第78話 学生気分

 安積くんのメールを見るたび、ずるい!ずるい!と叫びたくなる。


 安積くんは同い年なのにいつまでたっても学生みたいなことばかり書いている。もちろん最初のうちは楽しかった。学生時代のともだちが久しぶりにお互いを探し当ててメーリングリストが始まって。みんなの近況を聞いたり、学生の頃からの二十年あまりでどんなことがあったのか情報交換するのは。聞いてはいけない話を聞くみたいで、こわいような世界が開けるような感じがしてとてもわくわくした。


 本当に最初のうちはメーリングリストも女子だけだったので、「多々良さんと奥野くんはどうして別れたの?」とか「あの頃、片品くんはユキノのこと絶対好きだったよねー」とか言いたい放題言っていた。でもそのうちどんどん人数が増えてさすがにそういう話はできなくなった。しばらくしてずっと行方不明だった安積くんがメーリスに参加した。


 その時はメール越しにもみんなが一瞬色めき立ったのがわかった。だって安積くんは学生時代にはものすごく目立つ子だったし、クラスをぐいぐい引っぱるリーダーで、学園祭やクラスの行事をいつも成功させる天才肌だったし、当然、女子の人気も高かった。それが大学を卒業して一流の商社に入ったかと思うとたった一週間で会社を辞めてしまったのだ! 以来、ふっつり消息不明になってしまっていた。


 いったい何をしていたんだろう? みんな興味津々で安積くんに問いかけた。安積くんはあっけらかんと、海外に飛び出してからの怒濤の日々について詳しくメールに書いてくれた。それは全部で10通くらいの長文メールで、安積くんの最初の十年を知ってみんなもうお腹いっぱいになってしまった。正直を言うと、わたしはひょっとすると安積くんは虚言癖があるんじゃないかとすら思った。


 だって、いきなり言葉も通じないベトナムに行って、わけのわからない缶詰工場で働かされたとか、そのうち奴隷にされそうになったとか、麻薬で有名な国境近くの危険地帯に踏み込んだり、パキスタンで傭兵になったり、飢えて人肉を食べたりなんて話を面白おかしくメールされても、全部信じろって方が無理だと思う。みんなもそう思ったのか、10通目あたりはあんまりまともに取り合わなくなってしまった。


 それからしばらく安積くんはおとなしくしていたけど、しばらくすると年に一回くらい近況報告と称して、また怪しげなことをいろいろ書いて来るようになった。わたしたちはもうとっくに40歳を過ぎているのに、安積くんが書いて来る話は、まるで学生の頃のあのままのノリで、次の学園祭の出し物の相談でもしているような調子なのだ。どこそこで朝まで飲んだらミュージシャンの誰に会った。今月は高松と倉敷と金沢で新聞社のイベントの司会をして来る。外務省の暗号解読チームに変わった奴がいてさ。


 わたしが子どものお弁当のおかずや、傷付けてはがしてしまった壁紙をどうするか考えるのに嫌気がさしていたり、子どもが通う学校にかかるお金が予定より大幅に増えて貯金を崩さなきゃいけなくなったりして、どうしようどうしようって思っている時に限って安積くんのメールが届く。呑気な調子の長文メールが届く。ウッディ・アレンがこんなことを書いて寄越した。来週末Ustreamに出演することになったからみんな見てくれ。アドベンチャー・レースで撮った写真にUFOが映り込んでいた。


 ずるい!ずるい!

 わたしは心の中で叫ぶ。いらだちを抑えられない。何なの? どういうつもりなの? それはわたしへの嫌がらせ? 日本にいて節約をして平凡な生活を送るしかないわたしへの嫌がらせ? どうしてそんなこと書いて寄越すの? どうしてそんな現実離れしたことを言っていられるの? あなたには向き合わなきゃいけない日々の現実はないの? どうしてあなただけいつまでもそんなに学生みたいな気分でいられるの?


 そんなことを言うべきじゃないのはわかっていたんだけど、ある日わたしはそんなことをあらいざらい書いて返信してしまった。せめて安積くんだけに送ればいいものを、メーリス宛に返信してしまった。何人かフォローしたり修復しようとしてくれたけど、修復不可能だった。結局それっきりメーリスは死んでしまった。安積くんは返事をくれなかったし、わたしももう何も書けなくなっていた。それが2年前。


 今日、安積くんから小包が届き、個人宛でメールが届いた。安積くんはメールにやっぱり腹立たしいくらい調子のいいことを書いていたけど、わたしは久しぶりにメールをもらえてほっとしたので、あんまり本気では怒らなかった。メールには「ぼくの秘密を送ります」と書いてあった。「みんなにメールする時ぼくは、それを開けて20年前の空気を吸って、若返ってから書いていたんだ」


 小包を開けたら缶詰が3つ出てきた。缶詰? 「数に限りがあるので3つだけ送ります。使う時は一人で使ってください。必ず一人で」20年前の空気が詰まった缶詰? それをあけたら若返るの? ばかばかしい。そう思いながらも、わたしはその3つの缶詰をいつ使うか考え始めている。3つしかないんだから、ムダにしちゃいけない。みんなにメールを書く前? もったいなさすぎる。結婚記念日? 私だけ若返ってもなあ。それじゃあ。


(「缶詰」ordered by キマ沙羅-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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