第16話 偽アンドロイド2

 半年と経っていない短い付き合いだが、彼は時間にルーズとはかけ離れた性格だと俺は理解している。

 宣言通り、きっかりと一週間で話がある、といつもの独特のトーンで言われ、神妙に頷いた。テーブルに並べられていく理解し難い液体の入った瓶や、何かの図や数式が書かれた紙が数枚。わけが分からない。

「アンドロイドと人間は、発する周波数や匂いが異なる」

「周波数……」

「それぞれ国によって住む人間の言語が違うように、振動の数も違うんだ。我々はそれが判る」

「なら此処に入り込んできた政府の人たちみたいに、ガスマスクつけてもごまかしはきかないってことか」

「……あんなものを身につけていたらむしろ悪目立ちするだろう」

 恐らく血液の検査結果なのだろう。数式とグラフが書かれている。

「とりあえず目を通せ。分からなくていい」

「目を慣らせってことだな」

「お前の血から薬を作った。今から治験をしてもらう」

「オッケー。ちょっと緊張するけど」

「おそらく、問題はない」

「よし、どんと来い」

「……少しは不安に駆られろ」

 おそらく、という言葉がついても、アルネスならば大丈夫だというなぜか根拠のない自信があるのだ。

「アルネスって、初めて会った気がしないんだよな。昔から知り合いだったみたいに、すんなりとんと胸に収まるというか」

「………………」

 碧い瞳は潤み、色濃く揺れている。

 瞳の輝きで世界中の武器を納められるのではないか。少なくとも、ぼんやりと口を開きっぱなしになる俺はそう感じる。気が合うとは、こういうことなのだろう。

「体内の香りを、一時的に消す薬だ」

「アンドロイドに近い香りにするってこと?」

「近しい体臭にするのではなく、人間の匂いを消す。動物実験は行った。ネズミの血を取り同じ要領で作った薬を入れたところ、今まで上手くやっていた集団から疎外され、一匹だけ取り残された」

「あー、そういうことか。仲間と認識されなくなったのか」

「……心配せずとも、お前に危害を加える者がいれば、消す」

「なんか恐ろしい言葉が聞こえた気がするんだけど」

 此処にやってきた政府の者は、跡形もなく消え去った。アルネスに言わせると「お前は何も心配するな」。そういうことなのだろう。そういう世界だ。辛いだとか可哀想だとか、遺体の処理の仕方とか、気にするべき問題ではないのだ。優先順位は『生きる』こと。これに尽きる。アルネスは生きろと言った。彼の最上級の優しさが詰まった言葉だ。

「刺すぞ」

「今回は言ってくれるんだな」

「……少し、緊張している」

「そりゃあするよ。いくら信頼してるって言っても薬だし」

「お前の話ではなく、私が」

「え」

 気の抜けた瞬間、アルネスの口角が上がったのを見た。見惚れる間もなく針が肉を通り、ゆっくりと薬が押し出されていく。

 針が抜ける瞬間まで見送り、俺は腕と敏腕医師を交互に見た。

「おかしなところはあるか?」

 アルネスは止血止めをしながら、腕の状態を確認する。

「今のところは、特に。人間の鼻で感じられるほど体臭変わるのかな」

「もっと入り組んだ説明をすると、体臭ではなくフェロモン操作だ」

「本棚にあった本で、人間はフェロモンを感知する器官がないって読んだんだけど。発してはいるんだよな」

「その通り。人間には理解できないフェロモンをアンドロイドには感じる。もちろん、アンドロイドによっては感じない者もいる。極力、フェロモンを押さえ込み、外にいるアンドロイドたちをいかにごまかせるか、だ」

「それとさ、外は毒だらけなんだよな」

 アンドロイドたちの持つ器官をごまかせても、毒はごまかしようがない。体内に入ってくる見えない毒は、確実に身体を蝕み続ける。

「そちらは別に薬がある。浄化作用と身体に毒が回るのを延ばす飲み薬だ。外を歩いたら、またカプセルの中に入ってもらう」

「薬作るの早くないか?」

「……お前と出会う前から研究を重ね、作っていた」

「へえ」

「動物実験も幾度となく重ねてきた。問題ないだろう」

 的確な言葉も、医者だからという台詞だけでは片付けられないほど説得力がある。気怠げに髪をかき上げる動作は、何度も見た仕草だ。何度見ても、目だけではなく、頭まで無いはずのフェロモンにやられてしまう。

