六章 不可視の殺人 3—2


 ヤブのところに見知った顔がある。

 これが猛なら文句なく抱きつくとこなんだけど、残念ながら兄ではない。


「龍吾さん!(初めて、さん付け)」

「東堂、弟か。おまえ、こんなとこで何してんの?」

「龍吾さんこそ」

「おれは水魚のかわりに 、水くみに」


 なるほど。ペットボトル。


「で、何してんの?」

「ええと……閉じこめられてます」


 龍吾は大きく、ため息をついた。


「なか、見た?」

「ええ、まあ」


 やはり、神社がわの人間か。

 厳しい顔をしてる。

 しかし、ウソついたって、ごまかしようのない状況だ。


「安藤くんと池野くんも、なかにいます。二人とも気分がすぐれなくて、よこになってるんですけど」


 しぶい顔をしたまま、龍吾はズボンのポケットからカギたばをだした。

 水魚さんが持っていた、あの古いカギをたくさん束ねた鉄の輪っかだ。

 龍吾はそのなかから、小さなカギをえらび、錠前をはずしてくれた。


「ありがとうございますぅ……」

「おまえ、ちょっと、そのへんで待ってろ。かってに動きまわるなよ」


 格子戸を出る僕と入れかわりに、なかへ入る龍吾の服を、僕はつかむ。


「さっき、落合さんが川に落ちちゃって。もう三十分以上たってるんです。早く助けないと」

「わかってるよ。さっき見たから」


 見たって、なにを見たんだろう。

 死体だろうか?


「だから、動きまわるなって言ってんの。あとで警察、呼ぶから」


 僕はおとなしく、ひきさがった。

 ヤブを出たところで待っている。

 しばらくして、龍吾は安藤くんと池野くんをつれだしてきた。

 池野くんの顔色は思ったよりいい。

 足どりもしっかりしてるし、やっぱり、人が死んだことへの精神的なショックだったのか。


「池野くん、さっきより、だいぶよさそうだね」

「ちょっと立ちくらみしただけ。もういいよ」


 しかし、龍吾は仏頂面で言った。


「おまえら、さっさと帰って、今夜はもう寝ろ」

「え? でも、落合さんが……」

「それは、おれが、たったいま見つけたことにしとく」

「見つけたって、死体が……?」

「死体は見てない。でも、川岸に靴がならんでた」


 あっ、それで、さっき、あのへんをウロウロ……。


「僕ら、三人で見てたんですよ。落合さんが川に落ちてくとこ」

「じゃあ、どっか下流に流されたんだな。とにかく、お前らは帰って、ずっと家にいたことにするんだ」

「なんでですか? 僕らが見たこと、警察に話したほうが——」


 言いかける僕を、龍吾がにらむ。


「あんなあ、この村のオキテ、無視してる自覚あるか? あの場所のこと、警察に話せないだろうが。それとも一生、あそこで暮らしてみる?」


 ヤブのほうを示されて、僕はキョウシュクした。


「……遠慮します。すいません」

「オヤジにはナイショにしといてやるから帰れって言ってんだよ。そのかわり、わかってるな? ここであったこと、誰にも言うな。警察にもだ」

「それはもう、重々、承知しておりますです。はい」


 座敷牢に入れられたんじゃたまらないので、僕はハエのように、もみ手して、ヘコヘコ頭をさげた。


 ああ、よかった。

 思ってたより早く外に出られたし、これで村じゅうから、私刑にされる心配もなくなった。

 龍吾様々。仏さまぁ。


「わかりました。帰っておとなしくしときます!」


 それで、僕は龍吾のあとについて、川辺を歩いていった。

 けっきょく、誰かについて歩いてるな……ピヨ。


 落合さんが落ちたあたりは、カーブの突端になっている。だから、格子戸のなかから見えたんだな。

 その突端に、おっしゃるとおり、ひとそろいの靴が置いてある。

 僕は懐中電灯で照らしてみた。

 靴の下に、白いものが挟まっている。


「あれ、封筒みたいじゃないですか?」


「そうなんだ。それで気になって、まわり調べてみたけど、人影はないし」


 封筒……つまり、遺書ってことか。

 僕らが見たのは、じゃあ、覚悟の自殺だったのか。

 この現状だけ見れば、それは確固たる事実に思えた。


(落合さんが自殺? なんで?)


 考えても、もちろん見当もつかない。


 水田家に帰ってきたのは、八時半ぐらい。

 帰ってきた僕を見て、香名さんは涙をこぼした。


「ムチャばっかりしないでください」


 泣きつかれて、あせったけど、なんでだろう。

 色っぽい気持ちにはならなかった。

 ずっと前に忘れてしまった、母さんの匂いを、ふっと思いだす。


「ごめん。心配かけちゃって」

「ほんとですよ。あなたや猛さんに、もしものことがあったら、あたし、あわせる顔がありません」

「えっ、誰に?」

「えっ、誰にって……」


 香名さんは口ごもったあと、ブラウスの袖で涙をふいて、急に話をそらした。


「夕ご飯、食べずに待ってたんですよ。コロッケ、食べましょう」

「うん……」


 僕らが、ご飯を食べてるあいだに太鼓が鳴った。

 龍吾が青年団を集めているのだ。

 僕は言われたとおり、この日は家でおとなしくしていた。


 死体が見つかったと、村の有線で放送されたのは、真夜中のことだった。

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