一章 不死伝説の村

一章 不死伝説の村 1—1

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 この事件をどこから書きだそうかと考えたとき、僕はあのちょっとした内輪の会話を思いだす。

 その会話じたいは、今回の事件とは、なんの関係もないのだが、この事件の真髄を象徴する内容だったように思う。


 いつものように僕らは夕食のあと、順番に風呂に入りながら、居間でくつろいでいた。

 僕らというのは僕と猛、それに、蘭さんだ。蘭さんについては説明が必要か。

 とある事件で知りあった、絶世の美青年だ。ほんと、こんな人が、この世に存在していいのかッ? と目を疑うほどの麗人。テレビで見る、どんな女優よりビューティフル……。


 兄と同い年の二十六歳。

 美しすぎて、しょっちゅう、ストーカーにつけ狙われる。なので、ずっと引きこもってたんだけど、僕らと暮らすようになって、なんとか普通の生活を送れるようになった。


 蘭さんは売れっ子のミステリー作家だ。収入の乏しい僕ら兄弟のパトロンでもある。蘭さんのおかげで、僕らの夕食も立派になったもんだ。


 さて、その夜、そんな話になったのは、蘭さんの趣味のせいだ。蘭さんは容姿は完璧なんだけど、壮絶なストーカー体験のせいで、ちょっと趣味がオカシイ。


 この日、僕は蘭さんの著書を借りて読んだ。戦地で飢餓状態になり、仲間の肉を食って(イヤだなあ……)生きのびた兵隊さんの話を盛りこんだミステリーだ。

 で、就寝前の閑談に、この話題で盛りあがったわけだ。


「どうする? 海で難破とかして、飢餓状態になったら。今日、食べないと二人とも死ぬってとき、猛なら、僕のこと食べる?」


 蘭さんは入浴中。

 テレビのクイズ番組を見てた猛は、食べる直前でゴハンをとりあげられた犬みたいな物悲しい目になって、僕をふりかえった。


「そんくらいなら、おれが死んで、おまえに食わすよ」

「兄ちゃん……」

「おれが死んでも、おまえは生きるんだぞ。薫」

「やだよ。兄ちゃんもいっしょじゃないと」


 あ、いきなり、僕たちが抱きあって泣きだしたからって、決して変な関係だとか思わないでほしい。

 これは過酷な運命を背負った兄弟のコミュニケーションの一環だ。


 両親も早くに亡くしたし、百歳まで生きて僕らを育ててくれた、じいちゃんも、先年、他界した。親戚も次々、死んでいく。イトコのあっちゃんなんか、まだ八歳だった。

 なので、死の話題には敏感なのだ。決して僕や猛が変態なのではない。


 それで変に盛りあがってるところに、蘭さんが風呂からあがってきた。


「あれ、僕、お邪魔でした?」


 このごろ伸ばしだしたロングヘアをタオルで拭きながら、居間に入ってくる蘭さんの色っぽいこと。

 男でこの色気、異常の域だよね。


「そんなんじゃないよ」

「あ、そうだ。いざってときには、蘭を食っちまえばいいよ(いいわけない!)。そしたら二人とも生きのびられるぜ」


 なんてこと言うのか。うちの兄は。

 この一年、僕らを食わせてくれてたのは蘭さんだよ。その蘭さんを丸ごと食っちまおうだなんて……。


「はーん。カニバリズムですか」


 察しのいい蘭さんは、僕らの話題にすぐ気づいた。


「でも、僕を食べて兄弟で生き残るのは、ズルくないですか?」

「だって、蘭はうまそうだよ。食欲そそる顔してる」


 ん、まあ、たしかに。

 どうせ食べるなら、美しい人の肉のほうが美味しそうな気はする。


「そうですか? かーくんだって女の子みたいで(蘭さんに言われたくない……)、かなり美味しそうですよ」


 蘭さんは麗しいおもてに、美人にあるまじき邪悪な笑みを浮かべる。ニヤッとね。この人は、こういう話題、ツボなのだ。じゃないと著作にも書かないか。


「どうせだから、三人で食べっこすればいいじゃないですか。猛さんの肉は硬そうだけど、体が大きいから、食いではある」


 な……生々しいなあ。


「だいたい、どんな状況で難破するかにもよりますけど、人間って飲み水さえあれば、けっこう生きていられるんですよ。海なら飲み水は海水を飲めばいいわけです」

「ちょっと待った。海水って飲んじゃいけないんじゃないの?」

「大量に飲むと、血中の塩分濃度が上がって、幻覚が見えたりしますけど、少量なら大丈夫。飲めないってのはデマです。前に、海水だけ飲んでヨットで航海した、どっかの教授、ニュースで見ました」


 ほんと蘭さんは、こういうちょっと変なこと、いろいろ知ってるなあ。


「だから、飲み水はある。それなら食べなくても二、三ヶ月は生きてられる。おたがいの肉を食べあうのは、そのあとですよね。できれば文明社会に帰ってきたとき、あまり精神的打撃を受けていたくないですから、いちおう、ギリギリまで粘ったことにしとかないと」


 いちおうって……。


「それで、いよいよとなったらジャンケンです。順番を決めて、足か腕を一本ずつ食べていくことにしましょう。止血さえしておけば、人間、手足の一本や二本で死にやしません。僕的には両手そろってないと、キーボード打てないので、差しだすなら足ですよね。足のほうが肉も多いですし、膝下、大腿部と、二回にわけて食べられるでしょ? 週一回のペースなら、三人でかなりの長期、生きていけると思うんですよ」


 蘭さんの熱心さに、僕と猛は正直、ひいていた。

 なんか蘭さん、難破しなくても、人肉、食べたそうに見えるよ。


「まあ、そうだな。いざってときには、そのくらいの覚悟はいるのかもな。手足を失えば、その後の生活に支障をきたすが、死ぬよりマシか」


 と、猛が言うと、蘭さんは目を輝かせた。


「でしょう? 僕、医学書、買って、大動脈の位置とか勉強しときますよ。失血死しちゃったら元も子もない」


 いやいや、まず難破することないし……。


「トカゲの尻尾みたいに、切っても切っても、何度でも生えてくれれば、言うことないんですけどねえ」


 というような会話が、僕らのあいだにあった。


 まもなく、あの事件に遭遇するのだが、そのとき、僕はこの夜の会話を思いだした。

 そのくらい、常識の通用しない、異常な事件だった。

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