第13話


 翌日、九郎は秀衡と共に庭を歩いていた。

 考えてみれば、ゆきのかからいつという指定は無かった。特別な支度などは必要ないのだろうかと些か不安になりながら秀衡の後をついてい歩いた。

「九郎殿」

「は、」

九郎はびくっと体を震わせて答えた。まだ緊張しているのだ。秀衡は間違いなく、今の奥州の人間の要。そして、今の九郎の運命を握っているのもまた、彼であろう。そう思うと身が引き締まる思いがした。

 それに気づいて秀衡は温和な笑顔を見せた。

「そう、固くならずとも。」

「しかし、お世話になっているのは私の方です。その、申し訳ないばかりで……」

「そう思われるのなら、今少し心を開いてもらえれば、儂も世話している甲斐があるというもの」

「そのような、」

九郎は恐縮した。秀衡は歩みを止め、九郎に向き直った。

「否、儂が心を開かずして、九郎殿が心を開くはずもあるまいな」

秀衡はしっかり九郎と目線を合わせて言葉を続けた。

「確かに、儂は恐れておる。そなたの中にある源氏の血が、この奥州に何をもたらすのか」

九郎は黙った。何も言えない。源家は今や天下の平氏に弓引く逆賊。秀衡の懸念は無理からぬことだ。喩え、九郎自身がその血を意識していないとしても、周りはそうではない。鞍馬の寺にあったことで、九郎の名は広くは知られてはいないとしても、事実として九郎は源氏の血流である。それを懐に容れることは、危険こそあれ、利益にはならない。しかし今、彼の庇護を失えば、自分の居場所は他にない。

 この旅路自体が、多分に己の我儘であることが、九郎の胸に大きく影を落とした。この選択は正しいのか、誤りであるのか。

「されど、それが、禍つことであるか、あるいは、良きことであるか、それは分からぬ。分からぬから、恐ろしい。それは誰でも同じことじゃ。そして、それは、儂や其方のみならず、全ての人間が持ちうること」

秀衡はそう言って、九郎の両肩に手を置いた。

「許せよ。儂も人間じゃ。分からぬことは恐ろしい。だが、先のことは分からぬでも、其方を分かることは出来る。否。分かろうとすることは出来る」

「……秀衡様」

秀衡は、自ら心を開いて、九郎を懐に入れようとしている。そのことは、十分に九郎に伝わった。まるで、正誤に迷う自分の心を見透かされたようであった。

「私は、私自身の源氏の血が、私に何をもたらすかすら分かりませぬ。まして、秀衡様や、奥州の皆様に何をもたらすかなど、分かりようがありませぬ。ただ、私は今、ここしか居場所がありませぬ。そして、ここに私の知りたいこと、知らねばならぬことがあるように思いまする」

九郎は懸命に、分からないながらも、自らの心の内を語った。それを秀衡は静かに聞いていた。そして、小さく頷いたように見えた。

 秀衡はすっと九郎から手を離した。そして、静かに口を開いた。

「ゆきのかに会われたそうな」

「は。こちらで巫女をされているとか」

九郎は昨日のことを思い出した。結局、あの後ゆきのかを見つけることは出来なかった。いくら巫女だとはいえ、目の見えない体でそのようなことができるのか。あるいは、ゆきのかも、鞍馬の天狗や大天狗と同じ世界の者なのかもしれないと、九郎は思っていた。

