホントですか!?」

「その代わり、アンタが今からどんな怪談与太話をでっち上げるつもりか、ちゃんと教えなさいよ」

 たからはそんな彼に釘を刺すように、鋭く言い放った。

「計画の内容がはっきりしないなら、私も協力できないわ」

「そうですねぇ。強いて言うなら……」

 七雲は、冗談とも本気とも取れない顔で彼女を見つめ、こう囁いた。


「……【時間が、止まる】」


□□□


 あいにく日没から降り出した雨は、それから夜になっても一向に止む気配がなかった。それでも学園の部活動生たちは降りしきる雨の中、ところどころ水たまりのできたグラウンドで、精一杯体を動かし声を枯らしていた。


 例の野球部員・二神晴人もまた、そのうちの一人であった。

 明らかに校則違反なド派手な金髪に、ユニフォームの上からでも分かる筋骨隆々な肉体は、なるほど他の野球部員たちの中に混じっても一際目立つ存在だった。恐らくスポーツは何をやらせても得意なのだろう。そんな彼の様子を、肩の高さで切り揃えた黒髪をしっかりと後ろで結び、モデルか人形のようにスラッとした体型の生徒会長・清澄たからが、ずっと仏頂面で眺めていた。


 2人は数時間グラウンドの片隅で待ったが、それでも練習は終わる様子もなく、仕方なく彼らは二神の家の前で待つことにした。


 それから待つこと、さらに6時間。

 二神晴人が帰宅したのは、なんと日付の変わった、夜中の1時過ぎだった。


 家の前にいる2人を見つけて怪訝そうな顔をする二神に、たからが目を丸くして声をかけた。

「今頃帰りなの?」

「……アンタら、ウチに何の用だ?」

「さすがに遅すぎるんじゃない? 部活動は22時までのハズでしょ?」

 たからの顔を見つめて、二神はようやく合点がいったように頷いた。


「そういやその顔……アンタ、噂の生徒会長か」

「……私がどんな噂されてるか、知らないけど」

 たからは二神の開けたカバンの中に、近所のハンバーガーショップの制服があるのを目ざとく見つけ、鋭く口を尖らせた。

 

「ウチの学園は、アルバイト禁止よ」

「ケッ。”正しい”ことだけやってりゃ、アイツら食わせて行けるのかよ」

「それってどう言う……」

「お兄ちゃぁん!」

 たからが二神に食ってかかろうとすると、突然家の玄関がガラッと空き、向こうからたくさんの子供たちが飛び出してきた。あっという間に5〜6名の小・中学生が二神に群がり、家の前はきゃあきゃあと一気に騒がしくなった。


「……どう言うこと?」

「お前ら、もう寝てろっていっただろ?」

 子供たちはどの顔も、みんな二神にそっくりだ。呆然とするたからの前で、二神は先ほどとは打って変わった優しい声で子供たちを抱き上げた。

「さぁ、早く家ン中入れ。雨に濡れたら、風邪引くぞ?」

「俺知ってんだ! 兄ちゃんだって、さっきまで”やきゅう”やってたくせに!」

「変なの!」

「変なのー」

「言ったな、コラ!」

 二神は声を荒げたが、それでも楽しそうに子供たちを家の中に追い立て、それからたからの方を振り返った。


「もう、帰ってくれ。家には、ちょっと様子見に寄っただけだ。これからバーガーショップに戻って夜勤と、それが終わったら新聞配達があンだよ」

「ちゃんと眠れてるの?」

「もちろん寝てるさ。授業中にな」

「……ご両親は、いないの?」

 傘の向こう側から、たからがおずおずと尋ねた。


「親父もお袋も、捕まったよ」

 二神は淡々とそう告げた。

「政府の『清正美法』か何かでさ。2人とも、前は市のゴミ処理場で働いてたんだ。それが、『人間に”汚い”仕事はさせられない』ってんで、工場が全部機械に変わって……。職にあぶれた親父とお袋は、俺たちを食わすために盗みを働いて……それで捕まった」

