第8話 聖地巡礼

 二日前、古い釘を踏み抜いてからおとうさんの脚が腫れ上がって、とても高い熱が出て寝たきりになってしまったので、その場所でキャンプを続けることにした。いつもなら無理をしてでも元気そうな振りをするおとうさんが珍しく起き上がろうともせず、ただ眠り続けている。わたしは熱冷ましの草を探して森の中を歩き回った。


 幸いここは前にもキャンプした場所で、どこに何があるかは見当がつく。だから自分で食べるための木の実や山菜などには困らない。でも熱冷ましの草はなかなか見つからない。父は食欲がないので、何よりまず熱を冷ますのが先決だった。でもここは、わたしたちが暮らしている山奥とは気候や土壌が違うので、探している草が見つかるかわからない。同じものは生えていないのかもしれない。


 行きには気がつかなかったけれど、ここもやはりかつては人の住んでいた土地のようだ。丸刀をふるって草を刈り取っていくと不意に建物の跡に行き当たったりする。あるいは足元に大昔の舗装された道が出現したりする。わたしが習っている古代の文字を当時の建物の壁に見つけたときには、つい興奮して熱冷ましの草のことを忘れて読みふけってしまった。


 それは金属に刻まれた文字で、かつてそのあたりに流れていた上水という川のようなものについての謂れを解説したものだった。いまはそのあたりには川のようなものは見当たらないが、遥か昔このあたりに川があったということ、この金属板が刻まれた頃にはもうその役割を終えつつあったということ、それから千年も隔てたわたしが読んでいるということが、何だか気が遠くなるような感じがして動悸がおさまらなくなった。


 金属板を触ってみたけれど、あまりはっきりとしたイメージは湧かなかった。いまのこのあたりと大して変わらない地面と太陽の光が射す緑の天井。かすかに水の音を聞いた気もするが、ただの錯覚かもしれない。あの大きな絵や写真が飾られていた建物の中で感じたような人の気配や声の残響は感じ取れない。このあたりにはあまりたくさんは人がいなかったのかもしれない。わたしはそう思い始めていた。


 ところがそうではなかった。


 夕べ、そろそろキャンプに戻らなくてはいけない時間になって、わたしはついに薬草になりそうな草を見つけることができ、薄暗い中懸命にその根を掘り出していた。そして突然それは起こった。何人もの人の声がはっきりと頭の中に響いたのだ。あまりにもはっきりしていたので、最初はすぐそばにたくさんの人が現れたのかと思って心臓が止まりそうになったくらいだ。


 それは一種の宗教施設のように思われた。わたしが聞き取った限りでは、「マスター」と呼ばれる人が人びとの悩みを聞き、さまざまなアドバイスをしているようだった。「マスター」は低く深い声で人びとを安心させ、時には音楽を奏でてざわめく人びとの心をなだめたりもしていたらしい。恋にまつわる迷い。生業に関する問題。家族についての悩み。どんどん暗くなる森の中で、薬草のことも忘れ、わたしは人びとの告白とマスターの返事に耳を傾けた。


 翌朝明るくなってから再びその場所を訪れ、自分が何に触れて感応したのかがわかった。それはその施設の名前を示すための看板で、そこには古代に広く使われた言語で、やはり非常に有名な宗教のシンボルの名と、道を示す言葉が書かれていた。cross road、十字架の道。思った通り、わたしは古代宗教の儀式の一部に触れていたのに違いない。


 「父をお救いください」わたしはその看板にそっと手を乗せて祈った。「父の脚の傷をいやしてください」


 再びたくさんの声が湧き起こってきた。「時間が解決してくれますよ」「マスター、同じのを」「熱すぎても冷ましすぎてもいけないんです」「悪魔に魂を売り渡したロバート・ジョンソンが」「さあもう時間です」「家に帰ってももう誰もいない」「これはわたしからのおごりです」


 看板のすぐ脇に、また別な薬草が見つかった。それは探していたのとは違うけれど、熱冷ましに役立ちそうな草だった。地面を掘り返し、欲しい根を手に入れることができた。ありがとう、古代の神様。見ると看板も土をかぶっていた部分が姿を現していた。「cross road」の上には「喫茶」という文字がのっていた。お茶を喫(の)む? 古代宗教のしきたりなんだろうか。そうだ。この草の葉を煎じて父にのませてみよう。そして体調が回復したら、わたしもお茶を喫んで神に感謝を捧げることにしよう。


(「cross road」ordered by エルスケン-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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