第18話 診察室へ
患者を相手に診察をするアルネスを見るのは、ハク以来だった。無駄のない動きを見てしまうと、尊敬と敬愛が生まれるが、そのような感情で命は救えない。
「獣に噛まれたな」
鋏で布を切ると、細くて血の気のない足が現れる。
「もしかして、感染症……とか?」
「察しが良い。だがそれよりも、厄介なものがある。腕を見てみろ」
言われるがままにむき出しの腕を見る。足と同じ色はしていなかった。紫色の、斑点模様がある。不気味だ。アンドロイドがすべてこんな模様をしているわけではない。
「……どういうこと?感染症と関係あるのか?」
「毒の含んだ植物を体内に入ったんだ」
「食べちゃったってこと?」
「……普通は、口に入れない。私のように、医師が欲しがるのは分かるが」
走馬灯のように目まぐるしく回ると思っていたが、アルネスはいたって冷静で、薬を一つ一つ説明しながら患者の手当をしていく。独特のペースを保ち、無駄がなく、向けられたラベルを確認しながらアルネスの言葉に耳を澄ませる。
アルネスの額の汗を拭うと、彼は終了の合図に針を置いた。
「とりあえず、手術は完了。あとは彼女の精神力にかけるしかない」
「お疲れ」
お疲れ、の言葉はどこまで彼に届いたのか分からないが、安堵した表情から見るに、ちょっとは響いてほしいと思う。
アルネスが席を立ち、俺は老婆に近づいた。来たときよりも青白い唇が赤みを帯びている。人間だと言われても、疑う余地はない。例外はなく、老婆もアンドロイドであり、異端者は俺だ。
「こちらに来い」
カーテンを開けると、アルネスは暖かな飲み物を入れていた。それは数時間前に飲んだ飲み物で、カップから立ち上る湯気がおいでおいでと誘っている。遠慮なく、欲望に忠実に誘われた。
「え? え? なんであるの?」
「シルヴィエからもらった」
「……無駄のない動きとちゃっかりした性格は嫌いじゃないよ」
「でかい独り言だな」
シルヴィエが入れたものより色の濃いシュガービーツ茶を有り難く頂戴した。
「これ、味濃くない?」
「……そうか」
「…………あ、愛情込めてくれたんだな!オーケーオーケー」
「………………」
入れ方を間違ったわけではない。多分。
「お婆さんっていつ目覚めるのかな」
「さあな。目覚め次第、家に返す」
「入院させないのか?」
「面倒はみきれん。うちは入院するほどベッドに余裕があるわけではない」
「じゃあさ、」
「お前はこの後、強制的にカプセルの中に入ってもらう」
たたみかけられてしまった。それはそうだ。でないと、俺の寿命を縮めることになる。今だってこれ以上外にいたら、すぐに肺がやられそうなほど悪化の一途を走っているのだ。各部屋にある、空気清浄機が命綱である。
「お婆さんさ、何か事情があったと思うんだよ」
アルネスは何も喋らず、カップを口にした。
「地上のアンドロイドたちって、何を口にしちゃいけないとか、ちゃんと分別ついてるんだろ?」
「多分な」
「俺ですらついてるんだぞ?地上のものは持って帰ってはいけないって」
地上のドアを開ける直前にもしつこいくらいに言われた言葉だ。心配しすぎて、甘いものの摂取が足りなかったんじゃないのか。
「体内に入ってたってことは、それを食べたんだよ。誰かに無理矢理食べさせられたとか、お腹が空きすぎてつい摘まんでしまったとか」
「すべて、推測の域を出ない」
「アルネスだって腹が減ると冷蔵庫のシュガービーツを摘まんでるだろ?」
「………………」
こじ開けた口の中に機具を通し、掃除機のように吸い取った異物の中に、毒素のある植物が出てきた。アルネス大先生のお墨付きだ。口にした以外、考えられないのだ。
「胃の中に毒物が入ってたのは事実だとして、」
「……無理矢理であるならば、争った跡があるはずだ。身体の傷は肉食獣に噛まれた足のみに存在する。推測するに、毒を口から入れた後、気を失い、肉食獣の餌と化した」
「縁起でもない話だなあ……つまり?」
「そういうことだ」
どういうことだ、という言葉は声にならなかった。ひゅ、という音が鳴り、アルネスに届かなかった。俺は自分の喉元に触れた。嫌な音だ。どうか聞こえませんように。祈ってももう遅い。アルネスが視線で身体中に穴が開くほど、凝視してくる。ドリルよりも殺傷力が高い。
「カプセルに入ろう」
「えー」
「……許さない」
