第35話 かっこいい主人公ではないけれど

「んな訳で、基本的にテトラちゃんは光人君と一緒に物語に干渉したりすっべ。人体に慣れるまでは難しいかもしらんけど。」

「スマホに入れていく訳にはいかないんですか?」

「干渉先にもよるけんど、基本キャストは持ち込める物に制限かかるけんね。」

「え?でも……俺、この前修行に普通にスマホ持って行っちゃったんですけど……?」

「なんだって?……え、修行に行ったのって確か魔獣とか出てくるやつだよね?」


 頷く光人にサジェは唸る。聞けば、アクターに制限は無いが、キャストは持ち込める物に制限がかかる。干渉先の物語に存在為ない技術で作られた物を持ち込むことはできないのだという。エフェクトの時と同じく、干渉先の物語の世界観を壊すような物は持ち込めないということなのだろう。中世ヨーロッパの物語にビーム兵器を持ち込むようなものか、と光人は考える。それはそれで別の物語が生まれそうな気もするが、やはり今はそういう話をしている訳では無さそうなので口を噤んだ。


「持ち込めてしまったのは、『君だから』だろうね……。」

「えっと……主人公、ってやつですか。」


 小声で言った光人に、サジェは頷く。


「目立つような行動するわけにはいかんから、武器はキャスト用に発注する。んで、スマートフォンは君の持ち物を私が勝手にいじって、よくわがらんけど干渉先物語にも持ち込めるようになっちゃった、ってことにしとき。」

「わかりました。……あ。」

「どげんした。……あ。」

 

 サジェと光人、二人は光人の手に視線を注ぐ。正確に言うならばその手に握られている、スマートフォンに。そう、今しがた話題に上ったスマートフォンである。その液晶画面の上で、テトラは動きを止めていた。


「……。」

「テトラちゃん、一見姿が見えんっちゅーのはなかなか……厄介じゃの。」

「えっと、テトラ……その……。」

「サジェ、どういうことですか。」


 テトラは、静かに声を発する。


「主人公に該当する人物はいないと――」

「あー!あー!分かった、説明するから!お願い、誰かに聞こえたらまずいんじゃ!」

「……。」

「……はぁ、そう。光人君は……そう、なんだよ。ちょっと理由があっていないって言ったけど、実は彼だけが『そう』なんだ。」

「テトラ……その、なんか、問題あるかな?」


 スマートフォンの液晶、その隅でテトラは止まっている。やはり静かな声で言う。少しスピーカーの音量自体を下げたらしい。


「ワタシは、主人公に助言する者です。」

「うん。……そう、言ってたね。」

「ずっと、『主人公』を求めていました。だから……。」

「だから?」

「ワタシは、光人に出会えて自分の役目を全うできることに安堵しています。いえ、正確には――『主人公』が、あなた以外であれば少々サポートが困難でした。ワタシは、光人と、別の人物のサポートを同時に行う必要があったでしょうから。」


 光人は考える。今、テトラが言ったことを整理すると――テトラは、光人が主人公であろうがなかろうが、必ずサポートするつもりであったのだろう。


「それに、ワタシは出会った主人公が光人でよかった……と、思います。」

「……ほんとに?」

「はい。ワタシに感情と名前を教えてくれるような、あなたでよかった。」


 サジェが、ほっと安心したように笑った。


「テトラちゃん、それな、嬉しいっていうんよ。なぁ、光人君。」

「嬉しい、これが喜びに該当するものですか。……光人?」


 じわ、と視界が滲んだ。テトラは――出会ったのが、自分で良かったと、嬉しいと言うのか。もっとかっこいい主人公が良かっただとか、頭が良くて頼りになる人の方が良かっただとか、そういう風に言われるのだろうと無意識に思っていたのだ。それなのに――


「光人、なぜ涙をこぼすのですか?何か不快な発言がありましたか?」

「ちが、ちがうんだ、ごめん。ごめんね、みっともないね。」

「そうではありません。光人、どうか……ワタシには今、あなたに差し伸べる手が無いのです。光人、明瞭な応答を願います。――あなたが泣くのは、なぜだか、寂しいのです……。」


 スマートフォンが熱を発している。テトラが悩むと、機械にも負荷がかかるのかもしれない――そんな、関係のあるようで無いことが頭を駆け巡る。しかし、今大切なのは、テトラの質問に答えることだ。この感情を、教えてあげたい。ぽつりと液晶画面に落ちた水滴の下でくるくると泳ぐテトラを指で撫でた。


「ごめん、寂しくさせてごめんね。今、俺は嬉しいんだ。テトラと一緒だよ。俺も、テトラに会えてよかった。」

「処理できません。光人、嬉しくても人は泣くのですか。」

「うん。そうなんだよ。そういう時もあるんだよ……。」


 光人の指の周りをせわしなくテトラは泳ぐ。反対の手で自分の目元を拭うと、正面に座るサジェを見た。彼女は今まで見た中で一番優しい顔をしていて、光人に――そしてテトラに笑いかけた。


