第20話 父と子
大事な客人のためにもう一度説明を入れながら映像を流し、俺はシュガービーツから作ったお茶を振る舞った。俺と同じく、画面に海に浮かぶ孤塔が映ると、眉間に深い溝ができた。
「政府のいる孤塔だ」
タイラーは憎々しさを存分に出し、視線だけで画面を破壊できるんじゃないかと思う。
「タイラー、船を作ってほしい」
「……何か月か前に作った船は?」
「壊された」
「この映像を俺に見せた流れでそれを言うか?」
「お前の頭が想像した通りだ。準備ができ次第、私はもう一度孤塔に向かう」
冷静でいられるのは性格のせいか、人生経験が豊富だからか。俺はきっと、この三人の中で一番慌てふためいていたと思う。普段はそんな癖なんてないのに、無意識にタッピングをしていて、それだけ気持ちが不安定に揺れている。
アルネスは俺の太股に手を乗せてきた。気持ちが別の方向に向いたためか、もう揺れは治まっている。不思議な手だ。魔法も使えるのかもしれない。
「残された凪はどうする? お前がいねえとまた暴走するぞ」
「すぐに向かうわけではない。天候も大事になってくる。それに、私は死なない。必ず戻る」
「そうじゃなくて、食糧より空気清浄機より、お前が必要だってことだ。見ろよ、死にそうな顔してるぞ。いくら死なないと言ってもよ、頭吹っ飛ばされたら終わりだろうが」
「……私の他に、千年以上生き続けているアンドロイドがもう一人いる」
初めて聞く話だ。今まで、アルネスは口にしようとしなかった。楽しい話題でないのは、アルネスの目を見れば分かる。
「私のような姿形をしているわけではないがな」
「その相手って?」
「私の父だ」
「……知らなかった」
「凪、お前を紹介するつもりも、会わせるつもりもない」
それは、俺を孤塔に連れていくつもりはないと同意見だ。
「またアルネスを待ち続けるのか?」
「また?」
「俺……この部屋でずっとひとりだった。医者の仕事があるアルネスはいつもいなくて、でも夕食の時間になると帰ってきてくれて……それで、」
馬鹿みたいだと思われても、止められないものはある。涙の出る原理はどうなっているのか、考えるより先にボタボタと頬を伝っていく。
「タイラー、悪いが話はこれくらいで。またの機会に」
「ああ」
優先されてしまうと、余計にちっぽけな人間に思えてくるんだ。できれば、そのまま話を続けてほしかった。これでは何のためにタイラーを呼んだのか分からない。
アルネスは距離をつめ、背中を何度も叩いてくれた。慰め方がぎこちなくて、徐々に一定のリズムを刻み始める頃には頭がガンガンし、変な神経に触れたのか笑いが込み上げてきてしまった。
「おさらいも含めて、千年前の話をしよう」
アルネスはカップを起き、遠くを見つめた。それが少しさみしかった。俺の知らないアルネスも、同じようにさみしい思いをしたのだろうか。瞳に映っていないだけで、心臓がおかしな音を打ち鳴らす。
「千年前、世界各地から人間が集められた。理由は人体実験のサンプルを集めるため。人間には戦争のない地域に引っ越し、衣食住の保障をすると言った。その中には日本人も含まれていた」
日本。俺の生まれた土地だ。曖昧すぎて、俺は記憶が断片的にしかない。それすらも本物かどうか怪しいけれど。
「俺も引っ越ししてきたんだな……」
首を縦に振ってくれるものと思っていた。横に振った。息を吐くのも忘れるほど、俺は固まってしまった。
「凪、お前はまだ生まれていなかったんだ」
「どういうこと?」
「引っ越ししたのはお前の母親だ」
「俺の……母親」
「繋がるか?」
「……サキっていうのは、まさか」
「千年の中で、私はたった一人、恋に落ちた人がいた」
驚愕の事実。アルネスは冗談を言わない。すべて、真実。アルネスが、恋。失礼ながら、勝手に縁のない人だと思っていた。
「私はサンプルを管理する塀の中の医務室で働いていた。サキは日本で介護の仕事をしていて、私の手伝いをしてくれていた」
「どんな人だったんだ?」
「厳しかった」
「そうなんだ」
「私に対して」
「え」
「何度も怒られた」
アルネスの顔は今まで見たこともないほどリラックスしていて、母親の話だというのに複雑になる。
「患者に対して言葉がきついだの、もっと優しくしろだの、私は傷や病気を治すことが仕事であって、なぜそれが必要なのか何度も衝突した」
「結果は?」
「私が絆された」
「すごい人だったんだな……」
「ああ。相性は最悪だと思っていたのに、私はいつの間にかサキに恋をしていた」
「俺の母親はアルネスのこと、すごく好きだったんだな」
「……なぜそう思う?」
「俺がめちゃくちゃ好きだから」
アルネスの持つクッションがこれでもかのいうほどへこむ。今はふかふかでも、あと数日で平べったくなる気がする。
「あるとき、異変に気づいた。サキの腹に膨らみが出てきた。サキも様子がおかしくて、理由を聞いた。数か月前、政府の奴らに声をかけられて、サキはついていった。出された飲み物を飲んだら記憶がなく、眠らされて起きたら腹に痛みがあったと」
「……………………」
「サンプルとして、政府の奴らに使われたんだ。私は仕事の合間にすぐにサキを調べた。性交の跡は見当たらなかったが、父が誰かも分からない精子を入れられていた。サキ自身、気づいていなかった」
「俺の父親って、未だに分からないのか?」
「……………………」
「分かるのか?」
「……そういう、意味の父親か。お前の考えとしては、父は、精子と卵子依存か?」