「ごめん、入るよ。ちょっと指先がピリピリしてきてるし」
「我儘は……構わない」
アルネスは立ち上がり、顔を逸らした。
「……変なものでも食べた? シュガービーツとか」
「………………。お前の我儘は、私は受け入れ、ときには叱らねばならない。が、その方法を見出すことは、些か時間を要する」
「つまり、おとなしく入れってことだな! 任せろ、大先生」
心配してくれているのは充分すぎるほど伝わる。嬉しい。嬉しいが、カプセルに寝て起きたら、この人は何をしているのだろうと不安も襲ってくる。もしいなくなっていたら? 初めて目覚めたときのように、独りぼっちだったら? 左腕をかきむしりたい衝動を抑え、強く二の腕を握った。
お婆さんが目覚めていないと確認し、俺は地下への階段を下りた。てっきり独りで向かうと思っていたら、大先生様がついてきて下さった。有り難い。
服をすべて脱ぎ払い、カプセルに横たわる瞬間、アルネスが俺の二の腕を見たのを見逃さなかった。
「おやすみ。アルネス」
「……ああ」
閉まる瞬間までなるべく笑顔で口の端を上げるが、アルネスは対照的だった。後味の悪い「おやすみ」だった。
「うし。元気百倍」
「良かったな」
いつもより少し豪華な肉抜きの食事を楽しみつつ、手を合わせてごちそうさまと呟いた。カプセルには数時間浸かり、気持ちの良い昼寝だった。
「あのお婆さんは?」
「お前がカプセルに入ってから、目を覚ました」
「それで?」
「帰った」
「帰ったのか?帰らせた?」
「……帰らせた、が正解だな」
「立って歩けたのか?」
「……家まで送り届けた」
つまらなそうな顔で、アルネスは言う。
「薬も渡したし、問題ないだろう」
「そう……だけど」
「何か不満か?」
「謎が解けてないじゃん」
「謎?」
「お婆さんがなんで植物を口にしたとか、何の用で湖の近くで倒れていたのか」
アルネスの表情が変わる。眉間の皺は深く刻まれた。
「お前は医者でもなければ探偵でもない」
「けどさあ」
アルネスの言い分が正しい。患者が元気になって、自分の足でベッドから下りた。これ以上何を望むのか。けれど頭で分かっていても、感情が伴うかは別問題だ。
「話は変わるが、上の部屋に空気清浄機を増設した」
「だからあんなにあったのか」
「診察室までは、出ても構わない」
そう言うと、俺がガッツポーズを決める直前で、アルネスはいくつか条件を突きつけた。上手く扱われている気がする。
フェロモンを抑える薬は注射を打たなければならないので、飲み薬としてできるまでは、地下から出るのは週に数回のみ。毎日打っていたら穴だらけだし、跡にもなる。そして定期検診は欠かさず行うこと。し損なったガッツポーズを決め、俺は何度も首を縦に振った。
「つまり、上に行けるようになったら、お婆さんに話を聞いてもいいってことだな」
「飛躍しすぎだ。一体何処まで飛ぶ」
「そりゃあ青空通り越して宇宙まで? アルネスに流れ星とか見せたいよ。知ってるか? 流れ星にお願い事をすると願うが叶うんだぜ」
「塵が摩擦によって熱を発しているだけだ。ゴミ相手に何を願う」
「アルネスが幸せになりますようにって」
「………………」
「充分幸せ? 意味ないかな?」
「私は、もう、」
しばらく待っても、アルネスの言葉はそれ以上続かなかった。何が言いたかったんだ。
「……そもそも、『見せたい』という言葉は私の台詞だろう。お前は滅多に外に出られない」
「そういやそうだな」
はは、と短く笑い、シュガービーツ茶を飲んだ。
数日が経ち、意外にも早く薬が完成したと、アルネスは錠剤を見せてきた。お代官様、ははーと大袈裟に頭を下げれば、外にいた目玉の大きい毛虫を見るような目で見られた。眉間の皺は何なんだ。
フェロモンを抑える薬も錠剤に変わり、俺は久々に地下を出た。頭がかち割れそうな緊張状態なのは、きっとアルネスを追って外に飛び出したトラウマが少なからず影響している。
「上にもベッドやシャワールームがあるけど、使ってるのか?」
「たまに使うが、見せかけだ。これ以上は地下の話はするなよ」
「へーい」
診察室に出てきたのはいいが、何をしたらいいのか迷う。アルネスのように医者として動けるわけではないし、薬だって製作できない。後ろ向きになりそうになり、俺は腹筋に力を入れて鳩尾に一発拳を入れた。ドアが開き、アルネスと目が合う。俺の描いた絵を見たとき、確か同じ目をしていた。
