第37話 賑やかな今日を背に

 急かされるまま九番書庫を出て、コナツとは甘い香りの漂う食堂の前で別れた。急いでテトラの意識を人体に移し、サジェにスマートフォンを渡してから食堂にたどり着いた二人の前では二十人程度の職員が列を作っていた。女性職員が圧倒的に多いが、中には男性職員もちらほらいる。その行列を前に唖然としていると、列の前方から二人に声を掛ける者がいた。見慣れてきたピンク色のツインテール――ミシュリーだ。傍らには先ほど別れたばかりのコナツもいる。光人は並ぶ前にまずそちらに歩み寄った。


「ミシュリー、飯嶋さん。結局これ、なんの列なんですか?」

「今日はね……我らが四番書庫長がスイーツ担当なの。」

「あー、えっと、ティ……アウグスティーヌさん。」

「そうそう。実は書庫長、このディークス私立図書館で一番お菓子作りが上手でね?月末は特別にこの時間、数量限定で書庫長の作ったお菓子が食べられるの!」

「な、なるほど……それでこんなに並んでるんだ。」


 ミシュリーは自らの後ろに並ぶ行列を見た。既にかなりの人数がおり、最後尾では他の職員が受け付け終了のお知らせを扉の前に張り出しているらしい。落胆の声が聞こえ始めた。


「……一人二つまでなんだけど、今日はレベッカちゃんに一つ頼まれちゃってるしなぁ……。光人君たちにも食べさせてあげたかったなぁ……。」

「あ、ミシュリーちゃんがそういうことなら。コナツ先輩が一つ分けてあげるから二人で更にそれを分けるのはどう?」

「えっ、いいんですか?」

「輩風吹かせたいお年頃なのよねー。」


 ふふん、と得意げに笑うコナツの頭の上で一房だけ跳ねた髪がこれもまた得意げに揺れた。代わりに、と場所取りを任された二人がテーブルの並ぶ食堂内を見渡すと、そのテーブルのうちの一つに着いている茶髪の青年が手を振ってるのが見えた。白いポロシャツの彼は――


「サトルさん!」

「やぁやぁ、適性検査以来だね。そっちの子は?」

「あ、その……人型の方?のテトラです。」

「お久しぶりです。サトル・カスカベ。」


 サトルは目を瞬かせた。そして一拍の沈黙の後に、あぁ!と納得したような顔をして頷いた。


「そうか……なんか、予想以上に美人さんでびっくりしちゃった。あ、座って座って。どうぞ。」

「すみません。座れる?テトラ。」


 サトルの向かいにある椅子を引いてテトラを見ると、そっと光人の服の腕に手を添えてゆっくりと椅子に座った。まだ人体には慣れていないのだろう、とそれを受け入れる光人をサトルは優しい目で見ていた。


「光人君もおやつ食べに来たの?」

「サジェさんとか、飯嶋さんに食堂行った方がいいって言われて。来てみたらすごい行列でびっくりしましたよ。」

「ティーヌさんのは美味しいっていうからねぇ。あ、ミシュリーちゃんたち来たよ。」


 自分も席に着いた光人が振り返ると、ケーキとパイを一つずつ皿に載せて持ってきたミシュリーとコナツが歩み寄ってくる。途中で合流したらしいレベッカはサトルを見て目を見開いた。


「副書庫長!?食堂にいるなんて珍しいですね……?」

「気分だよ、気分。ボクだってたまにはちゃんとご飯食べるよ。」

「副書庫長……?」


 聞けば、サトルはレベッカの上司にあたるらしい。シャルロッテ、コナツ、サトルと順番に思い浮かべて光人は各書庫の書庫長は堅物ばっかりなのだろうか、とつい光人は考えてしまった。サジェやマヌエラ、アウグスティーヌがいることを考えれば堅物ばかりではないと明白だが、それでも偏っているのではないだろうか。

