第28話 魅惑のスイーツ

 食卓に並んだことのないぷるぷるのスイーツは、きっと、いや間違いなく俺の父が好むものだと断固確信がある。

 キッチンに並ぶのは、採れたての卵と昨日もらったミルク、そしてシュガービーツを粉末状にしたもの。

 ミルクを火にかけ、砂糖を入れる。沸騰させないように気をつけながら、粉末を溶かす。卵を解きほぐし、冷ました液体を小分けにしながら入れ、よくかき混ぜる。二度ほど漉し、滑らかにする。

 手間を考え、普段は蒸し料理はあまりしないが、今回ばかりは面倒くさがっていられない。鍋に浅くお湯を入れ、小さな容器を並べ、五分ほど蒸す。

「………………よし」

 思わずガッツポーズを決めてしまうのは、この出来を見てしまえば自然と出たくもなる。気泡もない、ぷるぷる揺れる、アルネスの髪色に似た美しい暖色系。

 それだけでは栄養的にはよろしくないので、ウサギ肉をローストしたものも出した。ローストビーフ及び、ローストラビット。言葉の響きのせいか、あまり美味しそうに聞こえない。それと柑橘フルーツのサラダ。タイラーにはえらく評判が悪い。

 焼きたてのパンを並べると、それなりのご馳走にはなった。

「どう?」

「良い顔だ」

「アルネスほどじゃないけどな! 料理の話だよ」

「……悪くない」

 冷蔵庫で冷やしている甘味は後の楽しみで、まずは食事にありついた。低温でじっくり熱を通したウサギ肉は柔らかい。本日のメインディッシュは、アルネスにも好評だ。いつもの位置には、野菜で出汁をとったスープが置かれている。これは今朝、アルネスが作ったものだ。

「……………………」

「シュガービーツは今日はなし」

「なぜだ」

 アルネスに拷問されるアンドロイドは、きっと生きては帰れないだろう。

「今日の料理を食べてからのお楽しみ」

「シュガービーツは、私を待っている」

「そのシュガービーツは形を変えて、早くアルネスに褒めてもらいたくてうずうずしてるんだよ」

「形を変えて……だと?」

「そんな顔をするなって。絶対に気に入るからさ」

 そのままをご所望だろうが、ここは俺も譲るわけにはいかない。

 夕食後は、冷蔵庫を気にしながらまったりとソファーで寛ぐアルネスに、お茶と共にトレーごとテーブルに乗せた。弾みで黄色い個体は揺れる。

「じゃーん。どう?」

「…………これは、」

「プリンだよ。頂き物のミルクとシュガービーツの粉末と卵は、生まれ変わりました」

「……………………」

 しばらく眺めた後、皿を揺らし、フォルムはそこまで変わらないだろうに上から下まで見つめている。

「子供の食べるものではないのか?」

「子供? なんで? 大人でも食べるけど」

「……………………」

 まただんまりだが、天を仰いで長嘆息を漏らした。

「……千年前に、見たことのある食べ物だ。入院をしていた子供たちが、はしゃぐ気持ちを抑えきれず、夢中になって食べていた」

「羨ましかったんだな。五個あるから食べていいぞ」

「なぜ奇数なんだ」

「おれが二個で、アルネスが三個だとちょうどだぞ」

 子供が持つ輝きに似たものが、アルネスの目にも宿っていた。

 俺がよくやる食べる前の儀式をアルネスも行い、スプーンで蠱惑的なスイーツを掬う。口に入れるまでの動作が長く感じられた。

「どう……かな?」

「………………美味い」

「やっ…………」

 ここ一番で、見事なガッツポーズだったと思う。二口、三口と止まらないアルネスは、綺麗に残さず食べきった。

「もっと食べる?」

 物足りなそうで、冷蔵庫からプリンを出して皿に入れると、今度は味わって噛み締めている。

「キメが細かく、それでいて口当たりが滑らかだ」

「二度漉したからかなあ」

 これで残りは三つ。まさかこんなハイペースで減るとは思わなかった。

「三つあるから、残り二つはアルネスが食べていいよ。明日以降な」

 信じられないといった顔で、俺を凝視している。冷蔵庫の中に我が物顔で住み着いていた魚に、俺は似た顔をしたことがある。魚はいつ食べられるようになるだろうか。

「……これを作るのに、手間はかかるのか?」

「全然。お菓子の中じゃ簡単だと思うよ。けどミルクは貴重品だから、もしアルネスが気に入ってくれたんなら臨時で手に入ったときに作るよ」

「生きていて良かったと思えたのは……これで三度目だ」

「残りの二つは?」

「一度目はサキと出会えたこと。二度目はお前を取り戻したこと」

「お、おう……プリンと同等に並べてもらえて光栄だよ」

 プリン様々である。貴重な話も聞け、アルネスがいかに俺を大切に思ってくれていたか知ることもできた。

「お前が作ったものだから……特別に美味い。死ぬ前に食べたい料理だ」

「……そうだな。一緒に死を迎えような。ドイルさんからも、なかなか筋がいいって褒められてるんだぜ。心臓を取り戻して、移植して、ふたりで生きて、一緒のお墓に入ろう」

 最近のアルネスは、将来のこともよく口にするようになった。喜ばしい傾向で、このまま幸せが上り調子で続いてほしいと切に願った。


 新しい年に変わり、生まれ変わった気分でリビングに行くと、壁には新しいカレンダーが貼られている。去年のように狭い空間ではなく、今年はアルネスと一緒で、ここから一年が始まるのだ。