「ごめんなさい……」

「悪いことすりゃ、当然捕まるよ。そりゃいいんだ。だけど……」

 二神は明かりのついた窓を見上げて、少し言葉を詰まらせた。


「……その間に俺が、アイツらを何とか支えてやらにゃならねエんだよ」

 それから二神は喋りすぎたとばかりに顔をしかめ、家の中へと入って行った。




「清澄さん、もう行きましょう」

 やがて、たからの背中に、七雲が静かに声をかけた。


「そんなとこに突っ立ってたら、風邪引きますよ」

「私……」

 たからはまだ玄関を見つめたまま、小さく言葉を零した。

「私、知らなかった……。彼のこと、何にも知らなかったわ」

「いやぁ、僕はますます彼が気に入りましたよ」

「私にできることって、何かあるのかな……?」

「そうですねぇ……」

 七雲は、思いつめた表情をしたたからの手を引っ張って、夜の帳の中へと歩き出した。


「……是非とも彼を、ボクの”怪団”に入れたいですね」


□□□


「……赤羽根くんにちょっと、お願いがあるの」

 たからは深呼吸して、カバンの中の『18歳以上本』を悟られないように、必死に笑顔を取り繕った。


「あのね。赤羽根くんに、是非読んでもらいたい本があって……」

「はぁ。本ですか」

 赤羽根は怪訝そうに赤い『AIグラス』を外した。たからはカバンの中で、『18歳以上本』がしっかり『図解:郷土資料集A』の間に挟まっているのを手で何度も確かめた。


「会長が仰るのであれば、それはもちろん……。一体、どんな本なんですか?」

「ど、どんなってそりゃあ……きっと赤羽根くんも気に入ると思うわ! これからの将来にすっごく役に立つことが、たくさん描かれてて……とにかく、これ!」

 たからはボロが出ない内に、急いで『郷土資料集』を赤羽根の胸に押し付けた。

「なるほど。故郷の歴史ですか……」

「あーっ!?」

 ペラペラと頁を捲り、中身を確認しようとする赤羽根を、たからは大声を上げて静止した。廊下にいた生徒たちが数名、何事かと彼女たちの方を振り返る。少し驚いた表情を浮かべる赤羽根に、たからは慌てて「しーっ!」と人差し指を顔の前で立てた。


「声が大きいわよ!」

「僕ですか?」

「えーっと、その本は分厚くて読むのが大変だから……。今すぐじゃなくて、帰ってから! 家で一人きりの時にじっくり、ゆっくり、できるだけ時間をかけて読んで!」

「分かりました。お心遣い、感謝致します」

 赤羽根が『資料集』を大事そうにカバンの中に入れ、それから仰々しくお辞儀した。


 普段から感情表現にこそ乏しいが、無表情でも機械的でも淡々と自分の為すべき仕事をこなしていく赤羽根は、生徒会の中でも信頼が厚い。そんな彼もまた、”清く・正しく・美しく”あろうとするたからの事を心から尊敬し信じ切っているのは、彼女自身も良ォく分かっていた。


「僕も新しい会計管理として、一皮剥けたいと思っていた所存です。この本を隅から隅までみっちり読み込んで、必ずや会長のお力になって見せます」

「ええ……よろしく頼むわ。あ! それから後もう一つ……」

 たからが思い出したように付け加えた。

「申し訳ないんだけど、明日の『遅刻検問』。朝と夕、変わってもらえない? 私、朝用事が出来ちゃって……」

「もちろん、良いですよ。いつでも何なりと、仰ってください」

「ありがとう。いつも、助かってるわ」

 自分が尊敬している者に”頼み事”をされるのが、きっと誇らしいのだろう。珍しく嬉しそうな顔を浮かべる赤羽根に、たからは苦笑いを返すのが精一杯だった。



「これで良いんでしょ……。これで時間が止まらなかったら、承知しないんだからね……ったく……」

 堂々と胸を張って去って行く後輩の背を見つめながら、たからは多少の罪悪感を覚え、一人小さくため息を零すのだった。 

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