「して、何を話された」

「私がここへ参るとご神託が、あったとか」

「奥の大天狗か」

「は、」

「九郎殿は鞍馬のお山の天狗殿に指南を受けたとか」

「少しばかりではありますが」

「天狗にご縁がおありですな」

秀衡は楽しそうに言って、再び歩き出した。九郎は慌ててその後を追った。だが、すぐに立ち止まった。

「やれ、どうやら刻限であるか」

そう言って、秀衡はその場所から動かなくなった。九郎は秀衡が何を言っているのか分からず、その場に立ち尽くしていた。

 しかし、ふと思いついて秀衡の横へ踏み込んだ。すると、いつの間にそこに居たのか、二人の真正面にゆきのかが姿を現した。

「支度、整いましてございます」

ゆきのかが深々と頭を下げた。

「うむ。参ろうか」

秀衡の言葉に、ゆきのかは両手の平を胸の前に置いた。

 何かを捧げ持つような格好の、白い手の平の上に、小さな光の珠が生まれた。その珠はやがて大きくなり、三名の身体を真白の光で包み込んだ。

「……っ」

九郎はたまらず目を閉じた。

 それが、一瞬であったのか、長い時であったのか、分からない。

「九郎殿、目を開けられよ」

秀衡の声に、九郎は恐る恐る目を開けた。 

 強く閉じていた目は、すぐにはものを写さなかった。徐々に目が慣れて来ると、そこには鬱蒼とした森の風景が見えた。

 いくつもの木々の影が重なり、下草を黒く染めている。それでもその黒の下に、緑が映える。それは、陽を遮られても尚、逞しく生きる彼らの生命力を際立たせた。昼間でも薄暗く、湿った土の匂いはどこか鞍馬のお山を思わせる。そこはもう、元の庭では無かった。無論、庭の近くでも無い。そもそも、九郎には元居た場所から歩いた覚えも無いのだ。

「いつの間に……」

歩いたとして、また、馬で駆けたとしても、ひと時の間に移動できる場所ではない。やはり何かの力が働いたのだろう。九郎が育った鞍馬のお山は霊山だ。そこに似ていると思う今いるところは、果たしてどこなのかは分からないが、やはり、何かしらの力が働く領域なのだろう。

(どこか繋がりがあるのだろうか)

鞍馬の天狗から奥の大天狗へ繋ぎがあったのなら、場所的にもどこかに繋がりがあるのかもしれない。九郎はそう思いながら辺りを見回した。

「九郎殿」

九郎は、呼び声に小さく応えた。そして、はっとなった。

 その声は、聞き覚えの無い声だったからだ。この場で、そういった声に遭遇するとすれば……

 九郎は秀衡を見た。秀衡はすっと体を斜に傾け、道を開けた。先へ行けということだろう。それを察して九郎がその横を通り抜ける。その先にゆきのかが居た。九郎はゆきのかの前で一度歩みを止めた。

 彼女は静かに九郎と顔を合わせ、そして、微笑んだ。そうして、彼女は秀衡と逆側に身を引いた。九郎がその脇を通り抜ける。そして、正面を見つめた。そこに、ゆらりと、水の壁のようなものが見えた。それは、徐々にその領域を広げ、全体が歪んで見えた。

 ざわざわと音がしそうな揺らめきの中、一人の烏天狗が姿を現した。それに呼応するように、揺らめきが収まり、風景が次々と確定していく。九郎はそれを、夢を見るような心地で見ていた。

「大天狗様、九郎殿、参る」

ゆきのかの声に我に返った九郎の耳に、さらさらさらと、水の流れる音が届いた。

 九郎の目の前には大きな滝がある。不思議と音が煩くなかった。大きな滝であるにも関わらず、水音はそれほどしない。しない、というのはおかしいかもしれない。煩わしくない、というのが正しい。実際、それほどの大きさの滝が、音もせずに落ちるのは不自然だからだ。しかし、不自然さは感じない。不思議な心地よさを感じていた。

 九郎はまた移動したのかと思った。先刻のように、一瞬で。

「否。移動したのではない。其方達は最初からこの場所に在った」

先ほどの声がした。やはり、烏天狗だった。

 九郎ははっとして跪いた。

「く、九郎に、ございます」

次々と起こる、この世のものならざる出来事に気を取られ、礼を尽くすことを忘れていたと気づいた。この、目の前の烏天狗が、ゆきのかや秀衡の言うところの奥の大天狗であろうことは想像に難くない。そうなれば、奥州の人と別の世界の要はこの天狗。

 天狗の背の丈は秀衡の背丈を大きく超えていた。九郎はそれを見上げた。

(鞍馬のお山の天狗はもう少し小柄だったか)

