くつひも

僕の気持ちを勝手に代弁するように、無遠慮に泣き出した空。

腰は意思を持ったように椅子に張り付いて、一歩も動き出せない。

雨音が規則性を持つ頃には、窓から見えていた 人の波も姿を消し

少なくとも視界に映る程度の全世界には僕と氷が溶けきったアイスコーヒーの2人ぼっちになった。

いや正確には、3人ぼっち。

1時間前まで目の前に居た、ハイヒールをカツカツと鳴らし帰っていった君の影が居座って消えてくれない。

やけに耳に残ったかすれ声。

僕が悲しみに暮れ自分だけの世界に入り込もうとすると、途端に足に縋って来るように何度も何度も頭の中で反響する。

「もう背伸びするのに疲れちゃったの」

最後に見たことの無いような優しい顔で呟いた彼女の心の内を考察する。

せざる得ない、鳴り止まないのだから。


彼女を一言で表すのなら、一輪の薔薇。

凛と伸ばした背筋が、華やかなその香りが、力加減を間違えたら壊してしまいそうな繊細さが、柔らかい唇が放つ棘のある言葉だって、全て僕は好きだった。

隣に立つのに相応しい人間になりたくて背伸びをしていたのはむしろ僕の方だ。

なのになぜ彼女が疲れるのだろう。また疑問が一つ増えた。

一向に進まない堂々巡りの思考の中で、先ほどのやり取りをなぞる。

君の影がまた色濃く、そこに存在するかの様に喋り出す。


「週末、少し遠出してみない?」

それはいいね、どこに行こうか。

「そうね、海の見えるカフェなんてどうかしら。

きっと素敵な時間になるわ」

君にとても似合うよ。分かった、帰ったら少し調べてみるよ。

「ありがとう。近くに水族館があればそこにも行きたいの」

うん、いいプランだね。僕に任せて 最高の日を贈るから。

「ふふ、でも私だって一緒に考えたいわ」

君はそんな事しなくていいよ。

「またそうやって、私を甘やかすんだから」

僕がそうしたいからだよ、気にしないで。

じゃあ僕からも提案なんだけど 時間を気にしなくて良いように一泊の旅行にしない?

「あら、誘ってるの?どうしましょう。少し考えてからお返事するわね」

そういう意味じゃないから!また、そうやってからかう。せかせかと君を歩かせる訳にはいかないからだろう?

「歩くのは好きよ」

君には似合わないよ。

「....どういう意味?」

え?そのままの意味だよ。何か気に障ったなら謝る。

「謝る?私がいま、不機嫌になってる理由がわかる?」

分からないから教えてくれる?

「貴方っていつだってそうよね。私の事なんて見えていないのよ」

君しか見ていないよ、だから機嫌を直して。なんだって謝るから。

「その薄っぺらい謝罪に何の意味があるっていうの?ただ、私は...」

私は?

「....いいえ、もういいわ。終わりにしましょう」

待って、どういう事?僕はいま、そんなに君を傷つけたの?

「違うの、貴方に非はないわ。だから気にしないで」

なら終わりなんて言わないでくれよ。頼むから。

「ごめんなさい。最後だから、一つだけ教えてあげる」

.....なに?

「私ね、ハイヒールよりスニーカーが好きなの」

え?

「さよなら、今までありがとう」

こんなに一方的な別れ方ってある?少し落ち着いて。

「もう背伸びするのに疲れちゃったの」


影が消える。君がいなくなる。

なぞっても分からないから振られたのであろう。身体が不意に軽くなる。

そうだ終わったのだ。僕が不甲斐ないばかりに、君の前を歩けないばかりに。

ストンと胸に入った答えに妙な清々しさを覚える。

帰ろう、そしてストレートでウヰスキーをあおって深い眠りにつこう。


情けない事に会計はすでに彼女が済ませていた。降り止んだ雨の匂いが鼻に入り込み僕の気持ちをより一層憂鬱にさせた。

お城のような喫茶店の入り口を出て、小走りに駅を目指す。

信号が点滅しているのに気づき速度を速めた時、ほどけた靴ひもを踏んで躓く。たまらなく胸が苦しくなった。涙があふれだす。

なんと滑稽で格好悪いのだろう。

愛されたいと叫んで喚いて子供みたいに駄々こねて それを必死に取り繕う為の虚像の僕を君には見ていて欲しかった。

こんなの君に見せたかった僕じゃない。

道行く人が、異様なものを見る目で僕を横目に見ては通り過ぎていく。

チクショウ、構うものか。

スニーカーが好きだと言った彼女の声が耳元で聞こえた気がした

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