 そんなことを考えていた光人の前にコナツから一切れのパイと二本のフォークが差し出された。ほのかに漂う香りが甘く、優しい気持ちにさせてくれる。艶やかな網目状の生地の下にぎっしりと果肉が詰まっているのが見えた。


「アップルパイだよ。めちゃくちゃ美味しいから味わって食べてね!」

「すみません。貴重な物を。いただきます。」


 光人はフォークでアップルパイを半分に切る。先に、とテトラに差し出したが彼女は首を傾げた。


「光人、私はまだ食事が不慣れです。そして、アップルパイなる料理の情報が不足しています。」

「うーん……りんごを使ったお菓子としか……。食べてみたら分かるよ。俺が食べるところ見ててね。」

「はい。」


 じ、とテトラが光人の一挙手一投足を見つめている。そこまでしっかりと見つめられると食べにくいがこればっかりは仕方ない。フォークで少し小さく切り分けてから口へと運ぶ。本当ならそのまま手づかみで食べたい所だが、テトラがまねすることを考えると、自然と自制心が働いた。 さく、とパイ生地とりんごの果肉が音を立てる。みずみずしい甘みが口の中に広がり、鼻から香ばしい匂いが抜けていく。べたつかない甘さと食感が優しい刺激として脳に伝わる。これは確かに、文句なしに――


「うま……。」

「でしょぉ。」


 もう他のアップルパイは食べられないんじゃないか、と思ってしまう程だった。


「すっごく美味しいです。テトラ、食べられそう?」

「はい。いただきます。」


 皿とフォークと差し出すと、テトラは光人の動きをそっくり――多少たどたどしく――真似してアップルパイを口へと運ぶ。表情に変化が無いのが少し心配で、光人は結局自分もテトラが食べるのをじっと見つめてしまう。


「どうかな?」


 自分はシフォンケーキを頬張りながらコナツは光人を挟んだ隣からテトラに尋ねる。何度も咀嚼してから飲み込んだテトラは頷いた。


「とても美味です。」

「お、よかった。」


 コナツはまるで自分が褒められたように嬉しそうな顔で笑った。テトラは光人を見上げて問いかける。


「光人もこれが好きですか。」

「うん。大好き。」

「アップルパイはとても美味。光人の好物。記憶しました。」


 テトラは嬉しそうだ。自覚があるかは、やはり分からないが。皿を光人の方へと戻そうとするテトラを、光人は止めた。


「食べていいよ。」

「いいえ。光人の好物です。」

「そうだけど……テトラが美味しいって感じたなら、食べて欲しいなぁ。俺、自分の好きな物を、他の人も美味しいって言って食べてくれるの好きなんだ。」

「……?不可解です。しかし、そういうことならこれはいただきます。ありがとうございます。光人。」

「いえいえ。」


 テトラはまたアップルパイを一口大に切り分けて食べる。目を細めて、少しだけ口元を綻ばせて味わう姿が微笑ましい。その様子を見ていると、別の方向から視線を感じた。振り向くと斜め前に座っていたレベッカがこちらを半眼で見ていた。目があっても視線がそらされることはない。無言のまま一拍見つめ合い、やがてレベッカは小さくため息をついて目を閉じた。


「な……なに?」

「べつにぃ?」


 レベッカの様子を彼女の隣に座っているミシュリーが笑う。気づくとサトルも楽しそうににこにこと笑っている。コナツは変わらずに自分の分のシフォンケーキに夢中な様子だが。


「レベッカちゃん、素直に羨ましいとか言って良いんだよ。」

「誰もそんな風に思って無いわよっ。」

「レベッカちゃんもお年頃かぁ。」

「副書庫長っ!からかわないでください!」

「はっはっは。」


 光人はなんとなく、やっと察した。と、同時に気恥ずかしさに顔が熱くなる。テトラはそんな光人に首を傾げていた。


「あの、全然そんなつもりじゃなかったっていうか。」

「こっちが恥ずかしいからなんにも言わなくていいわよ。あー!アップルパイ美味しい!」


 自棄になったようにアップルパイを頬張っているが、しっかりと味わって食べているのがわかる。確かに、これはヤケ食いにはもったいない。テトラは今度、食べ終わったアップルパイの皿を名残惜しそうに見つめていた。相当気に入ったらしい。