同じような出で立ちに、つい、鞍馬の天狗を思い出してしまう。比較してどう、ということはないのだが。ただ、えも言われぬ懐かしさも感じていた。

(鞍馬の天狗様は息災だろうか)

ふと、九郎がその身を案じた時、大天狗が笑ったように見えた。

「鞍馬の天狗殿を思うておるか。息災だ。鞍馬の天狗殿も主を案じておる」

九郎ははっとなった。先ほどの事といい、どうやら見透かされているようだ。するつもりもないが、隠し事は出来そうにないと、腹をくくった。

「大天狗様は鞍馬の天狗より私の事をお聞きと伺いました。何かの折にはどうぞ私も息災であるとお伝え下さりませ」

「伝わっておるよ。今、儂の目を通してお前を見た。鞍馬の天狗殿も安堵しておる」

そのようなことまで、と、九郎は驚いた。今、大天狗の目は、鞍馬の、あの懐かしい天狗に繋がっている。そう思うと、大天狗の紫暗の瞳は何よりも慈悲深く見えた。

「左様にござりまするか。ようございました。有り難く」

九郎は大天狗に頭を下げた。

 九郎は天狗の能力に初めて触れたような気がした。鞍馬の天狗は、自分にあまり天狗の能力に関しては言わなかった。ただ、人の域に留まり、人としての戦い方を教えてくれた。それが彼の役割であったのかもしれない。

 鞍馬の天狗は師匠であり、父替わりでもあった。彼失くしては、お山の生活にその身を腐らせていただろう。心もいつか、膿んでいたかもしれない。彼は九郎にとって、己の本質を忘れずにいるための大きな庇護者で、大切な存在だった。

 それでは、この大天狗は、自分に何を教えてくれるのか。それ以前に、その資格を自分に認めてくれるのか。鞍馬の天狗が自分を認めてくれたように。

 否、どうすれば、認めてもらえるのか。黙っていて認めてもらえるはずもない。

 奥の大天狗はしばらく九郎をじっと見ていた。何かを見透かすような視線に、最初、九郎は怖気づいて俯いた。

(秀衡様も、私の心の内をきちんと聞いて、下された。要となるものは、きっと同じ心を持っている。秀衡様にしたように、大天狗様にも、嘘偽りのない私の心を聞いてほしい)

九郎は一度、振り向いた。背後で様子を見ている秀衡へ視線を向けた。秀衡は静かに頷いた。九郎もまた、頷き返して向き直った。

 視線を上げる。大天狗と目が合った。今度は逸らさなかった。真っ直ぐに見つめ返す。きっと、それで伝わる。それで、認められぬとなった時はそれまで。

「……九郎」

大天狗が、静かに九郎を呼んだ。目線はそのままである。

「は、」

九郎もまた、そのままで答えた。

 すると、大天狗の目が、細められた。

「よくぞ参られた。鞍馬の天狗より預かった御身、我も全力で守ろう」

大天狗は両手を広げて、全身で九郎を迎え入れる姿勢を取った。

 九郎はほっとした。しかし、何を認められたのか分からないのは、どうにも胸に引っかかった。

「……何故、ですか」

九郎は恐る恐る聞いてみた。

「この身をお預かり頂くこと、有り難くは思いますが……大天狗様は一体何をご覧になられたのですか」

「先ほどの透視か」

「はい。何か人の目には見えぬものをご覧になられているのかと。口にしていない、私の心の声を見透かされたように」

そう言われ、大天狗は小さく笑った。

「何かを、己の心の中を見透かされていると思えば、普通の人間であれば目は合わさぬ。其方も一度は逸らしたが、再び合わせて来た。まるで、見よ、とでも言うようであった」

「そのような」

「否、叱責しているのではない。むしろその志が其方を受け入れようと思わせた大きな要因となり得た」

「鞍馬の天狗様の口添えがあったからでは?」

秀衡が聞いた。大天狗は一度秀衡の方へ目線を向けて頷いた。

「それもある。だが、鞍馬の天狗殿も其方と同じ、九郎が思う通りの者か、我に品定めをさせたかったのだろう」

「品定め、に、ございますか」

「言い方は悪いがな。九郎殿の人となりを、傍目から見たかったのだろう。気に入れば気に入るほどその目は逆に濁ってしまう。それを他者に委ねたくなるのは、それほど九郎殿を気に入っているからであろう。其方も、鞍馬の天狗殿も、然り」

