第4話 婚約者と領主 前編
「ングフッ……ぐふふふ! んぐふふふ!」
ぐふぐふと声を漏らしながら窓の外を見つめるアロダンテ、その巨体にも限らず機敏に右へ左へ移動を繰り広げる。
いつも泰然自若とした態度を崩さぬ男が明らかに焦っていた。
否、普段から表情筋が機能せず、言葉足らずなこの男は内心はどうであれ態度に出ないだけなのだが。
「あのぅ……伯爵様? 朝からずっとその調子ですけど、まだ約束のお時間には少し早いので、おすわりになってお待ちになっては……」
その様子を見て、たまらず声をかけたのはアリー。
数カ月前に保護した子どもたちのリーダー格の少女だ。
最初は警戒心が服を着て歩いているような娘だったが、今では立派に勤めを果たしてくれている。
「旦那様、その巨体でそうも右往左往と暴れられては、折角アリーが掃除した応接間が埃まみれになります。
あと素直に目障りですのでおとなしくしてください」
毒を吐きつつ主人を窘めるかのようなふりをして、ただ毒を浴びせているのは、このナブア辺境伯家筆頭執事アントンである。
自分を思って言ってくれた事っぽいので何とも言えず表情が引きつるアリー。
そう、アリーはナブア辺境伯家でメイド見習いとして働くことになったのである。
それはもう紆余曲折があったが、とりあえず今ではアロダンテが理不尽な無体を働く男でないということは理解している。
そして当のアロダンテはというと――
「んぐふふ……アントンよ……我輩も目障りはさすがに傷つく……」
――思ったよりしょんぼりしていた。
見た目的には憤怒の形相でわなわなと震えているのだが、声も低く沈み明らかに殺意がこもっているのだが、それでも偏見を無くして見ればわか……らなくもないような気がするレベルでわかる。
「それは失礼、しかし毎度この調子では困るというのもおわかりになりますね? 貴方はナブア辺境伯領主、隙を見せれば貴方以外に累が及ぶ」
アロダンテは説教を受け、ずしりと椅子に座り深く息を吐くと顔を手で覆う。
この辺境領とはつまり国境を意味する。
内外多くの敵を持つアロダンテは懐に入れた人間に甘い。
それらに被害が出かねないというのなら、無理にでも落ち着くしかなかった。
「だいたい、たかだか婚約者が訪ねてくるだけだというのにいつまでもソワソワしないでくださいませ。そういうのはアリーくらいの初々しさを持たねば許されませんよ」
いつもよりナイーブだったり、落ち着きがなかったりするのは、定例となっている婚約者との逢瀬のためである。
通常ナブア辺境伯邸へ王都から貴人が馬車を使用して移動すると、おおよそひと月前後かかる。
純粋に距離があるのと、辺境伯領は危険がいっぱいなので相応の護衛が必要になるからだ。
人が多くなればその分移動は遅くなる。
それを解消するために作られたのが、
空気よりも軽い気体を入れた浮き輪を艇に融合し、飛竜に牽引させるのである。
難点は飛竜という魔獣の調教が必要なため、辺境伯領ならいざ知らず王都にはあまり数がないこと、また飛竜よりも強い魔獣や魔物には襲われるリスクがあること。
リスクの少なさであれば、転移門や転移陣が良いのだが、これらは距離が離れれば離れるほど魔力が必要になるため王都と辺境を繋ぐにはコストがかかりすぎる。
今回は
アロダンテは婚約者を愛している。
それはもう深く、溺愛と言っていい。
しかし同時に自分などとは釣り合いが取れないほど美しいため、いつ解消されてもおかしくないとおもっている。
そのため毎回緊張してしまうのだ。
「伯爵様って婚約者様がいたんですね……! どのような方なのですか?」
せいぜい村娘としての教養しかなく、それもほぼ尊厳剥奪された生活を余儀なくされた十代前半の娘に数ヶ月で教えることができることなどたかが知れてる。
故にアリーに限らず子どもたちは言葉遣いこそ丁寧になったが、時折こうして不躾、あるいは無礼にあたる質問を投げかける。
……筆頭執事の口の悪さも確実に影響している。
明らかにこれが隙につながるのではないかと思うのだが、アロダンテは親しげに話しかけられ喜び、のろけ始めているし、アリーはそれを楽しく聞いているので気付いていない。