「本日は客人がくる。客と呼ぶには相応しくない奴だが」

「お、タイラーか。ご飯は多めに作るよ」

「………………」

「違う?」

「当たりだ。分かってきたじゃないか」

 アルネスは気持ち嬉しそうに、足を組んだ。

「まあな。お前のことなら何でも知りたいし」

 アルネスは急に立ち上がり、テーブルにある医療品や資料を鷲掴みにすると診察室に行ってしまった。

「急ぐと瓶割るぞ」

 言葉は届かなくて、虚しく置いてけぼりを食らった。


 毒々しい茸をメインとしたスープに、癖のない味をした魚はマヨネーズと和え、キャベツやジャガイモなども一緒にパンに挟む。ピクルスも添えて、慌ただしい食卓となった。

「それで、結局こいつも地上に出ることになったのか」

「ああ」

「なぜだ? あれだけ外に出すつもりはないとか言っておいて。どんな強風吹いたんだよ。毒まみれだぞ。お前の考えが」

 無くなったタイラーの皿にお代わりを盛り、俺もパンに口につけた。

「私は凪に地上に出るなと命じた。にもかかわらず、こいつは外に出た」

「…………で?」

「無理だと悟った」

「諦め早くね? いやまあ、こいつの場合は無理だろうなあ」

 あっという間に空になるスープ皿に、千切ったパンをつけて最後の一滴も残さない。アルネスも綺麗な食べ方だが、タイラーはまた違った理想的な食べ方だ。

「お前を捜すって一直線だったし」

「政府に連れていかれて、拷問を受けたり殺されたりしてたらどうしようって……居ても立ってもいられなかったんだ」

「……悪い方向にしか考えられないのか。私は死なないと説明しただろう」

「それとこれとは違うんだって。お前の綺麗な肌に傷がつくのが嫌なの!」

 申し訳程度の言い訳だ。呆れられても、子供がおもちゃを離さないほどには譲れない。拷問という言葉を口にしただけで、背中に余計な力が入る。

 フォークやナイフが床に落ちれば意外と響くんだな、と俺は呑気に考えた。

「政府は私を殺せないからな。というより、手を出せない」

「死なないのはわかったけど、なんで?」

 疑問をそのまま口にした。

「政府は完璧ではない、穴があると話したが、弱みその一は私だ」

「……話がうまく読めないんだけど、お医者さんだから?」

「それもある」

 真っ白な布で口元を拭うと、色素の薄い唇が現れた。

「手出しできない理由がある」

「聞いたら教えてくれるのか?」

「いずれ話す」

「ですよねー」

 落としたフォークを拭き、タイラーは手掴みでシュガービーツに手を伸ばす。

「ハクも甘いもの好きだったよな」

「過去形で話すの止めてくれよ」

「心配すんな。生きてるって。死体は上がってないんだ」

 物騒な物言いだが、現状ではそれが一番手っ取り早い調べ方だ。納得するしかない。何せ、俺はこの世界の一割も知らないのだ。邪悪で悪の根源が渦巻く知らない世界。けれどこんなにも優しさにまみれ、シュガービーツよりも甘ったるいアンドロイドたちが住む世界。少なくとも、俺の回りにいるアンドロイドたちは優しさにまみれている。

「いきなり外に放り出してハク捜しさせんのか?」

「させるわけがないだろう。凪の身体がどこまで持つかわからない。数時間、または数分間の散歩だ」

「散歩って」

「私の側を離れない、走らない、地上のものを勝手に持って帰らない。守れるか?」

「おす、先生。守る」

「なんだ、先生とは」

「幼稚園の先生みたいだなあって」

 シュガービーツを口に含んだまま、タイラーは口を開き大いに笑う。

「まずはお前の薬は成功だ。今のこいつからは人間の匂いがしない。さすが先生」

「身体の調子は?」

「いつも通りだよ」

「副作用が出ないとも限らない。油断するな」

 残り少なくなったシュガービーツに、アルネスは熱い視線を送る。俺は立ち上がると、キッチンに立った。

 皮を剥き、シャリシャリの音も楽しみつつ、薄切りにし、皿に盛りつける。

「実行はいつだ?」

「明日」

「急だな。ま、早い方がいいだろうけど」

「凪、」

 アルネスに名前を呼ばれるのは好きだ。何度だって、本人に伝えたいほど好きだ。なぜこんな気持ちになるのか、俺にも理解できないし、心に灯る暖かさは、親が側にいてくれる暖かさに近い。生みの親ではなくとも、拾ってくれた親だ。

