六章 不可視の殺人 3—4
猛は留置場をだされ、所持品を返却された。
「藤村まで帰る交通費はあるの? パトカーで送ろうか?」
「いや、今日は日曜だから、愛莉に迎えにきてもらいます。ああ、愛莉は美保関のイトコなんだけど」
「そう。じゃあ、気をつけて」
握手して別れた。
県警を出ると、松江の町並みを見て、猛は、ほっとする。
警察を解放されたからというより、ひさしぶりに文明社会に帰ってきた気がしたからだ。
それはもちろん、東京みたいな高層ビルが建ちならんでるわけじゃない。
でも、ビルもあるし、大きな橋や近代的な駅があり、美術館があり、放送局がある。いかにも、のどかな地方都市だ。
日本三大湖のひとつ、宍道湖に面した、風光明媚な土地柄。
松江城や武家屋敷など、古き良き時代の名残りもある。
やわらかな春の日差しをうける人工物のただなかにいると、あの時間さえ流れることを忘れたような、怪奇で古風な藤村など、この世に存在しているのかと思う。
しかし、夢ではない。
たしかに、あの村は存在する。
あそこで起きた、いくつかの殺人事件も、じっさいにあったことなのだ。
(でも、違う。落合さんじゃない)
彼は犯人ではない。
犯人に利用されて殺されただけだ。
(この前の夜祭のとき、あの人、ほんとは、もっと多くのこと、見てたんじゃないのか? 犯人にとって都合の悪いこと)
それで殺されたのだとしたら、つじつまがあう。
(あの夜、落合さんは何を見たんだろう? あるいは聞いただけか? そういえば、話し声をきいたと言ってた。ののしりあう声を)
あのとき、もっと詳しく、聞いておくんだった。
後悔するが、いまさらとりかえしはつかない。
とにかく、村へ帰るために、猛は公衆電話をさがした。
駅前で電話ボックスを見つけ、愛莉をよびだす。
愛莉は、猛が警察に捕まっていたことを知らなかったようだ。
「おはよう。猛さん。今から、そっち行こうとしてたとこォ」
「じゃあ、ちょうどいい。松江の駅で、おれをひろってくれ」
「松江? うん。いいけど」
「じゃ、よろしく」
警察車両のほうが村には早く着く。が、愛莉を呼んだのには、わけがあった。 ちょっと、より道したいところがあった。
松江駅周辺の食堂で、出雲ソバを食べて(予算が許せば、島根和牛のステーキと行きたいところだが、たぶん、それをすると、かーくんが怒る)、愛莉が来るを待った。
「お待たせェ。おみやげにブリ買ってきたよォ。猛さん、ブリ好きだったが?」
「ブリは、おれも、かーくんも、蘭も好き。ところで、お願いがあるんだ。愛莉」
「えッ? いいよ。猛さんのお願いなら、なんでも聞くよ」
何か勘違いしたのか、愛莉はまるいほっぺたを真っ赤にした。
が、猛の『お願い』をきいて、その頬を、さらに丸く、ふくらます。
「なんだあ。おばあちゃんのお見舞いかあ」
「なんだあって、なんだと思ったの?」
ブツブツ言うだけで要領をえないが、どうも松江でデートと思ったみたいだ。
「悪いなあ。でも、蘭を助けるためなんだ」
「蘭さん? じゃあ、がんばる」
「蘭が見つかったら、きっと、サイン本くれるよ。奥付にキスマークくらい、つけてくれるんじゃないの」
愛莉はキャアキャア言いだして、御しやすくなった。
猛が愛莉の祖母、菊乃に会いたいのには理由がある。
菊乃は雪絵の妹だ。
認知症になって、記憶があいまいらしいが、だからこそ、村のオキテに縛られず、藤村のことを話してくれるかもしれない。
とくに知りたいのは、もちろん、御子のことだが……。
猛が愛莉につれられて、山間の老人ホームへ行くと、菊乃はひとめ見て、猛を祖父とまちがえた。
猛は祖父の若いころに、とてもよく似ているらしいから。
「タケにいさん。よう戻らいましたね。雪ねえちゃんは元気にしちょらいますか?」
「ああ。元気だよ」
てきとうに話をあわせると、老婆の頰に、すっと涙が流れおちる。
「そうはよかった。だないと、身代わりになった、おなみ兄さんが浮かばれんけんね」
「身代わり?」
「雪ねえちゃんが巫子に決まったけん、タケにいさんがつれて逃げたが?」
「ああ、うん」
菊乃は泣きながら、かたわらの文箱から、古い写真をとりだした。
「あのころが一番楽しかったがねえ。雪ねえちゃんは今も変わらんでしょう。ねえちゃんも巫子だけん」
菊乃の言葉をききながら、その写真をのぞいた猛はがくぜんとした。
セピア色に変色した、モノクロの写真。そこには、四人の男女が写っていた。
一人は、あきらかに猛の祖父、威だ。
おさげ髪の少女が二人。
そして、もう一人は……。
(水魚……)
身代わり。
巫子。
雪ねえちゃんは、巫子——
(そうか。それで、水魚は……)
解けなかった最後の謎がとけた。
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