第6話

 対面の後、秀衡は庭に在った。

 見上げる空は、美しく晴れている。風は穏やかで、優しく彼の頬を撫でた。

 遠くを臨めば、美しい山並みが見え、近くを見れば、美しい草花が見える。収める領地は望んだままの、また、それ以上の平穏と繁栄を見せている。

 そこに至るまで、苦労が無かったと言えば嘘になる。だが、それ以上の価値を、得ることができたと思う。

 先祖が愛し、また、秀衡もまたその土地を、人を心から愛していた。


「ゆきのか殿」

秀衡は屋敷の庭の片隅にある小さな庵を訪れた。供も無く一人である。

 呼びかけの返事を待たずに中に入ると、一人の少女が座っていた。年の頃は十くらいに見える。彼女の髪は白く、背後から見れば老婆かと思いかねない。しかし、その髪は老婆の白髪にはない、絹糸のような光沢があった。肌もまた抜けるように白い。その真白の外見に加え、彼女は真白の着物を好んで着ていた。そうなるとまるで、雪で作られた人形のようである。

「九郎殿の事でしょうか」

ゆきのかは静かに口を開いた。その唇だけが仄かに薄紅色をしていた。

「見て、おられましたかな」

秀衡はそう言いながら正面の円座に腰を下ろした。

 秀衡の言葉にゆきのかは静かに頷いて体を斜に動かした。そこに一枚の鏡がある。 その鏡には、今は何も映っていない。しかし、それが何であるかを秀衡は知っていた。

 ゆきのかはいわば秀衡お抱えの巫女のようなものである。とはいえ、社のようなものがあるわけではない。彼女が遣えるのは特定の神というよりも自然の精霊、そのものであるのだという。

 それよりも、ゆきのか自身がその精霊なのではないかとも思う。少なくともゆきのかは、人の歴史にはその存在を記されていないのだ。ゆきのかが何歳なのか、いつから藤原の家に関わっているのか、秀衡は知らなかった。幼少の砌、ある日突然、父である基衡からこの庵に連れてこられ、ゆきのかと会った。その日まで彼はゆきのかの存在も、庵の存在も全く知らなかった。

 そして、ゆきのかの姿は秀衡が初めて出会ってから、全く変わっていない。その事について、父に訪ねたこともあったが、父も知らぬと言った。謎めいてはいるが、ゆきのかは自然の御魂と通じ、何度も藤原家に助言をもたらしてくれていた。

 ゆきのかは普段、他の者に姿を見せるようなことはしない。しかし、家の中の事、外のこともすべてを知っているようだった。それは、庵に在る鏡がつないでいるのだった。その鏡は彼女に様々なものを見せるのだという。

 そして、今しがたの九郎との邂逅もその鏡で見ていたのだろう。

「ゆきのか殿はどう思われる」

「問いたいのは、私にではないでしょう」

ゆきのかは思案もせずに言い放った。その言葉に秀衡はくっと笑った。

「見透かされておりましたか」

「いいえ。どちらかと言えば、私がそう、思うのです」

「と、いいますと」

「私も、あの方に直接お聞きした方がよろしいかと」

「やはり」

「はい」

ゆきのかは静かに頷いた。

 ゆきのかの所作、言葉は姿形よりも上に感じる。それもまた、生きて来た年月に関係してるのだろう。

「されば、九郎殿をこちらにお連れしましょう」

「いいえ」

ゆきのかは首を横に振った。

「私が参ります」

秀衡は怪訝な顔をした。少なくとも自分はゆきのかが庵から出るのを見たことが無い。他所でゆきのかの姿を見たことも無い。何かしらの結界などがあって出られないのだと思っていた。だが、そうではないらしい。

「ここへは、藤原家のご当主と、その後継たる者のみが入る事が出来ます」

逆であった。ゆきのがが出られないのではない。秀衡しか入れないのだ。今の状況を以ってしては。つまり、九郎はここへ入ることができない。

「ゆきのか殿はこの庵にしか居られないのだと思っておりました」

「私の役割は御魂とこのお家を繋ぐことでございますれば、ご当主様にのみお会い出来れば事は済みましょう」

「然り」

秀衡はおかしくなって声をあげて笑った。

 考えてみれば、それだけの事である。外でゆきのかの姿を見ないのも、不要であるからであろう。そもそも、いつから在るか分からないものに人の道理を当てはめても仕方がない。ただ、そうであるだけなのだ。花が花であるように、犬が犬であるように。そして、人が人であるように。

 無駄に事を複雑にしているのは人の心の方であると、改めて思わされる。

(九郎殿の事に関しても、そうであるやもしれぬ)

難しく考えずとも、その人となりを見ればいい、既に答えはもらったような気がした。

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