「なんだ、その顔は」

「変?」

「なぜ笑う」

「んー、アルネスが幸せそうにシュガービーツを食べてる姿を見るのが好きで」

 今日はよく物を落とす日だ。そういう日もあるのだろう。スプーンを拾い、タイラーは音を立ててテーブルに叩きつけた。

「タイラー、物を大切に扱え」

「お前らさあ……」

「決行は明日。身構える必要はない。私がついている」

「頼りにしてるよ、アルネス」

 名前を呼ばれた。だから呼び返した。それだけのことなのに、ほっこりと小さな太陽が浮かんだ。太陽は一つしか存在しないはずなのに、銀河系の法則すらいともあっさり壊してしまう男、それがアルネスアーサーだ。


 いつもの時間に起き、軽くジャブをしてみると、特に何の支障もなく身体は動いた。

 朝食を作りふたりで取った後、アルネスはまた薬を並べた。

「何処に行こうか考えた。買い物をしようと思う」

「おお、普通の生活っぽい」

「……普通をお前に与えられていないのだな」

「あ……」

 吐息のように漏れた声は形無く消える。アルネスの耳に届いたかどうかさえ怪しい。

「ごめん」

「謝る必要などない。中流階級であるこの辺りは、監視の目も少ない」

「もしさ、もしもの話だけど……シェリフに何か言われたりしたら……」

 アルネスは凪の腕を取り、アルコールを湿らせた脱脂綿で皮膚を拭いた。荒っぽさはなく、これだけの作業であっても几帳面さが滲み出ている。

「刺します」

 おなじみとなった台詞を吐き、刺す瞬間は戸惑いがない。押し込まれる液体に、黙って耐えた。痛みもそれほどない。針を刺す瞬間も抜ける瞬間も、恐ろしくもない。

「解毒作用の薬は液体タイプもある」

「確か錠剤って言ってたよな?」

「効き目は液体の方が早く、二種製作した」

「なら、液体で」

「苦いぞ」

「わりと平気だと思う、多分」

 小瓶を渡された。ラベルもついていない、シンプルな瓶だ。シンプルすぎて、怪しさ満点だ。だが、アルネスの作った薬という言葉がつくと、飲んでみたくなる。

 躊躇せず、一気に飲み干した。味覚を司る神経はないはずなのに、嚥下すると喉まで苦みが広まった気がする。それほど、舌に深刻な悲しみをもたらした。

「どのくらいで外出られそう?」

「目安は三十分ほど。その間に、お前に説明をしなければならないことがある」

 ほんの一秒にも満たない間だった。布の擦れる音がし、ゆっくりと顔を上げたわけではない。

 アルネスは懐から、人間が作り出した愚かな道具を俺に向け、トリガーに手をかけた。銃口は、俺の『心臓』に当たる部分。喉の奥で、ひゅんと喘息のような音が鳴る。

「…………アルネス?」

「なぜ、何もしない」

「なぜって……何の真似だよ」

「こちらの言葉だ。お前は今、命が危ぶまれている状況だ」

 本気か、冗談か。隣に座るアルネスは、冗談の目をしていない。彼は、冗談を言わないのだ。

 背後を振り返った。もしかしたら、現れた敵に対しての敵意なのかもしれないと思ったのだ。

 鈍い音がし、遅れて頭に痛みが襲う。心臓に一直線だった銃口は、今は俺の頭にある。心臓に向けられていたときより破裂する勢いで鼓動を鳴らし、危険を知らせてくる。

「銃口を向けられたとき、お前は背後を振り返るのか?」

「後ろに、敵がいると思って……」

「得意の格技で戦ってみせろ」

「アルネス相手に? できるわけないだろ……!」

「だが外で襲われた場合、武器を持たないお前は戦うしかない」

「それは……」

 セーフティーを掛け、アルネスは懐にしまった。

「慣れないよ……その物体G」

「状況が変わった。慣れてほしくないと思っていたが、今は慣れろとしか言えない」

 アルネスは立ち上がり、ついて来いと指示を出す。廊下に出て、立つのはまだ見ぬ部屋だ。入ったことも、鍵が開いていたことも一度もない。家畜部屋やリビングよりも離れた場所にあり、わざとそう作られたのか、そうせざるを得ない理由があったのか。