九郎は秀衡を見た。苦笑している。ゆきのかに至っては、顔を着物の袖で隠してしまっているが、肩が震えていた。それは寧ろ九郎を笑っているのではなく、恥ずかしそうにしている秀衡が面白いと言った風情だった。

 人の上に立ち、いつも冷静沈着で居住まいを正している秀衡が動揺しているのが面白いのだろう。心なしか大天狗もさも面白いというように笑いを漏らしている。

「……とはいえ、我にも何が分かるわけでは無い。先ほどの事も、我は千里眼を持つわけでは無い故、全てを見通せるわけでは無い。ただ、九郎殿の人となりを見た。心根を見た。そして、九郎殿は我が懐に容れるに相応しき者と、そう、思ったに過ぎぬ」

「しかし、私はただの九郎義経にございます。源家の血を引くとはいえ、それは今の時代では利にはなりませぬ。そのように、高く評価されましても……」

「恐ろしいか」

「いえ、もったいなく……」

そうは言いつつも、確かに、恐ろしくはあるのだ。自分は何だと思われているのか。何となることを期待されているのか。

 自分はただの若者に過ぎない。何の権力も無ければ武力も無い。あるのはただ、その身一つ。源氏の血を引く、この身一つ。自分が為したいことも、なりたいものも、未だ分からないままの、半端者。

 大天狗は一度空を仰いだ。つられるように空を仰げば、気づけば、そこには青空があった。鬱蒼とした森の中にぽっかりと空が口を開けている。

「我らは既に人の世の外の者。大きく言えば、人の世がこの先どうなろうと我らの知った事ではない。人の世の理の内に、其方に何ら期待することは無い」

「では、何故」

「さて、人の世の理屈の通じない事を、人の世の理屈で生きる者に説明するのは難しい」

やはり天狗だ、と、九郎は思った。自分に分からない何かを見ている。そんな気がする。

 人と違う領域。そこから話す言葉は、やはり、鞍馬のお山の天狗と同じだ。難解である、と、九郎は思った。だが、それだけではない。鞍馬の天狗に接していた所為か、思いの外抵抗は無かった。分からないが、それが不快ではない。そして、天狗達の話もまた、真実であると、心のどこかが理解していた。それはそのまま、九郎の中にあった大天狗への警戒心や緊張をまた一つ解いた。分からぬが、同じもの。自分が全く理解できない領域の存在ではないと思えるのは、やはり、鞍馬の天狗の存在が大きいのだろう。

 何をか想いを巡らせる九郎を、大天狗は優しい眼差しで見ていた。

「ただ、我らには我らの役割があり、そこに其方が関わっている。恐らくは、な。ただ、それだけのことだ」

「そちらの都合もある、というわけですか」

「そうだ。不服か?」

九郎は少し考えた。そして、ぱっと明るい笑顔を見せた。

「いえ、力添えを頂けることに変わりはありませぬ。私には私の都合がございます。

それに一方的に巻き込んでしまうというわけではないということが分かって安堵致しました」

「我らを利用すると?」

「天狗様方が私を利用する程度には。若輩者故、分からぬことばかりです。ですが、分からぬことが多いということは、これから知っていけることが多いということ。その中に大天狗様のことも入っておりまする」

「我を知りたいと?」

「はい」

九郎は真っ直ぐに大天狗を見た。何を聞いても変わらない。大天狗の目は、静かで、深く、そして、慈愛に満ちていた。

 九郎はずっと、負い目を持っていた。誰に対しても。自分を認めてくれた相手なら尚更。どこか後ろめたくて、認められる、その源の、分からないままの事情が、どこか、不気味で。

