三章 不協和音の連鎖 2—3
*
猛が八頭家に侵入するのは、たやすかった。
水田家をでたときに、村人たちが騒いでいるのには気づいていた。
が、変死事件のせいだとは思ってなかったので、そっちに注目が集まっているうちに敷地に入りこんだ。
家政婦も見物に出かけているのか、広い庭に人影はない。
ただ、母屋の奥の間を通るとき、なかで話し声が聞こえた。
二人の男。若くはない。おちついた感じの中年の声だ。
「これが今回の謝礼です」
「しかし、ペースをおとしてくれないと困る。茜を使えなくして、このうえ、水魚まで、つぶす気か?」
「その点は、こちらも反省しておりますよ。そのための巫子えらびではないですか。そちらの言う条件を満たす候補を集めるのには苦労しましたよ。遺伝的適性、健康状態も考慮しなければなりませんからな」
「親から訴えられるような相手では、そっちが困るだろう。わしらは、いっこうにかまわん」
「まあまあ、うまく運んでいるんだから、そうギクシャクすることはないじゃありませんか。とうぶんはひかえておきます。こちらも早く御子に会いたい」
そこへ縁側から家政婦が近づいてくる。
「だんなさま。鳥居のとこで人が死んじょうそうです。村のもんが、だんさん(だんなさん)を呼びに来ちょうますが」
「人が死んじょう? わかった。すぐ行く」
障子がひらき、なかから男が二人、出てきた。八頭家の当主と研究員らしき男だ。
「では、八頭さん。私はこれで」
「ちゃんと裏口、使ってごしなはい(ください)よ」
「もちろんです」
研究員は去っていく。八頭家の当主も追うように歩いていった。
(あれが神主か。やはり、研究所と深い関係があるんだ。謝礼を受けとっていた。それにしても、あの口調では、神主は研究所のこと、決して快く思ってはいないんだな)
なんだか思いもよらぬ複雑な因縁がありそうだ。
(それに、裏口? どこかに村人の目に止まらないような出入口があるってことか)
猛が庭木のかげで考えていると、今度はそこに龍吾がやってきた。
思いなやむような顔をしている。
龍吾を追って、まもなく女が歩いてきた。巫子候補の背の高い女だ。
「見たわよ。龍吾。なによ。さっきの」
問いつめられて、龍吾はあわてふためいた。
「なによって、なんだよ。あずさ」
「あんた、バッカじゃないの? あいつ、男でしょ? なに今さら誘惑されてんの?」
「そんなんじゃ……」
「キスしてたじゃない」
「………」
「まさか、本気であいつを巫子にするとか言わないわよね? そんなの契約違反よ」
女のセリフで、だいたいの察しはついた。
なんのつもりか知らないが、蘭が龍吾をくどいて、自分を巫子にするよう、おねだりしたのだ。
また龍吾が簡単にそれに乗ったらしい。
(まあな。蘭が本気でせまれば、堕とせないやつなんていないよな。男女問わず)
猛でさえ、うっかり風呂場で着がえちゅうの蘭と鉢合わせすると、瞬間的に自分の理性をあやぶむことがある。
もちろん、ちゃんとふみとどまるが、それは蘭のほうに誘う気がないからかもしれない。
(なんのつもりだよ。蘭)
猛に都合よく考えれば、別棟に潜入して、百合花の痕跡を探すためとも思えるが、しかし、それだけにしては方法が危険すぎる。
龍吾がストーカーになったらどうするつもりだろう。
慎重な蘭らしくない。
なにか別の目的があるのだ。
猛は急に蘭のことが心配になった。すぐに帰って、蘭の真意を聞きたい。
だが、そこに龍吾たちが立っているので、不法侵入者としては動けない。
あせりながら待っていると、二人は本格的に言い争いを始めた。
「どうだっていいだろ。どっちみち、おれ、おまえを嫁にする気なかったし」
「な……なによ、それ。あたしが涼音や美咲に劣るっていうの?」
「おれ、デカイ女、好みじゃない」
それは龍吾の好みの問題だが、言いかたにトゲがあった。
あずさの手があがり、ハデに龍吾の頰で鳴った。
「なによ。あんただって、ここの息子じゃなかったら、なんの価値もないくせに! そのうえ、男に血迷って! キモイよ、あんた。終わってる!」
それで両者のあいだに、他人に言うのは感心しないような言葉の
「男でも、おまえなんかより、蘭さんのほうがずっとキレイだ。鏡みて、くらべてみろよ!」
言いすてて、龍吾は去っていった。
わッと、あずさは泣きだした。感情の起伏の激しい女だ。
ひととおり泣いたあと、なにやら不穏な目をして虚空をにらんだ。よくない目つきだ。犯罪をたくらむときのような、憎悪がこもっている。
そのまま、どこかへ行ってしまった。
どうも、蘭の身が危険な気がする。
猛は急いで水田家へ帰った。
囲炉裏端で、薫が一人で本を読んでいた。
「薫。蘭は?」
「蘭さんなら原稿だって。となりの部屋」
猛は板の間にかけあがり、あいだの襖をひらいた。
八畳間は無人だった。
蘭は姿を消していた。
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