第32話 過去 (改訂あり)
「ちょっちょっちょ、レイさん⁈」
部屋を飛び出した彼はそのままの勢いで廊下をぴゅーっと走り抜けてゆく。
はやっ。流石軍人。
「勝手にゴメンね? でもちょーっとだけ、俺の我儘に付き合って欲しいな♡」
うわぁ、この人絶対ヴィゼル様の弟だ。似てる。
主に人たらしな部分が。
そしてレイさんは階段を滑り降りる。
……正確には、手摺を滑ってる訳だけど。
「⁈」
「時短だよ」
これ、ヴィゼル様にやってもらいたいなぁ……。
そんなこんなで彼は止まった。
「さあーて、着いた。ここが俺の部屋!」
扉を開けると、ヴィゼル様のお部屋よりも一回り小さいけど豪華な内装だった。
多分、ヴィゼル様は物を持たない人なんだろうけど、レイさんの私室には物がたくさんあった。
彼は私をソファに下ろすと、これまたお洒落な棚からティーセットを取り出した。
「紅茶でいい?」
「あ……えと、お構いなく……」
攫われて来た身ですけど。
「構うよ~。暇だからね。勝手に連れて来ちゃって悪いし」
暫くして、目の前にティーカップが置かれた。
「どうぞ♪」
「ありがとうございます、頂きます」
紅茶はとても美味しかった。
「それでさー、梨花ちゃん」
「はい?」
レイさんは相変わらずにこにこと言う。
「暇だから俺とおしゃべりしよ?」
「ええっと……別に構わないですけど……」
「良かった。じゃあね、一個だけ聞かせて。そしたらあいつの良いこと教えてあげる」
あいつ……ヴィゼル様のこと?
「は、はい?」
「梨花ちゃんってさ、あいつと単なる友達、ってだけじゃあないよね?」
一瞬、恐怖にゾクッと背筋が震えた。
何で? 目の前のレイさんは優しい雰囲気なのに……。
「……はい」
「そっか。やっぱりね」
「あの、どうしてそう思われたんですか?」
え? とレイさんは怪訝そうに首を傾げた。
「んー、そうだなぁ。色々あるけど、あいつが外から女の子連れてくるなんて初めてだからね。単なる友人のわけがない。……あと」
「君を見るときの目が違った。あれは完全に惚れまくってる目だよ」
ピンク色の瞳に捉えられて、その言葉が脳内に響く。
ぼひゅーん。
頭が爆発しそう……。
でも、嬉しいな。
私だけ夢中だなんて、ちょっと寂しいから。
「嬉しそうだね」
「……はい」
途端、彼の目が細められて、私はソファに押しつけられた。
「俺さ、あいつの持っている物は全部奪いたいんだよね」
「……え……?」
「知ってる? 王位ってね、前王の推薦で決まるんだよ。親父は俺じゃなくて何でもできる完璧超人のあいつを選んだ。当たり前だよね」
彼は決して怖くはないけど、代わりにやりきれなさを感じた。
「俺とあいつは年が近い。あいつが早死にすれば話は別だけど、俺が王になれる日は来ないんだよ。王子の癖に、永遠にね」
そっと手が頬に触れた。
「だからね、その分、俺が少し多く貰ったっていいでしょ? 王権の代わりに、あいつの大切なものを奪うって決めた」
「今までは物ばかりだった。だから大して何事もなくって、俺は飽きていたんだけど……君を見つけた」
どことなく兄の面影があるその笑顔に、恐怖しか感じなかった。
「だから……今度こそ、奪えるかなって思ったんだ。君があいつにとって大切であればあるほど、奪い甲斐があるってものだし」
私、また道具として使われてる……。
「わ……私、あなたの元になんて行きません」
レイさんは涼しい顔で言った。
「そんなの知ってるよ。別に俺は君なんてどうでもいいんだ。ま容姿には困らないから外に出してもいいかもね」
「い、嫌ですっ」
「最初は嫌かもだけど、俺女の子の扱いは慣れてるから大丈夫。すぐに俺じゃなきゃ駄目な身体にしてあげる。ね、俺んとこ来なよ」
嫌だ。私にはヴィゼル様しか考えられない。
まだ愛され足りないもの。こんなところで終わるのは嫌!!
その時、扉が開いた。
「あれ、遅かったね~……ってなーんだ、あいつじゃないのかー」
現れたのはルーカスさんだった。
「おう、たいしょ……じゃねえ、国王は今執務に追われてるからよ、オレが任務を引き受けたってわけさ」
「ルーカスさん……!」
「よ、お嬢ちゃん。相変わらず連れ去られてばっかだな」
にこっと笑うルーカスさんに釣られて私も笑ってしまう。
「へえ、そうなの?」
「……」
「あーあ、冷たくなっちゃった」
当たり前だと思います。
「つーことでよぉ、お嬢ちゃん返してもらうぜ」
「嫌だね。あいつ本人が来ないようじゃ、梨花ちゃんもそれまでってことじゃないの?」
……そんな……そんなこと……
……そうなの……?