 朝食の準備を終えた頃にアルネスも起きてきた。今日の朝食は、ジャムパンと卵のサラダ。

「今日は少し出掛けてくる」

「一月一日だろ? 仕事は休みなのに」

「あまり喜ばしいものではないが、予定ができた。薬の譲渡を行う連中の顔が割れた。三区に行ってくる……心配せずとも、タイラーも一緒だ」

「それは、大船に乗った気持ちでいていいんだよな?」

「………………ああ」

 頼りない返事に、なぜか俺が大丈夫だって、と慰めの言葉をかけることになる。

 タイラーは戦闘では強いと、充分に知っている。政府が不法に入ってきた件で、銃を向けられても屈しない姿勢はどれだけの死線を越えてきたのか思い知らされた。問題なのは精神面だ。タイラーは短気で、出会ってものの数分で殴られたくらいには折り紙付きである。

「代わりに、シルヴィエがここに来てくれる」

「やった!」

「新しい衣服も作ってもらっていた。サイズが合うか、確認してくれ」

 アルネスは白衣にコートを羽織り、出て行ってしまった。すれ違いにシルヴィエがやってきて、今年もよろしくと挨拶もそこそこに、新しい服に袖を通した。

「なかなかだね」

「内ポケットがあると、拳銃が抜きやすそうだね」

「それはアーサー先生のさ。アンタはこれ」

 厚みのある布地は、暖房の利いた部屋で着ると肌がしっとりとしてくる。ぶかぶかで、恥ずかしがり屋のホルスターも綺麗に隠れる。

「本当に器用だよなあ……シルヴィエは」

「仕事にしてるからね。ついでにこれもあげるよ。こっちは薄手だから、春に着るといい」

「なんで、こんなにくれるの? ちょっと多くない?」

「気にすることはないさ。アンタに着てもらいたくて持ってきたんだ」

 他のものと違い、誰かが着古した跡がある。言えるようであればシルヴィエは言うだろうし、それを口にしないのは、聞いてはいけないと同質だ。

 肝っ玉のある笑いが部屋に響き、解れた服を持ってきなと話す。アルネスの白衣や、ボタンの取れかかった服を渡すと、ソーイングセットの出番だ。

「いいかい、凪。後先考えないで突っ込むのは、勇気とも取れるけど、無鉄砲って言うんだよ。無鉄砲に進みたかったら、それ相応の準備をしな。頭の片隅が冷静になれて、ピンチのときに選択肢が増えるから」

「アルネスに心配かけるなってこと?」

「アーサー先生はアンタがどんなにご立派に成し遂げても、心配するさ」

 アルネスの心を読んだというより、シルヴィエ自身に眠っていた言葉のようだった。

「命は大事にするよ。だからシルヴィエも、捨てたりしたらダメだから」

「……そうだね。ほら、できたよ」

「ありがとう」

 殺し屋としての失敗作だというが、それで良かったと思う。俺はシルヴィエが楽しそうに針を扱うところも何度も見てきているし、ナイフよりソーイングセットの方がお似合いで、満ち足りた顔をしている。崩壊した世界で好きな職種に就けるのは、幸福なことだ。できればこのまま、武器よりも針を握り続けられることを念願する。

 ふと、冷蔵庫が目に入った。冷えた箱の中で眠りにつく小悪魔的なスイーツは、まだ三つあったはずだ。俺の分であるプリンを取り出し、お茶と共にシルヴィエに差し出した。

「なんだい?」

「プリンだよ。卵と砂糖とミルクでできる甘い食べ物。新しい年になったから、ちょっと豪華なものを作ったんだ」

 怪訝に顔を傾げ、シルヴィエはまじまじと甘いお菓子を見つめている。

 一口目は、アルネスと同じ反応だ。目が美味しいと言っていた。

「これは……素晴らしいよ。アンタは料理人も向いてるのかもしれないね」

「心臓移植もできて料理人やりつつバーテンダーかあ……人生楽しめそうだね」

「なんだいそりゃ」

 シルヴィエは大きな口を開けて笑う。

 疲れた顔をしたアルネスが帰ってきて、シルヴィエとさようならをした。いろいろ聞きたいこともあるけれど、まずは疲労の溜まった顔をなんとかしなくては。

 お茶を入れている間、アルネスは冷蔵庫を開けて訝しんだ。

「俺の分のプリンならシルヴィエに出したよ。素晴らしいって言ってもらえた」

「そうか」

 アルネスはプリンを二つ取り出すと、皿に盛ろうと弄くり回すが、残念ながら無残なものとなってしまった。

「回りを少し温めた方がいいよ」

 ぬるま湯を張った皿にプリンの入れ物ごと置き、数十秒待つ。皿にひっくり返すと、綺麗な紅葉の山ができた。

 同じプリンであっても、こうも違う。けれど味は同じだ。リビングのテーブルに持っていき、アルネスのいつも座る定位置に置くと、

「……お前にやる」

「いいの? 俺の分はシルヴィエに」

「いい。お前は食べていないだろう」

「……また作るよ」

 ここは素直に受け取るべきだろう。雪崩が起こった方をもらい、まだ味見のしていない山を口にした。

「美味しい……こんな美味かったんだな。ふたりで食べるからかな」

「お前は……自慢の息子だ」

「嬉しいけど、せめて手術が上手くいくようになったら言ってくれよ」

「こちらも重要な案件だ。また……その、」

「そのうち作るよ。約束する」

 満足げに小さく頷き、アルネスは最後の一口を口に入れた。

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