LOVE

ちえ

第1話

再会は、突然だった。

8月6日。甲子園が開幕したと朝からテレビで報道していた。

ひどく蒸し暑い午後だった。予想最高気温は三十八度だった。もっと暑いんじゃないかと、根拠もなく思った。

僕は彼女と池袋の水族館へ向かっていた。彼女の美穂とつないでいる右手が汗ばんでいる。

本当は、こんな暑い日に手なんかつなぎたくない。振りほどきたい気持ちを必死に抑える。

美穂は、依存するのが好きだった。そして、いつだって好きという気持ちを形で示すことを求めた。いまは、人前で手をつなぐという行為。恋人が手をつないで愛情を表現するのは当然のことだと思っていて、もし僕がこれを拒否するようなら、きっと怒り狂うだろう。

喉が渇いて、皮膚が喉に張り付く、嫌な感じがあった。

目の前に自動販売機が見えた。

「ちょっと、ドリンクを買うね」

僕は、そう言って彼女の手を解いた。右手に通気性が戻ってくる。

油断していた。

財布からお金を出して、自動販売機に投入している時だった。

「啓介?」

僕たちを追い越そうとして歩いていた女性が、ふと振り返って僕の名前を呼んだ。

僕は、顔を見て驚いた。

「菜々子?」

美穂が、僕の腕を咄嗟に掴んだ。動物並みの警戒心だ。

「やっぱり、啓介?久しぶりだね!」

菜々子は、あの頃と変わらない笑顔で笑った。

見た目は、大きく変わってしまっていたが。髪は明るい茶色になり、服もタンクトップにショートパンツで、靴はヒールの高いサンダルを履いていて、耳にはゴールドのピアスが光っていた。楕円型の飾りが付いている。

高校卒業以来の再会だった。高校の時は、もちろん黒髪で、私服を何度か見たことがあるが、ワンピースやスカートが多く、もっと清楚なイメージだった。

大学に進学と同時に僕は東京へ、菜々子は地元に残っていたはずだった。

「菜々子、どうして東京にいるの?」

「何言ってるの、啓介。いまは夏休みでしょ?」

菜々子は軽快に笑った。

「いや、僕はそうだけどさ。東京に一人できたの?」

僕は、質問を変えることにした。なるべく言葉を選んで訊いた。

ああ、そういうことか、と菜々子は納得した顔をした。

「違うよ」菜々子は、いたずらっ子のような目で僕を見た。「彼氏がね、東京にいるの」

もし、菜々子が僕を嫉妬させたかったのなら、大成功だ。僕は、微かに胸の痛みを感じながら、曖昧に笑った。

「そう、なんだな」それだけを言うのがやっとだった。

「そちらは?啓介の彼女?」

菜々子が彼女の方を見て訊いた。美穂は、ムッとしたような表情を浮かべて「そうです。わたしが啓介の彼女です」と尖った声で言った。

「かわいいね。啓介は、昔から面食いだもんね」

菜々子が啓介に視線を戻して言った。耳につけたピアスが左右に揺れた。僕は、額から汗が流れるのがわかった。

「菜々子、適当なこと言うなよ」

「えー、怒った?ごめんね。あ、そろそろ行かなきゃ。それじゃあ、またね!」

菜々子は、そう言い残すと風のように去っていった。生暖かい空気が顔に当たった。僕は、激しく動揺していた。

「啓介!さっきの女はだれ?!」

美穂は、甲高い声を上げて叫んだ。その声で、我に返った。美穂の目は見開かれ、声を発するのも必死で、僕の腕を力一杯引っ張った。僕は、肩が外れるのではないかと思うくらい痛みを感じた。

「高校の同級生だよ。それ以上でもそれ以下でもないよ」

そっとなだめるように言った。さっきまでの動揺を慌てて消し去る。いまは、美穂の怒りを鎮めるのが先だ。

「それだけなはずないわ!元カノなんでしょ?!あんなに親しげだったもの!」

美穂の興奮は治らない。一度こんな状態になった彼女を鎮めるのは難しい。付き合ったばかりの頃は、「美穂が一番好きだよ」と言えば機嫌が直っていた。2年経ったいまでは、欲しいものをねだられるようになった。

「ただの同級生だって。同じクラスだったから、仲がよかったんだ。ほら、水族館に行こう」

僕は努めて優しい声で言った。ぶすくれた顔のまま彼女は黙って頷いた。すかさず、「水族館でペンギンのぬいぐるみを買って」とねだったのはさすがだ。

僕はため息を含んだ声で「わかったよ」と力なく応えた。

こんなに怒らせる気なんてなかったのに。

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