「九郎」

「はい」

「其方は何を望む」

「それは……」

「源家の再興か、天下の覇権か。それともそれらに惑わされぬ、ただの男として生きる道か」

「……分かりませぬ。それを知りたくて寺を出ました」

「恐らく、源家の残党はお前に目を付けるだろう。お前の望みをそれにすり替えてしまうやもしれぬ。喩え、お前がそれを望んでいなくとも、望んでいるかのように錯覚させてしまうやもしれぬ」

「そのような、」

「人の世に、関わるということはそういうことだ。己の望みをしかと持っていなければ、他者の望みに引きずられる。力無き者は力ある者へ己の望みを勝手に託し、それが恰も本人の望みであるように謳うだろう。それはあらぬところであらぬ者の反感を買い、要らぬ戦火に巻き込まれる。それは、其方自身に留まらず、周りの者をも巻き込むやもしれぬ」

大天狗の言葉に、秀衡が僅かに目を伏せた。俗世の理は、秀衡自身にも覚えがあった。そして、それは秀衡の心の中にもあることだ。それは、秀衡にはよくわかっていることであった。

(であればこそ)

秀衡はすっと視線を上げた。その目線が大天狗と合う。

(恐らくは、それをしかと胸に留めるために)

秀衡がそう思うと、大天狗は察したように静かに頷いた。

「……私が、お山を出たのは間違いだと?」

九郎が大天狗の意識を自分に戻した。大天狗もそれに応えて視線を戻す。

「己をしかと持つことだ。己の望み、己の心、意志、尊厳、徳……己にとって何が大切なのかを忘れぬことだ」

「しかし、私は己の心すら分かりませぬ。だた、」

「お山で僧になるのは違う、と」

「……はい」

そう答えると、途端に九郎は自分がみじめに思えた。まるでただただ寺の修業が嫌で逃げ出したように思えた。

(私は子供だ)

そうは思う。

 それもあるのかもしれない。

 だが、それだけではない。

 そう、思いたいだけではないかと、心のどこかで思っていた。

 お山を出た日から、後悔しなかったと言えば、嘘になる。そうすべきではなかったのではないか。僧になった方が、良かったのではないか。

 それでも。

「私は、ここに心惹かれて参りました。そのこと、そのものに意味があるのだと、信じたいのです」

いや、と、心で声が聞こえた気がした。

 九郎は顔を上げて周りを見渡した。

 

もうすでに、あったではないか。

 

 短い間に出会った者。

 秀衡。

 ゆきのか。

 そして目の前の大天狗。

 その全てが、動かなかった何かを動かした。何も分からなかった心の暗闇に差した一条の光が大きく、大きく広がっている。

 心の中に風が吹いている。あの時、鞍馬の天狗が開けた風穴が、新しい風を伴って、自分を大きく羽ばたかせてくれている気がする。

 何もわからない、絡み合った糸の中で、するりと、何かが解けた気がした。

「私はここへ、来るべきでした。ここに来て出会えた人々。そして、あなたに出会えたこと、そのものに、意味があると信じます」

「ここに来なければ、会えなかった者達だな」

「はい」

「では九郎、そういうものたちとの出会いを、これからも重ねていく気はあるか」

九郎は暫し逡巡した。

 今を変えたいか。

 今の自分で満足するか。

 既に、果たすべき出会いは全て果たした、とでも?


 終われるか。

 このままでは終われない。

 もっと、もっとと、心の風を求める声がする。

 だが、果たして自分の声か。大天狗が示唆したように、誰かの都合に踊らされてはいないか。

 もしや、それすらも。

「お導き、下さいますか」

九郎は少し息を詰めながら言った。甘えと取られるだろうか。しかし、その中ですら、学んで行きたい。差し伸べられた手の、その先でこそ、見極められるものがあるかも知れない。

「我らの都合の内、だがな」

大天狗はいじわるそうに言った。

「望むところです。それも私の都合の内です」

九郎は真っ直ぐに答えた。恐らく、ある。何故かそう確信できた。自分を見極めるための、その、鍵になるものが、きっと、その手の先に。

 

大天狗は一声、オウ、と、啼いた。

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