第35話
それは、人がこの地に住まうずっとずっと前のお話です。
私と我が背、焔岩は共に在りました。生まれた時は、恐らく別であったろうと思いまする。しかし、焔岩と共に無かった過去など、私は覚えておりませぬ。まるで、生まれた時より共にあるように思いまする。
出会って後、私達二人は片時も離れず、手に手を取って、暮らしておりました。
晴れた日は空を仰ぎ、雨の日は共に濡れて。私達は自然の御魂ですから、濡れることが悪いことだとは思いませぬ。そも、体が濡れるという感覚も分かりませぬ。ただ、それほどいつもで同じ感覚と、同じ感情を共有しておりました。私たちは、性は違えども、その心は寸分たりとも違わないと思っておりました。
夏の日も、冬の日も、めぐる季節を思い、木々や花に、そこに住まう動物達に想いを寄せて過ごしました。
それだけで幸せだったのです。他に何も要りませんでした。だた、その穏やかな時がずっと続けばいいと、そして、変わらずある物だと信じて疑いませんでした。
やがて、私達の時間に小さな変化が起きます。それは。人がこの地に住まうようになった事です・私たちはその様子を高い空から見ていました。それはとても微笑ましくあったのです。私達にとっては、人間も他の動物と同じという感覚しかありませんでした。動物の、新しい仲間が加わったと、そう思っておりました。
実際、人々は当初、他の動物達と同じように、自然に寄り添い、自然のままに生きておりました。彼らは徐々に樹を切り倒したり、土を大きく掘り返すことを覚えていきましたが、私達は、他の動物と違うそれらの行為を、そのまま見守っておりました。たとえ、樹を切り倒しても、土を掘り返しても、さほどその土地の力を奪うことにはならなかったからです。
樹が切り倒された場所にはまた新しい樹が生え、土もほどなく戻りました。
そう、大したことでは無かったのです。その程度であれば。
しかし、人々はやがて、お互いに同じ種族同士で争うようになってしまったのです。
原因は様々でした。何かの諍い、食糧不足、中には致し方ない事情もあったでしょう。しかし、その多くが人の欲による物でした。私達は、初めて生きたいという欲望以外の欲に触れました。
それは、私達にとって、大きな驚きでした。そのことで心を惑わせることが出て来たのです。それでも、私達は、それまで通りであろうと努力いたしました。
しかし、人々の争う心は、焔岩の中に少しずつ蓄積されてしまったのです。そして、ある日、焔岩はその内側にたまった怒りを一気に吹き上げてしまいました。
そう、焔岩は、火の御魂。火のお山と繋がっているのです。
私は跳ね飛ばされ、先ほどの山に吸い込まれてしまいました。今にして思えば、あのお山の御魂が、私を守ろうとしてくれたのかもしれません。私はそこで何とか自分の核を立て直し、どうにかして焔岩をなだめようと試みました。
しかし、私は風の御魂。お互いが穏やかである時は何も起きませぬが、怒りの炎を噴出させてしまった焔岩の、表立った火に触れては、余計にそれをあおってしまうだけです。
私は近づきたくても近づくことができず、焔岩は自分の中の業火を収める術を知りませんでした。彼の心に連動し、火を噴き上げたお山はその麓の木々を焼き、生き物の命を大量に奪いました。犠牲になった人間もあったでしょう。しかし、それを知る術は在りませぬ。果たしてあの時、どれほどの命が犠牲になってしまったのか。それを考えれば考えるほど、胸が痛みまする。
焔岩は、元来慈愛深い性です。そして、己に厳しい性を持ちまする。
焔岩は自分が為してしまった罪に絶望し、あのお山の内側へ深く深く入り込んでしまいました。
そして、お山の火が収まった後も、それからどれほどの時が流れようとも、決して姿を見せてはくれませんでした。
私は何とか彼を慰めようとお山に近付き、何度も何度も彼に語り掛けました。しかし、彼は姿を現しませぬ。そして、一言の言葉も返ってはきませんでした。
その、長い独りの時は、私の心を蝕んでいきました。彼に会おうとすると、ふっと、恐れの気持ちが出てきまする。彼にとって私はもう、必要ない存在なのかもしれないという悲しみが。そのために彼は私に会おうとしないのではないかと言う恐れが。
それが、私の身を竦ませ、最早、長い年月の中で彼のいるお山に近づくことすらできなくなってしまいました。
ああ、九郎殿。
それでも私は彼に会いたい。
もう一度、彼と共に生きたいのです。
このまま彼に会えずにいるくらいなら、心の炎で焼き尽くされてもいい。彼に焦がれる思いで、この身を滅ぼす炎ともなりましょう。いっそ、そうして息絶えられたら、どれほど幸せだろうとすら、思ってしまうのです。
そう結んで、姫蝶はまたはらはらと涙を零した。
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