第18話 人生初の上司

 しばらくその場の三人で固唾をのんでテトラを見ていると、ぴく、と彼女の瞼が僅かに動いた。次第に、開かれて長いまつ毛に縁取られた海を思わせる青い瞳が覗く。次いで唇が動き、かすれてはいるが声を発した。

 

「ぁ、きと。」

「ちゃんと戻れたんだね?よかったぁ……。」

「はぃ。」

 

 セラは光人がアウグスティーヌにされたようにテトラの腕に体温計のような器具を軽く押し当てる。

 

「……体力は低下しているようですが、特別な異常は無いようですね。呼吸も安定しています。」

「そうだ、もう咳き込みそうにならない?」

「はい。呼吸のしかたを、インプットした覚えは、ないのですが……。」

「本能的な人体の機能だに、寝てる間にいつの間にか習得してるってこともここじゃ珍しくなかよ。」

「なる、ほど。」

「しかし、しばらくは動く練習をするにしてもこの部屋の中のみにしてくださいね。それから、無理に立ち上がらないこと。いいですね?」

「かしこ、まりまし、た。」

「それからサジェ書庫長、彼女のスキルは分かりましたが、呪いはどうなんですか?」

 

 テトラが指を曲げたり伸ばしたりするのを眺めていた光人は勢いよく顔を上げる。

 

「呪いってなんですか……!?」

「ああ、そっか。言うてへんかったなぁ。君たちキャストには、元の物語でもっていた能力なんかを元にした固有のスキルを持つ一方で、それと表裏一体、もしくはまったくの別に固有の能力制限や欠陥がある。例えば……そう、スキルとして絶大な戦闘力を持つ代わりに、呪いとして殺人衝動が抑えられなかったり。」

「そんな……テトラはどんな呪いが?っていうかそれ、俺にもあるんですよね?」

「おん。君にもある。ただ、それが二人とも分からんのよね、まだ。昨日私のパソコンとか光人君のスマートフォンが壊れたりとかはしなかったから、ウィルス属性があるとかそういうわけでもなさそうだし。スキル同様、呪いもどの段階で発覚するか分からない。強いコンプレックスとかトラウマとかあればそれが呪いになることが多いけど……テトラちゃんそういうのあるん?」

「……プログラム、であるワタシ、には、そういったものが、ありませ、ん。」

「だよねぇ。もしかしたら、ウィルスとかとは別にプログラム関係になにかあるのかもしれないけどね。だもんで、セラちゃんはそのへんで何か気づいたらおせーてな。」

「かしこまりました。」

 

 テトラの呪いはもちろんだが、自分のスキルや呪いもどういったものなのか。コンプレックスになんて山ほどある――光人は固く拳を握る。その手にテトラの指先が触れた。光人がはっとしてテトラを見ると、感情の見えない瞳が、それでもわずかに光人への心配を滲ませていた。少なくとも、光人にはそう見えた。こぶしの力を緩めて、黙ったままテトラに頷くと彼女は安心したらしく、そっと指を離した。

 

「よしよし、んだばテトラちゃんはセラちゃんに任して、だ。光人君は食事済ませたら私と配属先に行くら。」

「え。俺の配属先ってもう決まったんですか?」

「昨日、サトル君に適性検査してもろたべ?あれとかを参考にして、ね。あ、せやったセラちゃん。テトラちゃんさ、ほぼ毎晩光人君がスマホに戻しに来るけんどええが?」

「構いませんよ。しかし、翌朝に連れてくるのを忘れないように。話しは通しておきますから、この部屋に出入りするときは受付でテトラさんのことで来たと伝えてください。」

「わかりました。……じゃあテトラ、行ってくるね。無理したらだめだよ?」

「光人、も。無理は、いけません。」

「うん。」

 