言葉を間違えてはいけない気がする。一瞬、アルネスが怯えた色を目に宿した。
「一般論としてだよ。どうしても血は離れられないものがあると思う。けど、俺は育ての親を大事にしたいって気持ちも同じくらいある」
「……………………。お前の、名前だが、」
「うん。本当は別の名前があるとか?」
「………………凪」
「……それは仮の名前だろ?」
アルネスは、何かを待っている。ならば、俺が気づかなければならない。何をだ。今までの流れで、出す答えは。
「……アルネス、まさか父さん?」
アルネスは肩が揺れ、大きく目を見開いた。
「当たり? アルネスって、本当に本当の名付け親?」
「……不思議なことに、女性には母性というものが宿る。私には理解できない。心までも弄られたのではないかと思ったほどだ。サキは、宿った子を生むと言い出した」
「止めなかったのか?」
「そのような権利はない。精子の持ち主は私ではないからな。だが一人で育てていくのも難しい。私は、父が誰か分からない子の親になると決めた」
「うそ…………」
「お前がサキの腹にいるとき、凪と名付けた。理由は言ったはずだ」
「……波が穏やかだったから?」
「ああ。サキと出会ったときも、お前の名前を決めたときも、荒れ狂う海が穏やかだった。万が一、お前がひとり取り残されても、私がお前を引き取り育てると誓った」
「俺のこと、ポチって言ってなかったっけ?」
「……お前が私を見て、耳を傾けて、会話をして。……かなり、動揺していた。ポチというのは、サキが幼少時に飼っていた犬の名前だ」
「俺の母さんとはその後どうなったんだ?」
「お前を生んで、すぐにいなくなった。表向きは失踪。政府に問い質しても、失踪以外に答えてくれなかった。赤ん坊は、奪い取られ、私は烈火の如く怒りに満ちた」
今日のアルネスは、いろんな感情を露わにしている。同時に、怖かった。俺の知らないアルネスがたくさん出てきて、受け止めたいのに聞くので精一杯だった。
「その頃、外では戦争が激しくなった。私も身を捨ててでも政府に復讐してやろうとした。どうせ死ぬのなら、その方がいと。だが、死ねなかった。死ねない身体にされてしまった。成功したと、連中は私の心とは裏腹に祝賀会でも開くほどのお気楽ムードだった。私の頭の中は、凪のことでいっぱいだった。せめて一目見たい、面倒をかけさせてほしいと。孤塔の中で生活を強いられたが、父に反発し、いずれは『外』に出る決心をした。そしてお前を取り戻す企ても立てていた」
「アルネスのお父さんって何してるんだ?」
「元々は医者だった。何の気が変わったのか、人間を相手に実験を行うマッドサイエンティストと化した。自らの身体も実験体として、身を捧げた」
「なんだそれ……なんだよそれ」
意味が分からない。本当に分からない。
「私のような姿ではないが、一応生きている。……お前を息子だと紹介する気もないからな」
少し、子供っぽいアルネスは初めてだ。おかしくて笑うと、アルネスも頬を緩めた。緊迫した雰囲気でも、度の過ぎる緊張はよくない。
「アンドロイドにされて、人間の匂いは区別ができるようになった。それからお前を捜した。千年経っても捜し続けていた。私は孤塔に潜入する決意を固めた。サンプルとして保存されている可能性があるかもしれないと」
「それで俺とアルネスの出会いに繋がるのか」
「そうだ。何度もお邪魔して、お前を捜していた。実験台の上で寝かされていたときは、神は世界を見捨てても一応いるのだと頭をよぎった」
「なんか……運命を感じるよ」
今日のアルネスは子供っぽかったり、怯えた表情を見せたり、これも本当のアルネスなんだと思うと今までにない感情が沸き上がる。なんていうのか、愛しい、に近いのかもしれない。
「アルネスの取り戻したいもう一つって?」
「私の心臓だ」
人間と同じ皮膚で、俺と変わりないはずなのに、心臓部分には別のものが埋められている。
「成功したサンプルの心臓は、大切に保管されている」
「そうだよな。アルネスの身体だもんな。俺も、心臓ごと大切にしたいよ」
「…………ありがとう」
初めてありがとうを言われた。俺の方がそのクッションをぼすんぼすんしたいくらいだ。今なら引きちぎられる自信がある。
「お前は少しは日本の記憶があるというが、サンプルが暴動を起こさないように、日本の町並みに似た空間を作り上げ、学校も塾も建設していた。きっとそこで、武道を習っていたのだろう」
「習っていた理由が分かった気がするよ。きっと、名付け親を助けるためだ」
「自分の身を守るためだ。勘違いも甚だしい」
「素直になれって。拳銃持つよりしっくりくるし」
「……もっとより良い武器を持たせようと思っていた。残念だ」
「いやいや、もう充分だよありがとう」
このままでいくと、ガトリングガンでも持たされそうな気がする。
にしてもだ。いきなり現れた父を名乗る人をすんなり受け入れられる俺も、案外絆されているんだと思う。これだけ手を焼いてくれる人を好きになるのも当然だけれど。もっとアルネスのために何かしたい。
自分にできることを考えても、 料理を作ったり掃除をしたり、それくらいしか浮かばない。本当に、それだけでいいのだろうか? このままの生活を続けてもいいのだろうか?
今もどこかで降り注いでいる血の雨は、アルネスの心にも降り続けている。
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