「お前に患者だ」
「え? 俺?」
長身のアルネスの背後には、隠れるようにして老婆が立っていた。
「あっ、お婆さん! もう大丈夫? 身体の具合は?」
「ええ、ええ。もうすっかり良くてよ。助けてくれたんだってねえ、ありがとうねえ」
ヨタヨタ歩く姿は大丈夫そうに見えないが、毒のせいではなさそうだ。まずはひと安心だ。
「今日はねえ、痛み止めの薬をもらいに来たのよ」
「あらまあ、そうですか」
アルネスは俺の斜め後ろに椅子を持っていき、口を挟まず静観を決めている。視線がどこに向いているのか、ちょっと気になる。
「お婆さん、俺に話があるとかって」
「そうだねえ……。私の胃から、毒のある植物が出たんでしょう?」
「そう、ですねえ」
「でもねえ、食べてないのよお」
「そうなんですかあ?」
「ええ、食べてないのよお」
どうも、このお婆さんと話すと口調が移ってしまうらしい。お婆さんはにこにこと疑う余地のない笑顔をさらけ出した。どうしよう、返す言葉が見つからない。なんとか頭に鞭を打ち、慣れない聞き込みを続けた。
「間違って口に入っちゃったとか?」
「それはないわあ」
「うーんと……食事に混入したとか?」
「ないわあ」
「えーと……、誰かと会いました?」
「会ったわあ」
俺が反応するより先に、アルネスが机に脚をぶつけた。足を組み替えたかったのだろう。長いばかりが長所となるわけではない。
「俺たちってオチはないですよね?」
「それもあるねえ。その後に、息子に会ったのよお」
背中に何かが触れている。アルネスしかいない。手のひらを俺の背中に触れたのは、交代だという暗黙の了解だ。言葉を交わさなくても通じ合えた嬉しさに、お尻がむず痒くて椅子を座り直した。
「確か、あなたの息子さんは亡くなっていると聞いたが」
「うんうん。でもねえ、息子がいて、リンゴをくれたのよ」
「リンゴ?」
「食べてって、渡してくれたのよお」
「息子は二人存在しているのか?」
「一人よ。そこの坊ちゃんみたく、向こう見ずな顔をしてたわあ」
背中に触れる手が震えた。笑ったのか、アルネス。顔を拝めないのが残念だ。
「お婆さんは、リンゴが好物?」
「好きねえ」
「そのリンゴはどうしたんです?」
「食べてって言うから、その場で食べたわあ」
「へ、へえ……美味しかったですか?」
「ちょっと苦かったわ……あの子ったら、虫食いのリンゴでも渡したのかしら」
「そうかもしれませんね」
アルネスは俺の背中を軽く叩く。開きかけだが口を閉じた。
「その後の記憶は?」
「うーん……」
長いうーん、だ。俺も根気強く待った。空気清浄機の音はそれほど大きくなくとも、三人が言葉を発しなければ音は聞こえる。
「ダメねえ……思い出せなくて。足はそのときに噛まれたのかしら?」
「あなたが気絶して、野生動物にやられたという方がしっくりくる。一応、足の怪我ももう一度診ましょう。そこのベッドに横になって下さい」
「あらまあ」
俺はお婆さんに手を貸し、ベッドに横にさせた。
アルネスが包帯を取ると、まだ跡はあるが痛々しい傷ではなく、ほとんど治りかけだ。手早く薬を塗り、新しい包帯と交換する。そしてベッドから起こすのが、俺の役目。仕事ができた。
「しっかり歩けるのよお、先生はいつも優しくてねえ、薬もよく効くのよ」
「ええ、分かります。優しさの固まりですよね。甘すぎて吐きそう」
「あらあら、吐いたら大変ねえ」
お婆さんと意味のある会話を続けていると、不毛な会話はやめろ、と低音響く良い声で制限をかけられてしまった。
「なあ、お婆さん。お婆さんが倒れたところまで、一緒に行ってもいい?」
背後で戸棚の音が大きく鳴る。アルネスはどんな顔をしているのか。
「あらあら……一緒に?」
「何か分かるかもしれないんだ。だってお婆さん、息子さんはもういないんでしょ?」
「先生はどうするのお?」
恐る恐る、後ろを振り返った。思っていた以上のお顔をなさっていて。土下座で許してくれるだろうか。
「……少し、診察室で待っていてくれ」
「はいはい」
ドアが閉まり、老婆が見えなくなったところで、空気清浄機がため息を吐いた。
「何を考えている」
「お婆さんって誰かと勘違いしてない?」
「……お前の推理を聞こう」
「息子さんに似ている人物からリンゴを渡されて、そのまま食べた。リンゴの中には毒のある植物が入って……いた」
