第15話 多少のワガママ

「ふぅ……そろそろお昼にしようか」


 俺を膝枕していた陽奈希ひなきが、そう切り出してきた。


「……確かに、いい具合に腹が減ってきたな」


 胃が空っぽになってくると、流石に無心でリラックスし続けるのは難しい。

 柔らかくて寝心地の良い感触から離れるのは、少しもったいないけど……ってまた俺はおかしなことを。

 これ以上この魔性の太ももの上にいると、人間としての活力を根こそぎ奪われる気がしてきたので、俺は起き上がることにした。


「さて、じゃあどこに……」

「あ、待って」


 確かこの植物園には飲食店がいくつかあったはず……と思いながら身を起こすと、陽奈希が止めてきた。


「実はわたし、お弁当を作ってきたんだけど……」


 陽奈希は傍らに置いていたバッグから、布に包まれた弁当箱を取り出した。


「やけに荷物が多かったのは、そういうことか……」


 ……女の子の手料理。

 男なら、一度は憧れる代物だ。

 俺の家は両親が共働きで忙しいから、妹のいろりが作った料理を食べることはあるけど、あれはノーカンだ。妹は妹であって女の子ではない。

 それはさておき。

 まさかここでその、憧れの品にありつくことになるとは。

 

「もちろん、レストランとかの方が良かったら、このお弁当は後でわたしが食べておくけど……」

「とんでもない。ぜひ食べさせてくれ」


 あまり料理の経験がないからか、弱気な様子の陽奈希に対して、俺は食い気味に即答した。 

 「それでいいのか」という心の声が一瞬頭をよぎったが、欲求に負けて消えていった。




 陽奈希のお手製弁当を受け取った俺は、さっそく包みを解いて弁当箱の蓋を開けた。

 唐揚げやハンバーグなどの肉料理を中心に、定番のおにぎりや卵焼き、彩りを意識したと思われるミニトマトやブロッコリーといった野菜まで入った正統派な内容だ。

 とはいえ、どれも珍しいおかずってわけではないし、当たり前といえばそうだけど食べたことだって何度もある。

 しかし、それが女の子の手料理となると、その価値は格別だ。

 ……ああ、もう語っているのも惜しい。


「それじゃあ、いただきます」

「は、はい……どうぞ」


 箸を手にする俺を見ながら、表情を硬くする陽奈希。

 さて、まずは卵焼きから……。


「……美味い」

「そ、そうかな……?」


 俺が感想を言うと、途端に陽奈希の表情が柔和になった。


「野菜以外は、全部手作りだよな……これ」

「うん……! わたし、あんまり料理したことなかったから……お母さんに教わりながら、頑張って作ったの」

「それにしたってこの量と品数は……けっこう早起きしたんじゃないのか?」

「ふふっ。初デートだし、初めて振る舞う手料理だし……張り切っちゃった」


 はにかみながら、ぐっ、と小さく胸の前で拳を握ってアピールしてくる陽奈希。


「……それにしても、美味いな」

「じゃあ今度から、学校でもわたしがお昼作ってきてあげようか?」

 

 君っていつも、学食か購買のパンだし……と続けながら、陽奈希はそんな提案をしてくる。

 両親が忙しい時、たまに夕飯を作ってくれる炉ではあるけど、流石に弁当までは用意してくれない。

 だからこれは、俺にとっていい話ではあるんだけど。


「それはいくらなんでも申し訳ないというか……陽奈希の負担になるだろ? ただでさえ委員会やら何やらで忙しいんだし」

「君が遠慮することはないんだよ? わたしから、作ってあげたいって言ってるわけだし」


 やんわり断ろうとしたけど、どうやら陽奈希は引く気がないらしい。

 ……ここは、何かしらの妥協案が必要そうだ。


「じゃあ、週一とかに限定して、食費はちゃんと俺が出す……って形でどうだ」

「うーん……わたるがその方が良いなら、そうしよっか」


 陽奈希は少し考えるような素振りを見せたものの、割とあっさり俺の妥協案に納得した。

 ……流れで決まってしまったけど、これからは当たり前のように陽奈希の手料理を食べることになったってことだよな、これ。

 この先関係を続けていくかも定まっていない相手と、こんな約束をして良かったんだろうか。

 …………。


「なあ、陽奈希」

「ん、どうしたの? 改まって」

「俺のために色々してくれるのは正直、嬉しいけど……もうちょっと、陽奈希のしたいことも言ってくれていいんだぞ」


 それは俺にとって、陽奈希がしてくれた気遣いへの感謝であり、現状に対する罪滅ぼしでもあった。


「え……」


 俺の申し出に対し、陽奈希はそんなこと思いも寄らなかったとばかりに、目を丸くする。

 が、直後に笑みを浮かべた。


「ふふ、やっぱり優しいなあ。渉って」

「……そうでもないと思うぞ」


 そんな風に素直な反応をされると、後ろめたさを感じてしまう。


「けど、わたしとしてはこうして渉をお世話しながら、恋人らしいことができるだけで、割と満足なんだよね……」


 ……また平然と、どうして陽奈希はそんなことが言えるんだ。

 これならまだツンツンしていた時の方が、心臓に優しかった。


「でも、何かあるだろ? 多少のワガママなら、聞くつもりだぞ」

「じゃあ……」


 陽奈希は顔を赤くしながら、意を決したように言葉を紡いだ。


「君の部屋に、行ってみたい……とかは、だめ?」


 ……そう来たか。

 俺は軽々しくワガママを聞くなんて抜かしたことを後悔した。

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