 光人が軽く手を振ると、テトラもまたぎこちなく少しだけ指先を伸ばして見せた。手を振り返したいのだろうと分かって光人は思わず微笑んだ。



●●●



 セラにも送り出され、サジェと共にその場を後にする。また、長い廊下を歩く。


「光人君、随分テトラちゃんば気に入っとおね?」

「え?」

「見てて微笑ましか。」


 少しだけ気恥ずかしくて、光人は視線を下げた。


「テトラを見てると、懐かしい気持ちになるんです。」

「懐かしい?知り合いにでも似とるか?」

「知り合いっていうか、昔飼ってた魚を思い出すんです。似てるかっていうとまたちょっと違う気もしますけど……。」

「ほーん。まぁ、仲良きことは美しきかな。現状君に一番懐いとるみたいだに、面倒見たってな。」

「がんばります。」

「うんうん。」


 出入口からまたホールに出ると、既に食堂からは食欲をそそる匂いが漂ってきていた。


「たまにゃあ私も食事すっかねぇ……。」

「いつもあんまり食べないんでしたっけ。」

「おん。面倒でなぁ。ぎょーさん食うのも苦手だや。栄養が補充できれば十分だに、適当に済ませることのが多いんよ。」


 彼女の言葉を裏付けるようにサジェが食堂に入った途端に視線が集中する。本人は全く気にせずに歩くものだから光人だけが気後れして遅れて追いかける図になった。


「オブシディアン書庫長だ……。」

「サジェさん……?」

「珍しい……。」


 そのまま光人は既に食事を始めていたジェンに救出されるまで、ひたすらに居心地の悪さにさらされるのであった。




●●●




「いやー、ジェン君がおって助かったわぁ。本来私が連れてくところだけど、ジェン君がいるならお任せしちゃってもよかよね?」

「まぁ、サジェさんに言われて連れてきましたって言えば書庫長もなんにも言わないと思いますよ。」

「んじゃー、任せんべ。そーたいぶりに食事したもんだから、胃が重たい重たい。」

「って、パンとスープだけでしたよね?」

「光人君……君も大人になりゃわかる。そんなに食えんくなるんや。」

「それでも流石にサジェさんほどにはならないと思います……。」

「結局のところ体質だべ。うん。まぁそんなわけさー、頼むわジェン君。」

「はぁ。」

「光人君も頑張ってね。なんかあったらすぐおいで。」


 大あくびをしながらサジェは去って行った。夜通し何か仕事をしていた彼女は、昨日と同じようにこれから眠るのだろう。ジェンもまた立ち上がる。行くぞ、と声をかけてから歩き出す彼に光人は続く。


「にしても、予想通りって言えば予想通りだな。ウチの書庫にお前が配属になるの。」

「そうなの?」

「おう。お前の細かい事情知ってるの、現状サジェさんとオレだけだし――あ、配属になったってことは書庫長は知ってんのか?まぁいいか。とにかく、サジェさんの所じゃ研究が主で、お前が元の物語に戻るために倒さなきゃいけないタイムイーター探す暇なんてねぇだろうからな。」

「そっか。そこも考えてくれたのかな。」

「だと思うぜ。んで、ウチってことはそれなりに戦闘適正もあったんだろ?」

「い、一応……?」

「なんで疑問形なんだ……。ま、嫌でもその内サマになるだろ。あとは訓練しろ訓練。ウチの書庫長、つえーから稽古つけてもらうといいぞ。」

「そんなこともしてくれるの?」

「暇なときだけな。」


 ホールを抜けて初めて手すりまで真っ白な階段を上ると、また真っ白な扉の前に立つ。ジェンが扉の隣に備え付けられたパネルに手をかざすことで開いた扉をくぐって、その先はまた廊下であった。


「そういえば、あの……ルッツは、今日はいないの?」

「ああ。昨日から任務に出てる。昼には帰ってくると思うけど、なんか用か?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど。いつも二人でいるのかと思ってた。」

「お前とテトラの所行った時も別行動だっただろーが。まぁ、一緒に仕事することは多いけどよ。……そもそも、あいつは強い。それに関しちゃオレはおまけだ。」


 ジェンは、振り返らないままだった。そのまま廊下の奥に佇む扉をノックする。


「ジェン・フランカです。」


 中から入室を促す低い声が聞こえる。ジェンがドアを開けた先、机を挟んだ向こうに座っていたのは、右目を布眼帯で覆った白髪の老年男性であった。着流した白っぽい和服の襟から見える首元は筋肉質で、会社の重役というよりはヤクザのボスと言われた方が頷ける――と、光人は肩を強張らせた。ジェンとはまた別種の鋭さをもった眼光をジェンと、次いで光人に向ける。思わず更に体を固くする光人だが、ジェンは慣れた様子で室内へと進む。


「サジェ・オブシディアン五番書庫長の要請により、新規職員の篠宮光人を連れてまいりました。」

「五番書庫長はどうした。」

「これからお休みになるとのことです。久々に食事をしたおかげか体調がよくなさそうでした。」

「……あいつらしいことだ。ご苦労。ジェン、お前は通常業務に戻れ。」

「はい。……じゃあな、光人。ちゃんと話聞くんだぞ。」

「あ、うん。ありがとう。」


 軽く頭を下げてからジェンは部屋を出て行った。その場に残された光人は、相変わらず背筋を伸ばしたまま男性に向き直る。


「えっと……篠宮光人です。」

「ああ。俺はここ、弐番書庫の書庫長。千葉崎迅雷だ。今後、お前が元の物語に戻るまでの間上司になる。」

「よろしくお願いします。」

「ん。お前の事情は、五番書庫長から聞いている。『主人公』とはまた、難儀なキャストだな。」

「……まだ、実感がありません。」

「だろうな。しかし、五番書庫長も言っていただろうが、俺も主人公だと言いふらすのは危険だと考えている。不用意に口外しないことだな。」


 つまり、迅雷もサジェと同じく鵺魄を疑っているのか――と光人は思ったものの口にはしない。ただ、唾を飲んでうなずくだけであった。

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