「何するところ?」

「私には老化現象は起こらないが、身体を動かさないとやや精神の低下が起こる。それを防ぐための部屋だ」

「要はトレーニングルームってこと?」

「好きに呼べばいい」

 ランプが緑に光り、いよいよお目見えだ。

「いや……トレーニングルームっていうか……」

 横に並ぶ的と、簡易のテーブルやソファーが置かれたシンプルな部屋。シンプルすぎて、何をする部屋かすぐに察しがつくほど一目瞭然だった。

「しっかりと防音された部屋だ」

「地下の施設にありそうな部屋だな……」

「防音完備で、暴行もし放題だな」

「怖いこと言うなよ」

 だが実際に、冗談を言わない彼の通りの部屋である。使用用途不明の縄や、手錠が置かれ、しかも使った形跡がある。

「持ってみろ」

 拳銃を差し出され、グリップを握った。慣れない感触と、命の重みがのしかかる。これ一つで、簡単に生命を奪うことのできる道具なのだ。

「お前の利き目は右だ」

「そうなの?」

「ああ。両目をしっかり開け。最初は私の指に添えろ」

 俺よりも少し身長が高いアルネスは、背後に立つと左手を腹部に回した。右手はトリガーに添えられる。俺は、指に重ねるように微かに触れる程度の力を込めた。

 密着した身体は冷たく、熱が暴走する俺とは対照的だった。

「いいか? リアサイトを捉えるのは右目……震えるな。緊張が伝わり、焦点が定まらない」

「だって、お前があまりに良い匂いだから」

 耳が弾け飛ぶほど、強い音が響いた。添えた指はそのままに、アルネスの人差し指だけがトリガーを下げる。遠くの的ではなく、壁にのめり込む弾丸は、ど素人のお手本のような銃捌きだった。

「………………」

「……なんか、ごめん」

「お前が悪い」

「ごもっともです……」

「手伝わない。やってみろ」

「ええ? もう?」

「やれ」

「はい」

 小型の拳銃は重量があっても、これでも軽いものなのだろう。リアサイトに利き目を通し、両目をしっかり開け、トリガーに指をかけた。

 頭がかち割るほどの音が鳴り、耳は遠くに置き去りにされたような感覚だ。焦げ臭ささは数度嗅いでも全身に緊張感をもたらした。

 中心からは外れているが、的には見事に当たっている。微かな煙が見えるのは、視力は悪くないという証でもある。

「ど、どうかな……?」

「上出来」

「よし!」

「それはお前のものだ、凪」

「え、嘘……」

 物騒なものをプレゼントされたことよりも、名前を呼ばれたことの方が嬉しい。だが、口に出さないことが正解だろう。話がずれる。

「服を上げろ」

 言われるがままにだぼついた服を持ち上げると、アルネスは足下に片膝をついた。凪の腰にホルスターをつけ、拳銃を差す。

 服を下げると、ホルスターごと隠れて見えない。

「……アルネス」

「なんだ?」

「あの……さ、もしかしてだけど……」

 碧い瞳に見上げられると、何も言えなかった。

 もしかして、あくまで仮定の話だ。服のデザインはこれがいいと俺が指名したものじゃなく、シルヴィエが作ってくれたものを言われるがままに身につけた。もし、もしも。これがアルネスのデザインで、上手い具合に拳銃ごとホルスターも隠れるよう計算のうちだとしたら。

 身体のラインがはっきりとわからない仕様は、拳銃の形も布地に浮かない。

「女子供でも扱える軽いものだ」

「けど、命を奪うものだからさ、やっぱり重いよ」

「……匂いがなくなった」

「お前は良い匂いだよ」

「………………」

 薬が効いたのだろう。アンドロイドにしか感じない人間のフェロモンが抑えられているようだ。

「うしっ」

 頬を叩き、気合いを入れた。

「……日本人はなぜ頬を叩く」

「え? やらない?」

「お前で、二人目だ。頬を叩いたのは」

 何かに浸り、遠くを見る瞳は虚ろで、俺は口を閉じた。自分の知らない何かに浸るアルネスは寂しくて、けれど見ていたい。

 牢獄の扉の前で、アルネスは後ろを振り返る。

「お前に銃を抜かせはしない。だが万が一のときは、躊躇するな」

「わかった。死んでも、お前を守るよ」

「殴られたいのか?」

「ひどい。本気なのに」

「私は死なないと何度言ったら理解する。お前は自身の心臓を守れ。ある程度の怪我ならば、私は治す。だが心臓の蘇生は難儀だ」

「わかったよ」

「いくぞ」

 アルネスはどんな思いで、何度この扉を開いたのだろうか。肉片が転がり放射線にまみれた世界で、千年という年月を生き続けた男。

 分厚い扉は開かれた。仲間と呼べるアンドロイドはたった数人の世界に、一歩踏み出した。

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