第64話 また失った

 2月上旬、

 九門のもとに税理士からメールが届いた。


 一旦の税金の計算が出来たという内容だった。

「経費にできるものは、ある程度ありました。だいぶ削減できましたよ」


 九門はホッと胸を撫でおろしつつ、メールを読み進める。画面をスクロールし、メール下段に記載されていた納税額を確認した。そして、自分の現在の預金残高と天秤にかけた。


「……。」


 マイナスにはなっていない。ゼロにもなっていない。生き残った。


「……。」


 だが、先ほどホッと胸を撫でおろしたときと同じような安堵感はない。むしろ、そこにあるのは、絶望感。


 あれだけあった残高が、こうも無残に失われるものなのか。

 税理士に頼んでこれなのか。

 経費処理をまともにせず、自分で適当やっていたらマイナスだったってことか。

 そして、今後の毎月の税金もバカみたいに跳ね上がっていたってことか。


 税理士さん、ありがとう。

 そして店長、ありがとう。

 だけど……

 なんだよそれ。税金ってなんだよ。


 「日本死ね」という、どこかで聞いた言葉を思い出した。


「ふぅぅーーーーーー」

 九門はソファに寝転び、大きなタメ息をついた。


 なんだかこれが定番ムーブになってきている気がする。


―― お金は大事だからな。忘れるんじゃないぞ

―― 分かってるよ


 父親との会話を思い出す。


 よくあんなタンカを切ったものだ。

 蓋を開けてみりゃ、結局なくなってるじゃないか。

 金に困ってるじゃないか。

 なにも分かっていなかったんだ。


 ステマ騒動で大型の広告収入を失い、それに伴い書籍化の話もどうやらなくなった。これから毎月大きな税金がかかってくるというのに。


 途方に暮れる九門。


「ははは……」

なぜか、ひとり笑う九門。


 人間、メチャクチャな状態になると逆に笑えてくる、というのは本当だったらしい。

 いま自分で分かった。

 よくもまあ、こんなことになったもんだ。


 だが、これで終わりではなかった。


 好転するのではない。

 翌週、さらに追い打ちが来るのである。


 九門はもうひとつ失ったものがあったのだ。


 会社の小さな会議室、向かい合って座る部長と九門。


「異動……!?」


 目を見開く九門に、部長が告げる。

「先日の人事委員会で決まったんだ」


「僕が、ですか……?」

「身に覚えはない?」


「……。」


 部長は、席を立った。

「思い出してみなよ、ここ数か月の自分を。悪いけど、俺は擁護できないから」


 バタン。


 部屋から出るその背中はひどく冷たいものに見えた。


「……。」


 ひとり部屋に残った九門

 部長に言われた「ここ数か月」を思い出す。


 身に覚えは、あった。

 思い当たるフシがあった。


 役員相手に攻撃的な発言をした日、会議で部長をないがしろにした日、WEBチームを乱暴に責めた日、そして、仲間たちとコミュニケーションをとらなくなった、しばらくの日々。


 なにより、自分がやる気を失っていたこと。 

 思い出してみると、自分が危険因子に映るであろう場面がドンドン出てくる。


 有望株だの救世主だのといわれていたのも、今は昔。

 現在の九門大地は、ただの手に負えない問題児ってことか。

 そうか、それも失ったのか。

 あの充実した仕事も、会社の仲間も、自分が得てきた名声も。

 こんな転落あるのか。

 これが俗にいう、ゲームオーバーってやつか。


「ははは……」

 また笑った九門。ひとりぼっちの会議室に乾いた声が響く。


 九門は分かっていなかった。

 ゲームオーバーになんて決してなってはいないことを。

 

 異動などというものは、企業ではいたって普通のこと。解雇されたわけでも減収を喰らったわけでもない。これからチャンスはいくらでもある。次の部署が自分にとって悪い場所だとは限らないし、仮にそうだったとしても、また戻ってくることも全然できる。


 最盛期に比べて収入が減るといっても、毎月300万円レベルのネットワーク広告売上は引き続き入ってくる。もちろん少なくない給料をちゃんと得たうえで。そう、むしろまだまだ一般的には随分恵まれた環境なのである。


 だが、九門は分かっていない。冷静に考えることができていない。もう終わったと、ゲームオーバーだと思っている。


 ふざけんなよ。

 俺が何したっていうんだよ。


 あの代理店も、自分の会社も、さらには税制を定めているこの国も、すべてが敵に映り始めた。ラウンジスペースに場所を移し、誰にも話しかけられないなか、ひとりコーヒーを飲む九門。


 ふと、新加入軍団が目に入った。


「……。」


 彼らは九門から目をそらし、離れたソファに歩いて行った。


「……。」

 

 ついに、あの新加入軍団も来なくなったか。

 まあそうだよな、もうじき同じ部署じゃなくなるんだしな。

 人事情報は出てなくてもなんとなく知ってんだろう。

 俺をチヤホヤしたところで、アイツらにメリットなんてないもんな。


 でもよ、ナメんじゃねえぞ。


 どす黒い感情が、九門を支配し始める。


 ナメんじゃねえぞ、俺は鬼面ライターだぞ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る