後半になるにつれて声に諦めが乗る。アルネスの目が大外れだと物語っていた。
「胃の中からは、リンゴは少しも、これっぽっちも見つからなかった」
「お婆さんは嘘吐いてるように見えなかったしなあ」
「この世界では人を見た目で判断するな」
「アルネスは見た目も心もきれいだけど」
「……………………」
「…………だめ?」
アルネスはため息を、これでもかと見せつけるように盛大にすると、棚から瓶を出し、俺に手渡した。
「何度も言うようだが、」
「帰ったらカプセルの中でおねんねだろ。分かってるよ。昼寝にはちょうどいいし」
「……少しその前向きさを、分けてもらいたい」
小瓶の中身を一気に飲み干した。これで体内に入り込む毒素はある程度抑えられる。アルネス様々だ。
診察室では、老婆は菩薩のような微笑みで遠くを見据えていた。独り言は何を言っているのか聞き取れないが、きっと幸せな白昼夢を見ている。汗塗れになって起きる夢より、目覚めの良い夢の方が良いに決まっている。
異界への扉を開いた。今日は前のように靄はかかっていない。視界は良好だ。
老婆の足の速さに合わせたら日が暮れてしまいそうだが、なるべく歩幅を狭くし、彼女の足取りに合わせた。
「足が長いって大変だな」
「黙って歩け」
「ごめん」
「先生、息子さんにはちゃんと優しくしないとダメですよ」
「ああ」
「いつからそんなキャラになったんだよ」
冗談言わないキャラだったのに、とぼやくと、綺麗さっぱり無視をして下さった。アルネスの格好を見て、着くまでは余計なことを話さないようにしようと思う。白衣の中に右手が伸びている。
広がった視界の中では遠くまでよく見えるが、奥は靄がかかり、地平線までは見えない。
「此処だな」
底の見えない湖の側で、アルネスは止まる。
「そうねえ……息子に呼ばれたのはこの辺りだったわあ」
「息子さんはなんて?」
「好物のリンゴを食べてって、言っているように聞こえたのよ」
「ように?言っていたわけじゃなく?」
「そうねえ……」
唸るだけ唸り、出した答えは「忘れた」。これは仕方ない。
お婆さんがいた場所は跡形も形跡がなく、枯れ草に霜が下りている。アルネスは懐から試験管を取り出すと、触れてはならない禁断の行為に出た。
「ちょっと待てって」
「なんだ」
「俺には持って帰るなとか言っておいて」
「当たり前だ。お前は駄目だ」
「アルネスはいいのかよ」
「ああ」
意味はあっても内容は乏しい会話を繰り広げていると、老婆からは「仲が良いのねえ」とありふれたお褒めの言葉を授かった。嬉しいけど、今はそうじゃない。アルネスは土ごと枯れ葉を試験管に入れ、しっかりと蓋を閉めた。
「身体は平気か?」
「どこも問題ないよ。スキップできるくらい」
「なんだそれは」
「こういうの」
その場でステップを踏んでみた。今思い出したけれど、運動神経はとてもいいと、誰かに褒められていた気がする。家族ではなく、アルネスでもない、自分に似たアジア人の風貌で、隣でよく笑っていた。
ステップを踏む目の前で、しかめっ面をご披露して下さったアルネスは、無言で行くぞ、と視線だけで言ってくる。了解だ。
「何か分かったのかい?」
「それをこれから調べようと思う。できるだけ、この付近には近づかないように」
ふたりでお婆さんを家まで送り、ぶらぶらと道に沿って岐路に就く。ひと昔前の、まだ栄えていない日本に近く、それでいて家そのものは外壁が完全に外と内を閉ざされている。家なのだから当たり前なのだが、なんというか、人に見てもらうための家ではないのだ。家庭菜園や花を育てたりと、娯楽を味わうものがない。
木にロープを繋ぎ、ブランコのようなものがあってもいいと思う。代わりにあるのは銃弾の跡。それに見たこともないような虫が張り付いている。テントウ虫に似た斑模様の、黄と赤のオクシデンタルな色合いだ。発色は素晴らしい。
何もないところで足がふらつき、俺は目の前の肩を掴んだ。目がぼやけて見える。そろそろ限界かもしれない。振り返る男の顔は、残念ながらよく見えない。どんな表情なのか見たかったのに。
腰に回されるたくましい腕に、見えなくともなんとなく想像できた。
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