「テトラちゃん、人間は難しい。私もまだぜーんぜん、分からんよ。でも、とりあえず今光人君がめちゃくちゃ喜んでるってのは本当さ。」

「サジェ……、あなたも嬉しいのですか?」

「おうともさ。年取ると、少年少女の仲良くしてる場面ってのはなかなかどうして、微笑ましくてね。」

「難解です。」

「だろうねぇ。君に年齢っていう概念が存在するんか知らんけど、どっちにしてもデータが蓄積されてくればわかるら。今日は光人君と一緒におるんじゃろ?これからいろいろ新しいことを、君も学習していくんだ。」


 サジェもまた、スマートフォンに手を伸ばしてテトラを撫でた。テトラはまだ困惑しているらしく、サジェの指をつつくように動いている。


「じゃあ、俺たち行きますね。……って言っても、休みだからってどこへ行けばいいのか分からないんですけど、どうしたらいいですかね……。」

「まぁ、休みの日は大体皆寝てるか訓練してるか本読んでるかでなぁ。外へ出る人もおるけど、まだ君には早いし……。――あ、行き先は決めてあげられへんけど、一つ良いこと教えたろ。」

「いいこと?」


 にっ、とサジェは子供っぽく笑った。さっきまでの優しげな表情は一体どこへ消えてしまったのか。


「ま、私はあんまり興味ないんじゃが。そうさな、もう二時間もしたらテトラちゃんを人体に戻して食堂へ行きなはれ。今日は特別メニューがあるぜよ。」

「夕飯じゃなくて、おやつくらいってことですか?」

「そそ。楽しみにしとき。あぁ、その時によかったらスマートフォンは私に預けてけれ。」

「……分解するんですか?」

「ちゃんと直すし、絶対壊さないって約束するけん。今あるデータも消さん。テトラちゃんがより快適に過ごせるようにちょーーーーっと改造するだけじゃ。な?」


 どうするか――恐らくここで強く反対すればサジェは分かってくれる。そんな気がした。しかし、彼女が優れた技術を持つ人物ということはなんとなく分かっている。そしてなにより――テトラを引き合いに出されると弱い。


「……わかりました。でも本当に、データ消したり壊したりするのはやめてくださいね?」

「絶対しません。」

「じゃあ、後でまた渡しに来ます。」

「待っとるぞよ。」


 手を振るサジェに頭を下げて、また光人は未だに迷子になりそうな施設を探索するためにステンドグラスのあるホールへと出た。

 図書館に本を読みに行くのもいいが、今はテトラを連れて歩くことの方が大切だった。あの地下施設の水槽で泳いでいたテトラに、いろいろなものを見せたい――そう思った。


「テトラ、どこか行きたいところある?って言ってもわかんないか。」

「要望はありません。しかしサジェからこの施設内のマップを受け取りました。よって、光人が望む場所を案内することはできます。」

「あ、マップもらえたんだ。よかった、すごく助かる。」

「それは何よりです。光人はどこか行きたい場所はありますか?」

「そうだなぁ。あ、ジズベルトさんにお礼言ってないから行こうかな。」


 修行のために書見台のある部屋を貸してくれたジズベルト――帰還した時に気を失っていた光人は当然、帰ってきてから彼と顔を合わせた記憶がない。


「ジズベルト――九番書庫長、ジズベルト・ボーデンシャッツ氏ですね。ワタシも彼には興味があります。」

「そっか、じゃあ行こう。この先だよね?」

「はい。その両開きの扉を出て、道なりに進んでください。」


 実を言うと、光人はもう九番書庫の場所を覚えていた。本館とでも呼ぶべき現在地にある書庫よりも、完全に別の建物として離れたところにある九番書庫は分かりやすいのだ。それでもテトラに確認してみたくなった。実際、テトラは少し得意げに答えたような気がする。それも、光人がそうあって欲しいと望むが故にそう感じたのかもしれないが。

 ドアの先には白いタイルの小道と、同じ色をした高い壁。その壁の先に何があるのかを光人は知らない。


「テトラは、この壁の向こうに何があるのか知ってる?」

「この施設を中心にして、円形に広がる街があるとの情報は得ています。しかし、実際に見たことはありません。――ときに光人。」


 テトラはそこでひと呼吸おいた。


「空とは、かくも高いものなのですね。」


 高くそびえる壁と、今しがた光人が出てきた施設の隙間から覗く空を、光人は見上げた。確かに、広い空とは言えない景色だが――


「――うん。ずっと高いところまで広がってるんだって。俺は詳しいこと分かんないけど。」

「そうなのですね。いつか、もっと広い空を見ることができるでしょうか。」

「きっとね。一緒に見に行こう。」

「はい。あなたと共に。」


 テトラはまたスマートフォンの画面をくるくると泳いでいる。この動きは恐らく嬉しいとか楽しいとか、そういう感情を現しているのだろう。本人――あるいは本魚と言うべきか――に自覚があるかは分からないが、こうして見ると、意外と彼女は感情表現豊かなのかもしれない。指を置くと寄り添うように泳いでくるテトラを見ながら光人は歩く。

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