ハートワーク
こがわゆうじろう
第1話
ハートワーク
こがわゆうじろう
一
住職が式場に入り、葬儀社の人間が通夜の開式を宣言した。七月に入って最初の猛暑日を記録した日の夕方のことだ。
土屋理沙は親族関係者の席に座り、住職の読経を聞いた。仏教式の葬儀に参加するのは人生で初めてのことだ。父方の祖母は仏教をはじめとしたあらゆる宗教を嫌っており、自分の葬儀も必要ないと言っていたが、理沙の伯父は通夜と葬式にこだわった。
参列者は皆、ハンカチで額を拭っている。夕方になったが空はまだ白く、気温も下がっていない。理沙も何度か汗を拭った。
祖母の知り合いが何人も参列に来ている。理沙は、年老いても友人が多くいることを不思議に思った。自分が祖母の年齢になった時、果たして葬儀に来る人間がどれだけいるだろうか。
閉式すると、伯父夫婦と従姉妹の由紀子、両親と長男の隆司、そして理沙の七人で握り寿司を食べた。
「理沙ちゃんは大学生になったんだっけ」
伯父が理沙に話しかける。
「はい。二年生になりました」
「なんの勉強してるの?」
「東洋哲学です」
「理沙ちゃんは勉強できたからねえ」
勉強ができたから東洋哲学を専攻する。どうしてそういうことになるのかはわからなかったが、理沙は愛想笑いをしてイカの握りを手に取った。
由紀子を見ると、マグロやエビの握りばかりを食べている。羨ましい性格だなと思いながら、理沙は人気のないネタばかりを食べた。
「由紀子ちゃんはなにやってんの」
帰り道の車の中、隆司が両親に尋ねた。
「さあ。大学を途中でやめたって聞いてるけど」
父親が答える。
「いいネタはほとんどあの子が食った」
隆司はそれだけ言うと目を閉じた。心療内科医一年目の兄は疲れている。理沙にはそう見えた。
「明日の葬式、どうしようか」
ハンドルを握って前を見たまま、父親が言った。
「行かなきゃおかしいでしょ」
母親が答える。
「そりゃあそうなんだけどさ」
父親は実の母の葬儀に賛成ではなく、彼女の意向通り簡易葬で済ますつもりだった。
「おばあちゃん、友達多かったんだね」
理沙は言った。
祖母の記憶はほとんどなかったが、なにか彼女のいい面を強調しなくてはいけないような気がした。
「あれは全員ご近所さんだよ。通夜と葬式に参加しないと噂が立つんだよ」
父親は「田舎はみんなああだよ」と言ってハンドルを切る。
理沙は自分が東京生まれの東京育ちであることに感謝した。都会では葬儀に不参加だったことを咎めたりはしない。それは気楽なことだと思った。
「それにしてもあんた、つまんなそうにしてたねえ」
母親が理沙を見る。
「でも、楽しそうにしてたら変でしょ」
理沙は言う。
「由紀子ちゃんみたいに愛想よくしなさいよ」
「少しはしてたよ」
理沙の母親は、なにかというと娘に愛嬌を求めた。昔からそうだった。しかし理沙はその要求に応えられたことがない。
「わたしが愛嬌を振りまいたって似合わないよ」
「それはそうだな」
父親が笑い、理沙もそれきり目を閉じた。
葬式の日も猛暑日で、外にはセミの鳴き声が響いていた。理沙は前日と同じように住職を見る。そして、儲かっているんだろうななどと思い、慌ててそんな気持ちを消した。
母親には、感受性がないと言われてきた。理沙はその言葉を気にしている。確かに自分にはそれほど瑞々しい感情はない。そう思ってはいる。しかしそれを実の母親に言われると癇に障ったし、なにか自分が非人間的と言われている気もした。
出棺準備になり、理沙は花を持って棺の中の祖母を見た。その顔は記憶とは大きく違い、別人なのではないかと思う。しかし、由紀子は棺の中の祖母を見て泣いている。自分は感受性がないばかりか、薄情かもしれない。理沙はそんなことを考えながら花を棺に入れ、祖母から離れた。
喪主である伯父の挨拶が終わると、理沙は火葬場まで父親の車で行くことになった。
「別人みたいだったなあ」
父親が言う。
「お父さんでもそう思ったんだ」
「うん。お前はもうおばあちゃんのこと覚えてないだろう」
「お父さんが田舎に帰りたくないって言うから」
「まあなあ」
火葬炉の前で合掌し、理沙は隆司と一緒に骨を拾って収骨容器に入れた。そして再び葬儀場に戻ると、前日と同じように伯父夫婦と由紀子、両親と隆司に理沙の七人で弁当を食べた。
「言い忘れたけど、お疲れ様」
父親が伯父夫婦に言った。
「まあ……、うん、そうだな」
伯父は頷いて弁当を食べる。
それきり、二つの土屋家はなにも話さなかった。理沙も黙って弁当を食べると、席を立って樹々を眺めた。
「四月より十一月より、七月の樹が綺麗だよね」
理沙は由紀子に言った。
「そう? やっぱり四月と十一月が綺麗だよ」
「そうかな」
「そうだよ。それより、なんで理沙ちゃんは泣かなかったの?」
「あんまりおばあちゃんに会ったことないから」
「でも、お父さんのお母さんが死んじゃったって思ったら悲しくない?」
理沙はそう言われても、なんと答えていいかわからなかった。
帰りの車は隆司が運転した。後部座席で理沙と並んだ父親は目を閉じている。
「お父さん、悲しくないの?」
理沙はそんなことを訊いてみた。
「俺はあんまり可愛がられなかったからな」
「……そう」
理沙は、自分は両親に可愛がられたかどうか考えてみた。少なくとも、兄ほど厳しくはされていない。それが可愛がられたということなのかはわからなかったが、やはり自分ならどちらを失っても泣くだろうと思った。
父親がいびきをかきはじめ、母親も眠りについた。
「理沙、ガム取って」
兄に言われるまま、理沙はガムの包装を解いて渡した。
「社交性ないよなあ、我が家は」
隆司のそんな言葉でも、両親は目覚めなかった。
「いいんじゃない? それでも」
理沙はそう言って兄の顔を覗いた。そこにはこれといって感情の動きは見られない。
「わたし達、薄情かな」
「普通の家だったらそう言うよ」
「いいんだよ」
いびきをかいていたはずの父親が言った。
「いいのかなあ」
隆司がのんびりとした調子で言った。
「いいんじゃない?」
理沙が再び言う。
土屋家の車は、そのまま埼玉県を走り続けた。
家に着いても、外はまだ明るかった。父親も母親も車が家の前で停まるとすぐに目を覚まし、隆司に「お疲れ様」と言って車を降りる。
「隆司、泊っていく?」
母親が尋ねた。
「そうするよ。もう疲れた」
理沙は居間に上がる前に顔を洗うと、洗面所から見える樹を見た。
「いい?」
母親が化粧を落としに洗面所に現れた。
「どうぞ」
「あんたも少しぐらい化粧したらよかったのに」
「うん。そう言われると思った」
理沙はそう言って、七月の緑を眺めた。やはり彼女は四月よりも十一月よりも、七月の樹が美しいと思った。
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