そしてアントンは、やれやれといった雰囲気を出しつつも静かに控えていた。
実のところ、館の中にいる限りアロダンテの庇護下にいる者に危害が加わることはない。
これは絶対である。
アントンが言った累の及ぶ相手とは、現状庇護下にいない婚約者本人のことである。
◢◣
◥◤
「ハァ……旦那様にお会いするだけで十日もかかるのはやはり非効率だわ。長距離転移門の設置は急務ね」
陽光に煌めく白銀の髪、憂いを帯びたように伏せられるまつ毛、白い肌に桃色の唇、それはあまりにも美しく、しかし感情が一切感じられないまるで人形のようであった。
動きや言動は年頃の娘のそれであるにも関わらず、表情は一切動かず、声音も一定。
あまりにも印象がチグハグで頭がおかしくなりそうだ……。
ああ、仕事でなければとっくに投げ出していただろう。
無情の冷酷姫。
白銀の狂い月。
クレンベルカの人形姫。
クレンベルカ王国第三王女、ルーナエルシエラ・ティ・クレンベルカ様。
王国に勤めて4年。
騎士団に入り、剣術の腕を買われ異例の早さで班長まで出世した。
王女殿下の護衛役など栄誉この上ないと思っていた、しかし実態は表情一つ動かさぬ人の形をしたナニカの見張りだ。
私にはまるでヒトの真似事をする魔物にしか見えないのだ……!
わかっている、このような考えが不敬であることも、彼女が間違いなく人間であることも、わかっている!
しかし、だがしかしそれでも、私は恐ろしい……!
彼女のあのガラス玉のような瞳が!
見つめられると心の奥底まで見通されているかのような、あの瞳が恐ろしい!
動かぬ表情で感情豊かな声音で話す姿が!
まるで人形劇を見せられているような、あの姿が恐ろしい!
およそ生物としての気配を感じない、あの美しい少女が恐ろしくて仕方ないのだ……。
「騎士様方も大変ね?
やはり表情は微動だにせず、しかし声音は呆れを多分に含んだ様子で言葉を紡ぐ。
何を考えているのかわからない。
わからないものは怖いのだ。
「いえ職務ですゆえ……王女殿下に万一の事があれば国王陛下、妃陛下も悲しまれましょう。女人のみでの旅など許容できますまい」
当たり障りのない言葉を吐く事で壁を作る。
こちらの心の内を見透かされぬように、決して目は合わせず、それらしいことを言っておく。
しかしそれは間違いだったのかもしれない。
「……っぷ! くっふっふふふっ! うっふふふふふふ!! お、お腹痛いっふふふふ! あなた面白いこと言うのね! ふふふ、両陛下が
無表情のまま喜劇を見ているかのように笑い出す彼女は、不自然で壊れているように見えた。
声は笑っているのに何も感じない。
それは虚無の哄笑だった。
「姫様準備が整いました。護衛の方をいじめていないで、早々に移動なさいませ」
あまりのことに二の句が継げずにいたところ、カサンドラ殿が来てくれた。
王都から離れ十日、辺境領との境目となる街で中距離転移陣の準備をするため席を外していたのだ。
そのせいで護衛の為とはいえ男の私が王女殿下の近くに侍ることとなったのだが……今は良い、とにかく助かった!
我々の役目はここまでだ、これでこの方から離れることができる!
殿下と侍女二人はこれから一週間ほど公爵邸で過ごし、
悪名高きナブア辺境伯領……ルーナエルシエラ様の婚約者たるナブア辺境伯の治める地。
魔境と呼ばれるほどに魔獣や魔物が
先ほどの王女殿下が言った見栄えの
恐ろしかった、不気味だった。
それでも見殺しにするのは違う……そう思うのに、転移陣へ進む彼女たちに声をかけることができなかった……。
曲がりなりにも
そのような筋書きが必要だったのだろう。
ナブア辺境伯の悪評は聞き及んでいる、中央諸侯が苦々しく思っていることも。
辺境伯領は折衝地帯、帝国と魔の森を抑えるためにも相応の武力がなければならない。
故にかの悪逆非道の領主も放置しなければならない現状なのだ。
王は民を守るためならば非情にならねばならない……娘を生贄にしてでも、この国の癌を切除するつもりなのだろう。
それを見送るしかできない事が、何よりもうあの目を見なくていいとホッとしている自分に嫌気が差す……!
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