「テトラちゃん、また一緒に食べようね。書庫長には敵わないけど、私もがんばって美味しいアップルパイ作れるように練習するね。」

「ミシュリーも料理や製菓を行うのですね。ぜひ、ご一緒させてください。」

「うんうん。レベッカちゃんと、コナツさんと……シャルロッテさんはお酒の方がいいのかなぁ。」

「ちょっと、アタシも呼んでちょうだい?」


 会話に突如割って入ったのは――思わず振り返った光人の背後から現れた圧倒的存在感。火燕焔神(カエンホタル)とはまた別の熱量を感じさせる、アウグスティーヌ・ストリギィであった。前に会ったときにしてあった化粧はしておらず、ツヤのあるセミロングのウェーブがかった髪を一つに束ねている。手入れされた口元のヒゲと筋肉質な体躯があいまって、初対面の時よりも男らしさを感じる。


「副書庫長が許してくれたですね……。」

「あン。セラちゃんが許してくれるはずないじゃなァい。ま、イイワ。アタシは戻るけど、ミシュリーもそれ食べ終わったらアタシの部屋来てちょうだい。お仕事よ。」

「はーい。」


 手を振ってアウグスティーヌは去って行った。ほのかに香った甘い香りは製菓の際に使った砂糖の香りだろうか。じゃあ自分もそろそろ、とサトルが立ち上がると同時に固い雰囲気の女性の声で館内放送が響いた――――。


「弐番書庫、ルートヴィヒ、ジェン・フランカ、篠宮光人は書庫長室に集合せよ。繰り返す――」


 それは間違い無く、この平穏な時間の終わりを意味していた。立ち上がったまま止まっていたサトルが、自分の名前を呼ばれてぽかんとしている光人に声を掛ける。


「光人君、所属決まってからのはじめてのお仕事かな?出発は明日だろうけど頑張ってね。」

「あ……これからすぐって訳じゃないんですか。」

「多分ね。緊急連絡じゃなかったから。あんまり緊張せずに行っておいで。」


 サトルはそう言うものの、光人の脳裏には魔獣の姿があった。ああいった敵とまた戦うことになるのではないか――その光人の手を、テトラがそっと握った。ハッとして振り返ると、彼女はまっすぐにこちらを見上げていた。


「ワタシは、今日はこのままサジェの元に戻ります。ワタシの事は気にせず、光人は招集に応じて下さい。」

「……うん。わかった。」

「同行できるか、サジェに相談してみます。」

「危ないかもしれないから……。」

「それでも、です。」


 あまり感じたことのない、テトラ自身の「意思」。それを感じて、光人は思わず頷いた。気圧された、という表現が近いのかもしれない。


「わかった。じゃあ、行ってくるね。」

「はい。」


 立ち上がると、次に光人に声を掛けたのはレベッカだった。


「一つ、伝言。もしあたしが明日出発までにあんたたちに会わなかったら……ジェンに伝えて欲しいんだけど。」

「ジェンに?」

「……あんまり、無理すんなって言っといて。」


 それだけ。とレベッカは顔をそらした。光人はそれを承諾して、そのまま食堂を後にした。だから、その後ろでどんな会話をしていたのかを知らない。


「レベッカちゃん、相変わらずジェン君のこと気にしてるんだね。」

「してないわよ。危なっかしいことして何かあったら、いろいろ処理するのあたしの仕事だし。面倒だからやめて欲しいだけ。」

「どう思います?サトルさん。」

「今はそういうことにしておいてあげようかな。」

 

  けらけらと笑う声と反論する声。賑やかな食堂は今日も職員が集まる。それを背に――光人は自分の所属する書庫の長、迅雷の元へと急ぐのだった。

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