「お前、お嬢ちゃんを泣かせんな」
「俺は知らないよ。相手を信じられないってことはそれだけの愛ってことでしょ」
確かに、そうだ。
私はヴィゼル様のこと、疑ってばかりだ。
いつだって不安だ。
「……私、信じます」
「え?」
「ヴィゼル様のこと、信じてる……から、何があっても、あなたには屈しません」
レイさんはしばらく私を凝視した後、ふーん、と呟いた。
「そっか。……俺は結局、あいつには敵わないんだね」
それは、違う。
「……そんなこと、ないと思います」
「え?」
「お嬢ちゃん?」
「私はまだあなたと出逢ったばかりだけど、良いところがたくさんありました。それはヴィゼル様にはないところです」
初対面でも優しく対応してくれた。
話を受け止めてくれた。
それに、私がたまたま、ヴィゼル様の物だっただけだ。
普通の人に対して彼はすごく優しい。
「なんでそんなことが言えるの? 俺結構君を侮辱しちゃったんだけど」
「それは怒ってます。……けど」
「レイさんの気持ちも、分かるから」
──それは、遠い日の記憶。
思い出したくなくて、受け入れられなくて、心の奥底にしまい込んでいた思い出。
私には、兄がいる。
名前は……倉石
背が高くて、黒い髪が綺麗で、かっこよくて。自慢のお兄ちゃんだ。
兄とは年が離れているけど、私の面倒を見てくれて、大好きだった。
これからもずっと遊んでくれると、信じて疑わなかった。
ある日、兄は両親に言った。
「俺、軍隊に入りたい」
ロステアゼルムでこそ、陸海空軍に所属している人は大勢いるけど、エストラルでは珍しかった。
両親と私は当然反対した。心配だったから。
でも兄は確固たる意志を持っていた。親を説き伏せ、私を強く、抱きしめた。
「俺はリンを守りたい。リン以外の人も、守りたいんだ」
──そうだ、お兄ちゃんは私の事をリンって呼んでいたっけ。
そうして兄は、軍人になった。
それから何年かが過ぎた頃、兄は戦争に駆り出された。
──嫌な予感がした。
今離れたら、もう二度と会えなくなる気がして、私は懸命に兄を止めた。
行かないで、傍にいて。また前みたいに、遊んでよ──。
結局、兄は家を出て行った。
それから二年、兄からは一度も連絡がない。
──
「私、目の前で大切なものが奪われたことが何度もあるから……分かるんです」
ここ最近は、特にそうだった。
友達が兵役に出された。目の前で倒れる人々を何人も見た。
「すごく、やるせなかったから……あなたの気持ちも、分かります」
大切な物が目の前で奪われる悲しみとやるせなさ。
レイさんは息を吐いた。
「……君は優しいね。純粋で、誰よりも強い」
それからふっと笑って言った。
「あーあ、俺って馬鹿だよなー。普段から言われてるけど」
彼はすっくと立ちあがる。
「俺、あいつ……兄上に謝ってくるよ。梨花ちゃん、着いてきてくれる?」
「はい、勿論です」
「おーおー、良かった良かった。何よりだ」
♦
レイさんは執務室の扉を開けた。
「レイさん、ノックしないと……」
「……あ、忘れてた。ごめん、緊張してるみたい」
私たちが呆気にとられているなか、彼はヴィゼル様の元へ歩いた。
「……何の用だ」
「兄上……その…………今まで、ごめん」
「今更何だ? 私が許すとでも思っているのか?」
レイさんはもう一度言った。
「ごめん……兄ちゃん……」
ヴィゼル様は、ふっと短く息を吐いた。
「お前は昔から変わらんな。いつまで経っても馬鹿だ」
「に……あ、兄上……」
「好きに呼べ」
「……じゃあこれからもあんたって呼ぶね」
ヴィゼル様はじとっとレイさんを睨んだ。
「……まあそんなことはどうでも良い。で、だ」
「貴様には勿論罰を受けてもらう」
ヴィゼル様の雰囲気が一気に変わる。
「えー……」
「えーじゃない。罰としてお前に私の執務を代わってもらう」
「ちょ⁈ ヴィゼル様⁈」
今まで黙っていたヨシュアさんが驚いて声を上げた。
「俺に出来るかなぁ……」
「出来なくてもやれ。……お前には出来るよ」
その場にいた全員が、やっと真意を理解した。
「にいちゃ……」
「馬鹿でも出来る簡単な物だけ残しておくからな」
「……ッ……」
「ははっ、そりゃいいや」
私たちは笑った。
「ヨシュア、後は頼んだぞ。ルーカスもご苦労、下がってよし」
「「はっ」」
「さて梨花、さっさと帰るぞ」
「え? あ、はい」
帰り際、レイさんがあっと声を上げた。
「そう言えば、俺まだ兄上のいいこと言ってない!」
「は?」
レイさんは私の腕を引き寄せ、耳元に囁いた。
「あのね、分かってると思うけど、あいつ本当に優しい奴なんだよ。昔俺が肺炎になっちゃった時、あいつはずっと隣にいてね、こう言ったんだ」
「『私が居れば大丈夫、何も心配することない!』ってね。でも一番心配性なのも兄上。俺が入院するとき、俺よりも怖がって泣いてたんだってさ」
「!!」
えっ……かわ……かわ……
かわよいー!!
「おい、何を話している?」
「なんでもなーい」
レイさんは再び小声で付け足した。
「じゃあね、梨花ちゃん。応援してるよ」
「……ごちそうさまでした!!」
「はいはい。頑張ってね」
ヴィゼル様は不思議そうな顔をしながらも私の手を引いた。
「行くぞ」
「はい!」
──改めて、ヴィゼル様って素敵な人だと分かった。
好きになってよかった。
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